第3話 

 旅館では同じ部屋に十人が押し込められた。部屋に入るや座卓を占領しカードゲームを始める奴らがいる一方で、床の間に飾られた生け花の下で参考書を開く奴がいる。皆に背を向けスマートフォンとにらめっこを続ける奴もいる。

「なあ綾瀬、風呂いかねえ?」

 イヤホンを片手にした海雪が、独りの世界へ行く前に、僕は声をかける。

「もう?」

「飯食ったあとだと混むだろ。さっさと行っちまおうぜ」

「ああ、そうか……」

 誘っておきながら、まるで海雪を無視するように、ほぼ貸し切りの大浴場でカラスの行水を済ませると、僕はとっととロビーへと向かった。ちらりと振り返り、少し遅れてついてくる海雪を確かめて、土産物屋で立ち止まる。

 「お土産なんていらない」と玄関先で言った母さんを思い出しながら、六百四十八円のまんじゅうを手に取ると、不意に横から手が伸びる。

「抹茶ソフトのミックスください」

「はい、抹茶ソフト、ミックスね」

 レジ横の食品サンプルを指差した海雪に、土産物屋のおばちゃんは極上の笑顔で対応する。

 パジャマと部屋着を兼ねたスウェットシャツとトレーニングパンツ姿で、海雪はロビーの応接椅子に深く座った。海雪の隣に腰掛けた僕の手には、なぜか、まんじゅうではなくソフトクリームが握られていた。旅館は乾燥しているし、僕は風呂上りだからな。

「なあ、あの部屋に十人って狭くねえ? ひとり二畳だぜ。荷物置けんのかな」

 ロビー内に造られた中庭を眺めていた海雪は、僕の問いに「うん」とだけ答えると、二層のクリームをコーンに押し込むように舐めた。池の鯉がしぶきをあげて何度もぴしゃんと跳ねている。

「部屋割りだけのグループで意味あんのかね?」

 どんな話題に興味があるのか判らない。当たり障りのないところで、この度の旅行について真面目に語ってみることにした。

「自由行動をデートと勘違いしている奴らだっているしな」

「自由行動なんだから……別にいいんじゃないの。俺も……協調性が無い方だし」

 興味なさげに海雪は言う。

 なにが、「無い方」だって? おまえの場合、「無い」んだよ。

「研修目的でもあるんだぞ。春休み中にレポートも書かなくちゃいけないのに……」

 僕のくちからソフトクリームの混じった唾が飛ぶ。

「鮎川って……思っていたより真面目なんだね」

 ああん? 気を遣って話してんだよ。だいたい進学校の奴らなんて、うわべだけ仲良くしてりゃあいい、と思っているのが大半だろう。学校のイベントは面倒くさいだけだし、旅のレポートなんて、どうせ評定に影響しない。大真面目に取り組むだけ損じゃないのか。

 僕はソフトクリームのコーンをパリパリかじった。

「あのさ……鮎川は? いるの?」

「何が?」

「彼女」

「はあ?」

 そんな質問が向けられるとは思わなくて、けほん、と咽る。そっちの話題の方が食いつきがいいのか。

「はあ、残念ながら……。綾瀬はどうなの。彼女いるの?」 

「いないよ、今は」

「……ってことは、前はいたんだ……ふうん……」

 見た目はともかく、海雪が女の子相手に何を喋るのかが想像できなかった。怪訝そうに眉間にしわを寄せ、海雪は僕を窺っている。

「じゃあさ、今は?」

「え?」

「フリーなんだろ。だったら好きな子……じゃなけりゃ……気になる子はいるわけ?」

「……それは……」

 いいぞ、いいぞ、この反応。

「駄目、教えない。絶対に言わない」

 海雪は顔を上げてきっぱりと言った。なんだ、その答え。それは〝いる〟ってことじゃないか。

 やっと修学旅行らしい会話になってきた。これで、夜、怪談なんてやったら完璧だと、心の中でガッツポーズを決める。

 なんだ、普通だ。ヤマアラシの毛皮でも羽織っているのかと思っていたのに、案外、普通。身構えていたのが馬鹿みたいだ。

「のーんちゃん」

 5センチほど海雪に近づけたかな、としみじみ感じ入っていたら、シッポをふりながら駆けてくるチワワのような女の子が僕に笑いかけた。胸の前に挙げられた手で小さな袋をふりまわしている。包装紙で作られた小袋には〝コイのエサ〟と書かれている。コーンの残りを全部くちに圧し込んで正面を指差すと、彼女は応接テーブルの上に靴の踵がふわりと浮くくらい深くソファーに埋もれた。

