つまり、雑念の沙鳥さん。

関根パン

初夏

心理テスト

 教室では女の先生が黒板をチョークで叩く音、生徒たちがノートにペンを走らせる音、教科書のページをめくる音が響いている。


 今は英語の授業が行われている。緊張感があふれていなければならない、授業中なのだ。


 でも――





〝芯条くん、芯条くん〟





 ――僕にだけは緊張感のまるでない女子の声が聴こえる。僕の斜め前の席の女子、沙鳥の声だ。


〝芯条くん、芯条くんってば〟


 放っておけば、沙鳥はずっと僕の名を呼び続ける。僕は仕方なく返事をすることにした。


 ただし、声で返事をするわけじゃない。


〝なんだよ、沙鳥?〟


 頭の中で返事をする。


 僕と沙鳥は、頭の中で念じるだけで言葉のやり取りができる超能力者、いわゆる『テレパス』なのだ。


 でも、今は授業中なので、できれば静かにしてもらいたい。


〝芯条くん〟


 僕の願いをよそに、沙鳥は今日も僕に話しかけてくる。


〝暇ですね〟


〝暇じゃないよ。授業中だろ〟


〝そうでした。でも、なんかみんな黙っちゃって寂しくないですか?〟


〝授業中だからな〟


〝ちょっと心理テストでもしません?〟


 沙鳥は、人の話を聞かない。いや、人のテレパシーを聞かない。


〝心理テスト?〟


〝うん。きのうテレビでやってたんです。この心理テストをするとその人が頭の中で考えてることがわかっちゃうんです〟


〝それって……僕ら、もうできてるんじゃないかな〟


 というか、今していることがそうだ。


〝言われてみればそうかもですね〟


〝だろ。だからこの話はおしまい〟


 後ろ姿を見る限り、沙鳥は大人しく机に向かって、黒板の英文をまじめに写しているように見える。


〝えー。芯条くんの心理あばきたいです〟


 だが、本当は全力で授業をさぼっていた。


〝芯条くん。このチャンスを逃したら、次にいつ心理テストができるかわかんないですよ?〟


〝いつでもできるだろ〟


〝人間、いつ心理テストのできない体になるかわかりませんし〟


〝心理テストのできない体ってなんだ〟


〝どうせ芯条くんのことだから、心理テストがいつでもできるような体を保つこと、普段から心がけてないでしょう?〟


〝がける必要ないからな〟


 沙鳥は心がけているのか?


「はい、では次に進みましょう」


 そうこうしているうちに、テレパシーでなく現実の先生の声が聞こえた。もちろん、頭に直接ではなく耳にだ。


「ねくすとぺいじ――」


 英語の先生は、英語の先生のくせに発音がなってない。


 ……。


 つーか、いつのまに次のページへ?


