校長先生の話

 僕が通う余所見よそみ中学校に在校する、あらゆる学年と学級の生徒が体育館に集合していた。


 早い話が全校集会だ。


 僕らはまっすぐに整列して、壇上で話をしている校長先生の声に耳を傾けている。厳密には耳を傾けているふりがほとんどだろうけど。


「生徒のみなさん、ごきげんよう。私が校長です」


 改めて言わなくても。


「生徒のみなさん。私は校長です。そして、校長以上でも以下でもありません。それが現実です」


 校長先生の話は、かなり中身がない。


「今日は、私がいかにして校長になったかということを、今から数時間かけて説明しようと思いましたが、時間の都合で十分ほどでまとめます。ええ。まず――」


 どれほど中身のない話であろうと、私語をしていれば、監視員のように見回っている先生たちに怒られる。

 だから、みんな大人しくしていた。


〝芯条くん、芯条くん〟


 僕の名前を呼ぶ声がする。

 僕の隣の列に整列している女子、沙鳥の声だ。


〝芯条くんってば〟


 先生たちが目を光らせているのに、なぜ堂々と沙鳥が僕の名前を呼べるかというと、沙鳥の声は僕にしか聞こえていないからだ。


 僕と沙鳥はテレパスと呼ばれる超能力者で、声をださなくても頭の中だけで言葉のやり取りができる。


〝芯条くん〟


 テレパス同士だからって、会話しなきゃいけないわけじゃない。第一、今は校長先生の話を聞く時間だ。


〝芯条くん?〟


 返事なんかしないからな。


〝……芯之条くん?〟


〝誰だよ〟


 微妙に名前を間違えられて、思わず反応してしまった。


〝やっぱり、芯条くんですよね〟


〝今さら?〟


〝返事がいただけなかったので、ひょっとしたら今まで間違えて名前を呼んでいて、その鬱憤が溜まってすねてしまったのかと思いました〟


〝芯条です。間違いなく〟


 勝手に一文字足すな。


〝でも『芯之条くん』って響き、なんだか格好いいですね〟


〝そうかな〟


 たしかに家柄がよくなった感じはある。


〝どうします、改名します?〟


〝なんでだよ〟


 そんな軽いノリで戸籍を変えられるか。


〝それより、芯条くん。ちょっと私、すごいことに気づいたんです〟


〝すごいこと? なに?〟


 僕は聞き返した。


〝あら。珍しく興味しんしんですね〟


〝そこまでじゃないけど〟


〝では、興味ぴゅんぴゅんくらいですか〟


〝なんでもいいよ〟


 正直に言うと集会は苦手だ。貧血気味の僕としては、長らく立たされているのがまずつらい。


 それでも興味の湧く話だったらまだ気がまぎれるんだけど、校長先生の話はまるで中身がないのだ。沙鳥の話の方が、まだましと思えるくらいだ。


 それにひょっとしたら、今、沙鳥の話につきあっておいてあげれば、このあとの授業での妨害がいくらか薄くなるかもしれない。


 校長には悪いが、授業の方が大事だ。


 ごめん、校長先生。

 さよなら、校長先生。


〝私、気づいたんですが〟


 沙鳥は念じてきた。


〝校長先生の声って〟


 さよならを告げた校長先生がもう戻ってきた。


〝誰かの声に似てません?〟


〝誰に?〟


 有名人とかってことだろうか。


〝それがですね〟


 沙鳥は念じてきた。


〝思い出せないんです〟


〝さっき「すごいことに気づいた」って言わなかった?〟


〝思い出せたらすごいはずなんです。誰でしたっけ?〟


〝さあ……?〟


〝芯条くんも、死ぬ気で考えてください〟


〝こんなことで死ねるか〟


〝誰の声に似てると思います?〟


 沙鳥がそう言うので、僕は校長先生の話に意識を集中した。



「――私が初めて校長という言葉を知ったのは、小学生のときで――」



「――その夕焼けを見たのが、中学二年生のとき。このとき私は、自分がいつか校長になるなどと思ってもいませんでした――」


 

「――しかし、高校二年の夏休み。ぬるくなったサイダーを青空の下で飲み干し、私は思ったのです。あ。ひょっとしたら教頭くらいにはなるかも――」



「――そして、大学二年のとき、私は校長という存在を、いっとき完全に忘れていました。当時はそういう世相だったんです――」



「――校長とは何なのか、私はさびれた喫茶店で、コーヒー一杯だけで何時間も友人と議論したものです。懐かしいな、あのシベリアの味――」



「――校長。上から読んだら校長。下から読んだらうよちうこ――」



「――うるせー。校長って言ったほうが校長なんだよ――」



「――校長こちょこちょみこちょこちょ。あわせてこちょこちょむこちょこちょ――」



「――ふっ、そっちは校長じゃない。ただの教頭さ――」



「――全国で一番早い校長の収穫が、愛媛で始まりました――」



 ……。


 思っていた以上に何の中身もないな。


 真顔で何を熱心に語ってるんだ、校長先生。誰も聞いてないのをいいことに適当にしゃべってるのか?


