3. こわいような夕焼けが夜に飲み込まれていったとき、微かに油のにおいのする美術室で一つだけ残った薄皮クリームパンについての話
喧騒が遠い。
「みんな元気だなぁ……」
描きかけのキャンバスから視線を外して、窓から校庭を見下ろす。
文化祭の全行程が終了し、残す後夜祭に向けて生徒たちがざわざわしている。先生たちも、どこか浮き足立っているように見える。
本当は美術部として展示するはずだった絵は結局間に合わず、今も私の目の前に鎮座している。
筆が乗らない。
何を生意気なことを、と我ながら思うが、事実だから仕方ない。諦めて布を被せ、今からでも後夜祭に顔を出すかと立ち上がって振り返って、思わず固まった。
「久し振り。」
吸血鬼がいる。
黄昏に沈む瞬間の太陽色の瞳。
見知ったはずの幼馴染が、見知らぬ色の目でこちらを見ている。
というかここ最近全然学校にも来てなくて一応、ほんとに一応心配をしてやっていたというのにピンピンしてるしその気楽さは一体何のつもりなんだ。
色んな疑問と畏れと怒りがないまぜになって咄嗟に動けない私に向かって、奴は悠々と近付いてきて気安く私の頭を撫でる。
「元気だった?」
「……それはこっちのセリフだわ……」
割と地の底から響くような声が出た。自分で想像してたより、私は怒っていたらしい。
「誠に申しわけございません」
「別に土下座とかいらない……座れば?」
プライドを感じさせない流れるような土下座に、流石に冷静になってしまった。そうだ、こいつはあっさりプライドを手放せる奴だった。
適当に椅子を顎で示してやると、彼は若干離れた位置にある椅子に腰掛けた。
「……で? 文化祭も終わって残す後夜祭ももう始まってますけど?」
「……日中、外出するのが辛くて」
じっとりと見つめる私に誤魔化すつもりはないのか、あっさりと吐露する。
ずっと理由を考えていたけれど、結果を見てしまえば至極当たり前のことにも思える。
「本当にそうなのね。……偽物じゃ、ないのよね」
「本当だよ。こんな薄暮色のカラーコンタクトなんて作ってもらえるわけないからね」
「薄暮色?」
「僕が勝手に名付けただけ。『黄昏に沈む瞬間の太陽色』なんて長いだろ? 確かにそうとしか言いようがないんだけどさ」
「なるほど」
薄暮色。
口の中で転がしてみると、なるほど収まりがいいように思えた。
「ねぇ、吸血鬼ってさ、どこまで吸血鬼なの?」
薄暮色の瞳を持つ者が吸血鬼。そうでなければ、どれほど物語に出てくる吸血鬼の特徴を持っていようとも、それは吸血鬼もどきでしかない。
私の言わんとするところを正確に読み取った彼は、私から視線を逸らす。
「ま、みんながみんな物語のような吸血鬼じゃないよ」
……目は口ほどに物を言う、なんてレベルじゃないよもう。分かり易すぎるから。
「お腹空いてるんだったらこれあげるけど」
お昼ご飯の残りのクリームパンを差し出す。彼の白い指がそれをつまみ上げて、「ありがとう、これ美味しいよね」なんて温度のないセリフを吐き捨てる口へと放り込む。
何の感慨もなさそうなその顔に、あぁ本当の本当に変質してしまったのだと、ようやく納得した。
最後の一個を奪い合っていた彼は、もういない。
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