 沙鳥とテレパシーで話しているあいだ、僕は授業に集中することができない。


 怒られないように教科書を見ている振りはするけど、意識は沙鳥との会話に向けられてしまうから、ちっとも先生の話が頭に入らないのだ。


〝沙鳥。もうすぐ中間テストだしさ。僕、ちゃんと授業受けたいんだよ〟


〝ちょっと芯条くん? 心理テストと中間テスト。どっちが大事なんです?〟


〝中間だよ〟


〝では仕事と恋人、どっちが大事です?〟


〝どっちも今持ってないよ〟


〝あなたが森の中を歩いていると、茂みから小さな動物が顔をだしました。その動物はリスとウサギ、どっちですか?〟


〝さらっと心理テストはじめるなよ〟


〝正解はリスでした〟


〝正解とかないだろ。心理テストなんだから〟


〝……芯条くん……〟


 沙鳥は声の、いや、念のトーンを少し落とした。


〝……私は今、あなたの脳に直接話しかけている……〟


〝ずっとそうだったろ〟


 何を今さら。


〝きょうは私、朝からどうしても誰かの心理をテストしたい気分なんです〟


 どんな気分だ。


〝心理をテストしたい気持ちがあふれ出すぎて、今にも寝てしまいそうなんです〟


〝寝なよ、じゃあ〟


 存分にぐっすりと。


〝僕は授業に集中するからさ〟


〝むむ、しょうがありませんね。わがままな芯条くんのために、ここは一つ、私が折れましょうか〟


〝誰がわがままだ〟


〝心理テスト、一応、十個くらい考えてきたんですが、全部とは言いません〟


 考えてきた、ってオリジナルなのか? しかも十個も。


〝忙しい芯条くんの意見を聞き入れて特別に今回は……そうですね。十個で手を打ちましょう〟


 聞き間違い。いや、念波の受け取り間違いかな。


〝数、減ってないけど〟


〝ちっ、気づいたか小僧め〟


〝小僧って〟


〝それじゃ流血大サービスで、1個でもいいです〟


 少しでもつきあってあげないと沙鳥はこのテレパシー雑談から解放してくれそうにない。僕はしぶしぶ折れることにした。


〝じゃあ、一個だけな〟


〝わーいです〟


〝あと流血じゃなくて、出血な〟


〝わーいです〟


 なぜ喜ぶ。


〝では、さっそく始めます〟


 沙鳥はナレーションのような口調で念じはじめた。


〝あなたは今、ポプラが並ぶ通りを歩いています〟


〝ああ〟


〝そして、その中の店舗の一つに立ち寄りました〟


〝……そっちのポプラなの?〟


〝あっちのポプラです〟


 どっちだ。


〝ポプラが並ぶ通りって、同じコンビニが何軒も並んでる道なんかないだろ〟


〝広島なんじゃないですか?〟


〝広島にもそんなないと思うけど〟


 つーか、発祥の地をよく知ってたな。


〝さてさてです。あなたはコンビニに入ると、まず何コーナーに行きますか?〟


 ポプラである必要はあったのか。


〝さ、何コーナーですか?〟


〝うーん。ATMかな〟


〝えー〟


〝えー、って言われても〟


〝では、そのATMは……〟


 沙鳥は言った。


〝何の略でしょうか?〟


 これって心理テストか。


〝何の略かは知らないけど〟


〝正解はAutomated Teller Machineでした〟


 無駄にいい発音。テレパシーだけれど。


〝いや、だから心理テストに正解とかないだろ〟


〝芯条くんが、まさか言葉の意味も知らない場所へ真っ先に向かう気だったとは驚きです〟


〝いいだろ別に。お金おろしたいんだよ〟


〝ふーんです。そうですか。真っ先に向かう場所はATMですか〟


 沙鳥は納得した様子の念を送ってきた。


〝教えてくれてありがとうです、芯条くん〟


〝ああ〟


 それきり、沙鳥のテレパシーは途絶えた。


 ……。


 …………。


 ………………。


 ………………えっ、終わり?


〝あの、沙鳥さん?〟


 思わず僕が念を送ると、沙鳥は返事を返してきた。


〝あ、もう邪魔しないですから安心してください。授業に集中集中です。えー、なになに、ケンはメアリーと口けんかをして――〟


〝いや、沙鳥〟


〝口論の末、ケンは大理石の灰皿でメアリーのこめかみを――〟


〝教科書にそんな英文ないだろ〟


〝ちょっと芯条くん。授業の邪魔ですよ〟


〝えー〟


 どの脳がそれを言う。


〝心理テストは1個だけって約束じゃないですか〟


 なぜ僕の方がたしなめられているんだ。


〝いや、沙鳥。心理テストやっといて、結果教えないってありえないよ〟


〝え……〟


 沙鳥はさも意外そうに念を送ってきた。


〝結果、知りたいんですか?〟


〝そりゃ、知りたいよ〟


〝なんだか芯条くん。心理テストに乗り気じゃなかったみたいですし、結果まではいらないかと思ったんですが〟


〝いるよ! 結果聞いて「へー」とか「わー、あたってるー」とか言うまでが心理テストだよ!〟


 むしろ、そこがメインだろ。


〝うーん。結果は、私が墓場まで持っていくつもりでしたが〟


〝そんな衝撃的な結果が出たの?〟


〝しょうがない。教えてあげましょう〟


〝教えてください〟


 なんで僕が頼み込んでるみたいになっている。 


〝コンビニに入って最初に行く場所……。この心理テストはですね。あなたが、理想の結婚相手に対して、何を一番求めているかがわかります〟


 わりとちゃんとした内容のテストだった。


〝それで?〟


 僕が沙鳥の答えを待っていると、不意に声がした。


「みすたあ芯条君」


 先生が僕の名前を呼んでいる。


「前に出てきて、この空白に入る単語を書いてください」


 くっ、思わぬ邪魔が……。


 いや、違った。


 邪魔なのは沙鳥の方だ。危なく感化されるところだった。


「らいとなう」


「はい……」


 僕は席を立つと、黒板の前まで歩いていった。黒板には英文が書かれていて、途中に空白があり括弧がついている。


 うん。


 授業を聞いていなかったから、全然わからない。


 僕は不本意ながら非常手段に出ることにした。


〝沙鳥さん……〟


〝どうしました?〟


〝頼みます、教えてください〟


 沙鳥はなぜか英語が得意だ。さっき念で披露してみせたような、無駄な発音のよさを兼ね備えているほどに。


 沙鳥のせいで窮地に立たされたのだ。ここは助けてくれたっていいだろう。やっと今日初めて、テレパシーが役に立つときがやってきた。


〝答えを教えてください〟


〝よかろう〟


 なぜか偉そうだが、ここは我慢だ。


〝ありがとう!〟


〝いいですか、芯条くん〟


〝うん〟


 沙鳥は、僕がほしがっていた答えを教えてくれた。





〝ATMを選んだあなたが求めているのは『安定した収入』です〟





 次の休み時間は、先生の説教でつぶれた。

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