第19話
「うちのクラスではやらないの?」
ピッツァをつまんだ指を舐めながら華絵は言った。日替わりランチをつつく僕は、訊かれたことがわからない。
「体育館で演奏するのなら、教室でもやればいいじゃん」
「何のこと?」
「出演するんでしょ、文化祭の校内ライブ」
僕が眉間にしわを寄せると、華絵も眉根を寄せた。
華絵によると、文化祭の初日には演劇部の発表と吹奏楽部のミニコンサート、二日目にはバンドコンテストが行われる予定で、それ以外の体育館が空いている時間ならばステージを自由に使用できるのだそうだ。
今のところ、活動が定かでなかった、というよりも存在すら知らなかった合唱部と、数組のダンスグループが出演を予定しているらしいのだが、彼らに混じって、僕と海雪の名前で提出された申し込み書があったというのだ。
困ったように笑いながら両肩を上げ、空いたグラスを持って席を立った華絵のお団子ヘヤーを見ながら、僕は箸を置いた。こんなことを企む奴は、あいつしかいない。
俺ら、文化祭で演奏するわけ?───
テーブルの上で携帯電話をタップする。
「知らなかったなあ、ふたりにそんな特技があったなんて」
琥珀色のグラスを片手に戻ってきた華絵は、ストローをくるくる回して言った。ついさっきまで、明日から始まる夏休みをどう過ごそうかと考えていた僕は、苦笑いと溜め息を同時に漏らす。
予備校が休みの日には昼まで寝て、顔も洗わず髪も梳かさず、一日中だらしない恰好をして、夜は遅くまで起きていようと思っていたのに……。あの、でっかいチョコレートが、眼の前にぼわんと蘇る。
「海雪は結構上手いよ、すげえカッコいい。かなり甘いけど」
「本当? いっつも、ぶすっとしているくせにい?」
「あれは、いつもの五割増しだな」
「あ、わかった。普段は目立たないのに、ユニフォーム着たらカッコよく見えちゃうサッカー部みたいなやつだ。楽器演奏していると、よく見えちゃうっていう、ね」
屈託なく笑うと、グラスの氷がカランと鳴る。
「それより、華ちゃん。夏期講習はどうすんの?」
「それは、今日、体験してから決める」
華絵は文化祭の方が大切なのか、けろりと答えると、サラダをサクサクくちに運んだ。せっかくだから入塾してほしいのだが、紹介料として図書カードがもらえることは言わないでおこう。
今頃、海雪は僕のメッセージを読みながら、いつものように前髪を搔きむしっているだろうか。シャツのしわをのばすふりで、ざわざわと騒ぐみぞおちを掴む。
華絵と共にファミリーレストランを出ると、太陽はけらけらと大笑いを降り注いでいた。
午後六時のショッピングモールは、夏休みということもあってか、親子連れが多く賑やかだった。エスカレーターで三階まで上っていくと、演奏方法が解らない打楽器の展示されたショーウインドウが、徐々に眼に入ってくる。
店内には、まず手軽な電子ピアノが並び、奥に進むにつれ、アップライトピアノがちょっと気取った様子で置かれていた。一段高くなったスペースには、近隣の住民が手を出すことはないだろうクリスタル製のグランドピアノが展示されている。
壁のショーケースに陳列された管楽器を横眼に、硝子戸で仕切られたギター売り場を過ぎると教本専用売り場に出た。棚の前で楽譜を広げる海雪を見つけ、後ろからそっと声をかける。
「その曲、弾きたいの?」
驚いて振り向いた手でめくられた、ラヴェルの連弾用楽譜を眼に留める。
「え? これ弾くの? 〝美女と野獣の対話〟だよ」
海雪はきょろっと僕を見る。
連弾をやりたいと言ったのは海雪だった。「のんちゃんのピアノをもっと聴きたかっただけ」と言ったのに、夏休みの間、海雪の家に行かなければならない理由を作られた。
文化祭の話など聞き流しているものと思っていたのに、しれっとした顔をして抜け目のない奴だ。僕は、嵌められたのだろうか。
「そうじゃなくて……学校でやるんだったら、ポピュラーがいいと思わない?」
開かれた楽譜を見て、ふと浮かんだ考えを言ってみる。
「ああ……そうか……」
「ほら、〝マ・メール・ロワ〟じゃなくて、夢の国の方」
「……ディズニー? あ、ディズニーの〝美女と野獣〟」
「なあ、海雪、今から俺んち来るか?」
やっぱり僕は、嵌められたのかもしれない。でも、もう、いいや。とんでもない魔法を使う、あのチョコレート色のピアノに、もう一度逢えるのなら……。
そうして僕らは、ショッピングモールから五分ばかり自転車を走らせた。
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