第13話 未来に何を詰めたい?
「蒼音。」
「みい。早かったんだな。」
「うん。終わってからすぐ来た。」
昼休みに見せていたようないつもの屈託のない笑顔。
よかった。
メールでは様子がおかしかったから心配してたんだ。
「退院。出来るんだね。明日?」
「ああ。明日の朝には。」
今日は金曜日。
明日は学校も休みだし、入院中の着替えやらなんやらもけっこう嵩張ってるし、ハカセと聡にでも迎えに来させてやろう。
「これ、一応今日の分のノート。」
「ごめんな。わざわざ君に届けてもらったりして。さんきゅ。」
実際、みいに聞いてたらけっこう生徒会長は忙しい。
名前だけ掲げてりゃ、周りが色々とやってくれて、その承認や最終決定をすればいいだけかと思ってた。
でもみいは、わりと細々とした地道な仕事までしていた。
危険箇所のチェックとか、部活動の備品購入リスト作成、外トイレの掃除までこなしていた。
なんでだよ。
「いいの。私がそうしたかった……ううん。……あなたに逢いたかったから。」
「ありがとう。君にそう言って貰えたらなんか自分が特別なヤツになった気がするよ。なんたって女王…なんだろ?」
「もぉ。やめて!」
「はは。ごめんごめん。」
よかった。笑えてる。
心配なかったかな?
みいは笑ってる時が一番綺麗だ。
「…あなたは特別よ? みんなにとっても。……私にとっても。」
みいがまたあの少し哀しそうな笑顔になる。
よく見ると、なんだか震えてる…?
右腕で身体を抱いて、震えを押さえてるように見える。
「みい? ちょっと近くに来て?」
「え?………」
「ここ。隣に座って?」
俺はベッドのまん中にあぐらをかいていたので、少し寄ってみいの場所を作り、俺の隣をたたいた。
みいは恥ずかしそうにしながらもそばに来ると、俺に身を寄せる様にしてちょこんと座った。
膝に両手を置いてうつむく彼女の右側に、同じ様にベッドから足をおろして座って、左手で彼女の頭をそっと俺のほうに倒した。
「え……?」
俺はみいの頭を胸に抱きながら、ゆっくり頭を撫でて言った。
「怖いんなら、いいよ?言わなくても。どうであれ、俺は変わんないんだから。」
みいは少しのあいだ、俺に身体を預けたまま微かに震えていたけれど、震えが次第に消えていき、俺を見上げた。
端麗な、ともすれば上村松園の絵画から抜け出したかの様な、妖しげで儚げな美しさを持つこの少女は、俺をその潤んだ茶色の瞳に映して、ゆっくりと話し始めた。
****************
「ねぇ。これ。何だかわかる?」
みいは綺麗な黒髪をかきあげ、美しい首筋を見せる。
小さな耳、白く透き通る首、夏服の薄いブルーのシャツからのぞくみいの、思いの外グラマラスな胸元にドキドキしながら、素直に感想が口をついた。
「う……わ。綺麗…だ。」
瞬間。みいの首や顔が真っ赤に染まり、慌てて髪を下ろして頭を抱える彼女。
「もっ もぉ!違う‼」
「ご…ごめん。つい。綺麗だったから。ごめん。」
そろそろと身体を起こした彼女は、紅い顔でちょっと俺を睨んでから、今度は小さく髪をかきあげて、俺に見せた。
「……耳。よく見て?」
可愛らしい小さな耳だよ…な?
…え………?
「何だかわかる? それ。補聴器なの。」
よくよく見れば、耳の奥のほうに、透明なタグみたいなものが見えた。
近づいて見ないとはっきり分からない。
「…やん。息 かけないで?くすぐったい。」
「ごっ ごめん。」
息をかけないようによく見れば、なるほど、透明なタグの先に丸いイヤフォンみたいなものが見える。
俺らミュージシャンは馴染みの深い、イヤーモニター。通称イヤモニみたいなもんか。
「これが補聴器?小さいな?」
「そうでしょ?CIC補聴器って言うの。外からじゃほぼ分からないでしょ?」
「ほんとに。言われなけりゃ気づかないよ。でもさ。やっぱり君は聞こえてなかったんだ?」
みいが振り向いて目を丸くする。
「うそ?! 気づいて…たの?」
俺は首を振って答える。
「いや。はっきりとは分かんなかったよ? 今補聴器を見た時に、今まで感じてた違和感がぜんぶ晴れた。あぁ。あの時もあの時も、聞こえてなかったからだったのかってね。」
「そうだったの…。そんなに違和感あった?」
「少なくとも俺は気づいたよ?」
みいはうつむいて少しだけ嬉しそうに顔を染めてから、俺に向き直った。
「小さいときにね。お風呂で沈んでたんだって。
お父さんが発見した時にはもう心臓も止まってたそうよ。
でも、奇跡的に命はとりとめた。
だけど…障害が残ったの。それがこれ。聴覚障害。」
彼女はまた哀しそうに笑う。
「最初はね。軽かったの。
ちょっと耳鳴りがしてて、話し声が聞きにくいくらい。
それが、小学校に上がると、大声で話してもらえないと聞こえなくなった。
いろんなお医者さん行ったわ。
お父さんもお母さんも必死で駆け回ってくれた。
でも、治せなかった。どんどん悪くなっていったの。
小学校ではずいぶんといじめられた。
そのことは今でも夢に見るくらい。
どんどん聞こえなくなるのよ?日に日に悪くなる。怖くて怖くて……
いじめられるのは当然だ。私がみんなに合わせなきゃ。頑張って嫌われないように。頑張ってなんでも出来るようになれば、誰も私をガイジなんて呼ばなくなる。頑張ってみんなを助ければいい。頑張ればお父さんもお母さんも笑える。
音の無い世界って、想像出来る?
