第2話 お望みは


  思えば事件はその夜から既に起きていたのだ。私は翌日学校に行って、廊下を歩いていると女の歔欷する声を聞いた。隣のクラスからだった。ふと隣の3-Bの教室を廊下から覗いてみる。そこでは、赤い花瓶にささった百合が、女の子の机の上に置いてあった。あれ。あれって確か……。

「おはよ、美佳―!! 」

 私が事態をよくわかっておらず固まっていると、3-Bに響き渡るような大声で彩香が挨拶してきた。既にBのクラスの中は歔欷とどよめきの声に満ちているが、それにしても大きな声って場違いだ。

「あの人、亡くなったの?」

 私が問うと、彩香はいつもの困ったような笑みを浮かべ、

「わかんなあーい。私もあの時、気づいたら死んでた、って感じ? 」

 くけけけとまた何がおかしいのか笑い出す彩香。いや、今ばかりは笑っちゃダメだよ。いくら私たちにまったく接点なかった人だとはいえ、笑うのはまずいって。案の定クラスの人びとからの冷たい視線を受けて、私は彩香の首根っこを掴み教室に戻っていった。


「知っていると思うが、昨夜隣のクラスの阿部春涼さんが亡くなった。心臓麻痺、だそうだ。みんなも、部活の前には準備運動をしたり……」

 朝のHRで、担任が静かな声で語りだす。

 亡くなった阿部春涼はそんなに目立つ子ではなかった。ただ噂によればどうも内面はよくなかったらしく、万人に対しいじめっこである彩香と違い、一部、すなわち自分より目立たぬ子をいじめるような子だったらしい。少しでも上に立ちたい、少しでもスクールカーストの上部に食い込みたい、だから、自分よりさらに弱いものを――その考えはあさはかとしかいいようがないが、死んだ人のことを悪く考えても仕方がないのでやめた。ふと、華子の方を見やる。そういえば、阿部春涼は華子のこともいじめていたんだと聞いた。華子の口元には微笑が兆して、いない。ああ、よかった。ここで下手に華子に殺されていたら、物語じみてしまう。けれど。

【初めて人を●しちゃったよ。復讐されるのかと思うと夜も眠れないほど怖いけど、仕方ないよね 🌸】

 そう夜にコメントが来た時はさすがに戦慄した。

「もしかしてさ」

 次の日のお昼休み。トイレに逃げ込もうとする華子の手を掴み、私は人気のない屋上にあがった。空は抜けるような晴天。暑い。制服に汗がにじんでくる。だけれど仕方ない。

「華子ちゃん、私のブログ知ってるよね?」

 私が詰問するように問うと、華子は小さく、首を振った。だけれど言葉は素直だった。

「……ごめん」

「いや、いいけど何でパス知っているの?」

「偶然、彩香ちゃんがしゃべっているの聞こえちゃった」

 彩香、あの女。後で百叩きだ。そう苦々しく思いながら、私はふうと嘆息した。

「じゃあ、あのコメントでマジなの」

「うん」

 私は固まった。まさかこんな切り返しがくるとは。うん、ってことは、すなわち殺したってこと? 阿部春涼を? ありえない。ううん、ありえる、こいつんちはあのノロイの森の家。丑三つ時には絶対に近づいちゃいけない家の子だ。こいつにもノロイの力くらい伝わっていてもおかしくない。

「美佳ちゃん、さ」

 そこで突然、華子はとんでもないことを口にした。

「私に殺して欲しい人、いる?」

「は? 」

 私は思わず強い声で言い放っていた。何? こいつ何言っているの? 頭おかしいの? いや、確かにこいつなら呪い殺せそうだけど。でも、いや確かに阿部春涼は死んだ。けれど。

「何言ってんの華子ちゃん、怖いよ」

 私の声はひとりでに静まっていった。殺して、欲しい人? そんなのたくさんいる。私のことを影で淫乱と呼ぶ教師も、女たちも。いつぞやか上靴を隠されてそこに虫の死骸を積め合わされた記憶が、衆目の前で淫乱めと罵倒された記憶が、よみがえる。こいつに殺して欲しい奴はたくさんいる、けれど。