「華ちゃんたち、どこに行ってきたの?」

 海雪とのぎこちない会話から解放された僕は、喉がからからに渇いていた。上あごにコーンが貼り付く。

「焼き物体験。湯呑み作ったんだよ」

 華絵は応接テーブルに買ったばかりの土産物袋を置いて、僕と海雪をかわるがわる見ると、小首を傾げてニンマリ笑う。

 「珍しいね……」と言いかけてから親友の姿を見つけたらしく、「りおー、こっち、こっち」と〝コイのエサ〟を頭の上でかさかさゆらす。

「面白そうじゃん。それって、後から送ってくれるの?」

 などと言ってみたけれど、僕は焼き物にそれほど興味があるわけではない。

「そう、出来上がりが楽しみだなあ」

 満足そうに答えた華絵は、渇いた咳をしながらそっぽを向く僕から、敏感にそのことをすくい取っただろう。

 華絵の声に振り向いた璃央は、笑顔の大盤振る舞いを止めようとしない土産物屋のおばちゃんから華絵と同じ小袋を受け取ると、肩から落ちたロングヘヤーを耳にかけながら、颯爽とこちらに向かってきた。

「おや、珍しい」

 土産物をテーブルに置き、華絵と同じことを言う。今までろくに喋ったこともない奴とふたり並んでいるのだから、それが素直な反応なのだろう。海雪はハムスターのようにぽりぽりコーンをかじりながら、そんな璃央を上目遣いで見ていた。

 璃央はテーブルには着かず、そのまま池に近寄った。投げ入れた餌に、泡を吐きながらくちを大きく開ける鯉が、水から這い上がってきそうな勢いで群れてくる。それを見た華絵が、「あたしも」と立ち上がり餌を撒く。

「あれ、ソフトクリームのコーンだよな。あれで百円って高くねえか」

 海雪に言うと、底までしっかりクリームが詰まったコーンをまだぽりぽりがじりながら頷いた。

「今日は、ふたりでどこに行ったの?」

 小柄で幼く見える華絵とは対照的に、長身で細身の璃央はハスキーヴォイスと相まって高校生に見えなかった。もちろん制服を着ていないせいでもある。が、璃央は制服姿でも偶に〝イケナイ〟雰囲気を醸し出している。いいや、制服姿こそ〝アブナイ〟気がする。

「水族館」

 抑揚のない声で、璃央の問いに海雪が答えた。



 夜は怪談でそれなりに盛り上がるかと思ったけれど、どいつもこいつも表面をさらう付き合いが得意なようで、好き勝手に過ごしていた。そもそも、震え上がるほどの怪談を僕は知らない。

 但し、海雪にはその方が都合がよいらしい。いつもなら、授業が終わればさっさと帰宅すればいいけれど、今回だけは皆と時間を共有することを我慢しなければいけないのだから。蒲団の上で輪になって怪談なんて、苦行に近いのかもしれない。

 翌日の予定は、歴史資料館での戦争体験談が始まる時間のみが、旅行のしおりに記されていた。僕たちは、市街の観光スポットを自由に行動すればいいことになっている。親戚宅への訪問も許されている。

 先生たちが楽をしている、という意見もあるけれど、監視の眼が無いことは精神的にはありがたい。各々が責任を伴うことでもあるけれど。

 僕は市電とバスを利用して、楽しみにしていた科学館のプラネタリウムを見学し、昼飯を食い、幾つかの観光名所を訪ねた。あちらこちらで知った顔とすれ違っては、まるで久しぶりに逢ったかのように挨拶を交わした。当然、海雪とふたりでだ。そして歩き疲れ、ホテルのツインルームで早々と眠りについた。

 結局、僕は二泊三日のほとんどを海雪と過ごした。すべて、出席番号のせいで。

 帰りの新幹線では、誰も彼もが眼を閉じていた。予算削減のための強行日程だったから、皆疲れたのだろう。僕もひと眠りしようとシートを倒したら、ぽんっと膝を叩かれた。

「お土産」

 ひと粒のお返しにしては多いけれど、世話係の報酬として、海雪が僕の膝に置いたアーモンドチョコレートは貰っておくことにした。

 

 

  

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