耳鳴りはするの。ボーって。ずっと鳴ってるの。それだけ。
目が見えないのと同じ。
私は暗闇にいつも居るの。ひとりきりで。
そのうち、世界にたった独りなんだって思えてくるの。
私はガイジだけど、普通の健聴者と同じ学校に行ったわ。お父さんの仕事にも迷惑はかけたくないから。
だから、普通に健聴者たちと同じ様に、それ以上になれる様に努力した。先生たちにも気を遣われたくないから健聴者のふりをした。
中学時代はそうやって頑張って乗りきれた。
高校は、成績も良かったし、推薦もいろいろ戴けてたけど、遠くの公立校を選んだ。同じ中学出身者がいないし、校長が私の叔父だから。
何かとフォローをしてくれてるの。
あなたの件でもそう。
そして、副生徒会長の樫見ゆかりは唯一私を知ってる。彼女は小学校時代から唯一私の理解者なの。頼ることはしなかったけどね。でも、優しい子よ。
出来ることは独りでずっと頑張って来たわ。
でも、どんなに頑張ってもこれだけは変わらない。
私の耳はいつか必ず聞こえなくなる。
徐々に暗闇が拡がってくの。
補聴器も万能じゃない。読唇術を習って、唇を読めるようになったけど、やっぱり不意にかけられた声には対応出来ないの。」
「それで君は俺の顔をジッと見てたりしたのか。」
「ふふ。ごめんね。
あなたの言葉は一言だって聞き逃したくなかったから。
ずっと頑張って、ずっと独りで乗り越えて来て、少しずつ広がる暗闇に脅えて、何も聞こえないし届くことがないと思ってた私の奥に、突然光が差したの。
あたたかい。すごくあたたかい光が。
それがあなたの音だった。
最初はね。
胸を撃たれたかと思った。
重い痺れる様な痛み。
それが音だって気づいたのは、音楽室前の廊下を埋めつくして踊ってる、先生や生徒を見てからだった。
あぁ。軽音部の…って考えて、気づいた。
バンドとかの音楽を、私は騒音としか認識出来ないの。
補聴器をハウリングさせる嫌なもの。
たぶん補聴器を使ってる他の聴覚障害者も同じ事言うわ。
恐いのよ。強弱が強すぎるの。
それが、あなたの音はぜんぜん違った。
ちゃんと、心地よい音楽だった。
もっと聴きたい。
そう思った。
初めてだったの。
音楽に触れたと感じれたのが。
音楽が、こんなに綺麗なものだったなんて。
俺はここだ。
俺の音はここにある。
って叫んでた。
その音は、私のこの役に立たない耳を通り越して、
真っ直ぐに胸の一番奥にまで届いた。
その音を聴いてたら、私が今までしてきたことすべてが、報われた気がしたの。
胸の中のわだかまりや、しこりをかき回して、外へ投げつけてくれた。
健聴者が、障害者がなんだって。
お前をしっかりと生きろ。
今をちゃんと生きていけって。
あなたがくれたの蒼音。
あなたが私に、自分と向き合う勇気をくれたの。
だから、私は、真っ直ぐに生きる。
みんなにも言おうと、思う。
すぐには出来ないかもしれないし、挫けてしまうのかもしれないけど、
私は、私の未来に、希望だけを詰めたい。
私の未来を、本物の足で歩くわ。」
泣きながら、でも、俺を見て強く話していた彼女は、穏やかに微笑んで
、俺の胸にもたれた。
少しのあいだ、彼女の頭を撫でていた俺は、彼女を抱きしめて耳元で言った。
「すごく遠くから歩いてきたんだな。
よくひとりきりでがんばったね。
これからは、君の人生のそばで、いつでも俺の音が聴こえるように、
俺が一緒に頑張るよ。」
みいは俺の胸から顔をあげると、目にいっぱいの涙を溜めて、言った。
「……もぉ もぉぉ。 もぉぉお‼ 怒った!がんばってたのに。
すごい…すごくがんばってたのにぃ‼
なんでそういうこというの‼ 泣いちゃうじゃない!
バカ……!バカぁあ!!」
それから一時間ほど、みいは泣き続けた。
力いっぱいに、声が枯れるほど、
俺の腕の中で小学生のみいは泣き続けた。
だから、俺はずっと
その小さな背中を撫で続けた。
俺の胸に彼女の耳を押しつけて、俺の鼓動の音が彼女に届くように。
彼女が迷わずにちゃんとここに帰れるように。
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