 それとも最初からちゃんと聞いてたら、この訳のわからなそうな話にも、一貫性があったのだろうか。


「――ですからいずれはこの私も、校長の星に帰らなければいけません」


 いや、たぶん適当だなこれ。


〝芯条くん〟


 しまった。

 誰の声に似てるか、たしかめなきゃいけないんだった。


〝シベリアってどんな食べ物ですかね。じゅる〟


 沙鳥の食い意地発動。


 ただ先生の声を聴くだけじゃなくて、珍しく話の中身までちゃんと聞いてたんだな。普段の授業からそうしてくれ。


〝じゅるじゅる。それはさておきです〟


 沙鳥は脳内よだれを抑えて、念じてきた。


〝誰の声に似てると思います?〟


〝そうだな……〟


 どんなに聞いても、普通のおじさんの声だ。普通の校長先生の声。それ以上でも以下でもないと思う。


〝ちなみにです。私が思うに〟


〝うん〟


〝あ。『思うに』って『生うに』と似てますね〟


〝食欲はいったん置いておこう〟


〝じゅるじゅる。私が思うにたぶん、何かのテレビの、ナレーターさんだと思うんです〟


〝何の番組?〟


〝私にそれがわかるんだったら、芯条くんの存在なんて必要ないです〟


 僕の人生とは。


〝うーんです。あれですよ、あの番組〟


〝食べ物の番組とかじゃないの?〟


 沙鳥のことだから、どうせそうじゃないのか。


〝そうそう、そうです。動物番組です〟


 違うじゃんか。

 食べ物番組と動物番組を同一視していたらまずかろう。


〝じゃあ、動物バラエティーとか?〟


〝うーんです。ドキュメンタリー要素とスポーツ要素もあったような気が〟


 どんな番組だ。


〝あと、これは自信ありますけど、カラーでした〟


〝そりゃそうだろ〟


 なぜモノクロを選択肢に入れたのか。


〝でも、これ以上は思い出せそうにないです〟


〝手がかり曖昧だな〟


〝どうします、もう本人に聞きます?〟


 沙鳥が無茶な提案をしてくる。


〝だめだよ〟


 全校集会の最中に、校長先生の話をさえぎる横暴を犯す度胸はない。それに、リスクと引き換えに得るものがどうでも良すぎる。


〝しょうがないです。では、この事件は迷宮に突入ですね〟


〝元気に迷い込んだな〟


 そして別に事件でもない。


「――私は現役最後の校長として、三百年後の復活に備え――」


 校長は相変わらず中身のない話を、まだしゃべっている。


 ……。


 ここまで話題にされると、誰の声に似てるんだか本当に気になってきたな。あとで、第三者の意見も聞いてみようか。


〝沙鳥。僕はわかんないけど、あとで句縁あたりに聞いてみるよ〟


〝くえん?〟


〝ほら。この前、ドラマの話してた小さいやつ。あいつテレビ好きだから〟


〝ああ、柿月さん……〟


 やや間があって、沙鳥ははしゃいだ様子で念じてきた。


〝ああっ!〟


〝なんだよ?〟


〝わかりましたよ! 芯条くん。思い出しました〟


〝急に?〟


〝あれです、あの人の声に似てるんです〟


〝誰?〟


〝あのドラマの語り部の人!〟


 沙鳥が句縁の名前で思い出すドラマといえば。


〝前に句縁が話してた沖縄のやつ?〟


〝ですです。沖縄のやつ!〟


 えーっとつまり。


〝動物でもバラエティでもドキュメンタリーでもスポーツでもないけど〟


〝ちゃっかりミスです〟


 ミスならうっかりしてくれ。


〝いやー、助かりました。あとで柿月さんにお礼言っておいてください〟


〝やめとくよ〟


 突然お礼言われても困ると思う。


〝いやー、わかってよかったですね〟


 あのドラマの語り部の声、校長先生に似てるのか。こんな普通のおじさんみたいな語り部でいいのか。ドラマよ。


「――まだまだ話は尽きませんが、そろそろ時間なので終えましょうか。校長からの話は以上です。校長、完」


 疑問が解決したところで、やっと校長先生の話が終わった。


「あ、最後に校長から一つだけ。最近、今やってる沖縄のドラマのナレーションに私の声が似ていると言われますが」


 へ?


「あれは私ではありません」


 そりゃそうだろ。


「校長といえど、そこまでマルチな才能はないのです。買いかぶらないように」


 何言ってんだ。


〝なーんだです。違うんですか〟


 沙鳥ががっかりしている。本人だと思ったのか。


〝たしかに、本物はもう少しツリ目さんですもんね〟


〝ナレーションの話じゃなかったっけ〟


 しかし、まさか僕と沙鳥でさんざん考えて出した結論をあっさり言ってしまうとは。最初からその話をしてくれれば時間を無駄にせずにすんだのに。


「では、校長からは以上。終劇」


 今度こそ校長先生の話が終わった。


 壇上から校長先生が去ると、集会の進行役を務めている英語の先生がマイクを口元に構える。


「校長先生、ありがとうございました。それではねくすと。つづいては――」


 先生はいつもの怪しい英語をまじえながら言った。





「――校長先生の話その二です。りっすん」





 集会はまだ終わらない。

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