「そういうこと、言うのやめなよ……」

 頼みたくなっちゃうじゃない……私が場をなんとか和まそうと微笑んだのを、華子は諾と受け取ったようだった。 

「私、いくらでも殺してあげるよ」

華子はそれから静かに語りだした。

「私んち神社の宮司で、結構いわくつきなの。知ってるでしょ? 髪の伸びる妖しい人形が送られてきたりするのはしょっちゅうだし、裏に深い森があってね、そこでは夜中の二時になると白い女の人が来て、釘で人形を打ち付けていくの。憎いんだろうね。恋人の奥さんとかを呪っているのかしら。知らないけれどね」

 そう言って微笑む華子の顔は、驚くほどに綺麗だった。頬が紅潮して、瞳が生き生きしている。こいつ、いつもむっつり黙って下を見ているから知られぬけれど、下手したら私より綺麗なのかもしれない。

「私はそういう呪われた血を受け継いだの。だから、私いくらでも殺せるし、殺してあげるよ、美佳ちゃんのためなら」

「……どうして、私のためなの?」

 私が思わず尋ねると、華子はに、と口の端を上げて、目を静かにふせて言った。

「私、美佳ちゃんが好きだから」

 ◆

 私はその日の放課後、家に凄まじい速さで走って帰り、ベッドに飛び込んで荒く息を重ねた。

「美佳ちゃんが好きだから」

 なに、あれ。何あれ。どういうこと? あの女レズなの? それとも純粋に、友達になれそうな意味でってこと? 友情としての好きってこと? いやだいやだ。あんな不気味な女に好かれるなんて。だけれど私も、何であんなこと言ってしまったのだろう。

「ふふ」

 と、一笑に付す予定だったのに。

「そんなに言うならじゃあ、後輩の浪香とか殺せる? 」

 あいつ、私におもねるくせに、裏で男たちと私を暴行する作戦を立てているらしく、ムカつくから。

「やれる?」

「やれるわ」

 私は苦笑しながら肩をすくめた。そんな、即答するようなこと? 話はさらに具体的なものに変じていく。

「どうやってやる? 心臓麻痺でいいの?」

「何でもいいよ。あの女が死ぬなら。でもできれば苦しませて殺せたらいいなー」

 初夏の陽気に汗をかくジュースを干しながら、私は恐怖も薄れて朗らかに華子に述べた。華子も頼られるのが嬉しいのか顎をしきりにひいた。

「あの二年の子ね。わかった。あの子ね」

 あはは。じゃ、と私は踵を返して屋内に戻った。その後でトイレにこもって爆笑した。おかしかった、我ながらおかしかった。何で、あんな奇人の言うことを本気にしているんだろう。あんな話、私と友達になりたいあの女が勝手に嘘ぶいているだけだ。確かに、波香のことはむかつくし、死んでほしいとは心から思っている。だけれどあんな暗い謎な女にあんな風に提案してしまうなんて、われながら、馬鹿。病んでいる。

 家に帰ってオレンジジュースを飲み、ベッドにごろごろしながら、私はうつらうつらして、早くあれを忘れようと思った。あの失態を。あれは夏の昼の夢だ。早く忘れよう、あんな黒歴史。

そう、思っていたのに。次の日の朝方。

「おはよー! 美佳大変っあのバカ波香が死んだって」

 彩香から電話が飛び込んできて、驚いて目を覚ました。夜に携帯を眺めながらうつらうつらして眠ったから、化粧も制服姿もそのまま。昨日のまま。彩香は留守電にそれだけ残して切ってしまい、私は驚きながら何も言えなかったけれど、事実は私のブログのコメント欄に書いてあった。あまりにリアルに、あまりに生々しく。

【お望みを、叶えました 🌸】

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