神秘の担い手

第5話「日常」


 神狼との戦いから四日が過ぎた。


 決着後、死んだように眠りについたアリスは、神狼によって故郷であるエイベルの入り口付近まで運び届けられたのだが、着いてから呼びかけられても起きなかったため近くの芝生に降ろされた。

 そして神狼が帰った後、たまたま入り口付近を通りかかった村人によって発見、保護され、無事その日のうちに家まで帰ったと言うのが結末である。


 アリスはその日から二日間、一切起きる事なく眠り続け、ようやく目を覚ましたのが事後から三日目の夕方だった。


 目が覚めた時は、空腹等で動けなかったりしたものの、その後は特に何も変わった様子もなく普段の生活を送れていた。


 そして、五日目の朝もいつも通り何も変わらない朝だ。



「アリス!」



 意識が完全に覚醒すると同時に聞き慣れた声が耳元でアリスの鼓膜を刺激する。ただでさえでかいその声をまともに耳に受けたアリスの鼓膜は、パニック状態になった。


「きゃぁぁ!」


 そして、眠気なんてものは一瞬で吹っ飛び、ベッドの上からはね起きる。


 少し間を置いて状況を理解できたアリスは、その声の発生元に憎しみを込めた目線を送った。



「うっさい、テレサ ! なんで耳元でそんな声張り上げるかなぁ!? 起こすならもっと静かに起こしてよ」


 テレサと呼ばれた人物は、ふくよかな体型に高めのお団子ヘアが特徴的な、アリスにとって親のような存在だ。

 アリスは元々捨て子だったため本当の両親のことを何も知らないし、小さい頃から育ててくれたテレサのことは本当の親のように思っている。

 そんな人相手でも、明らかに不機嫌極まりない様子で、口調にも棘が見られた。


 アリスの寝起きはどちらかと言わなくても悪い方で、こうして誰かに手伝ってもらわないとまともに朝の活動を開始できないのだが、このモーニングコールにはいつも手を焼いている。


「あんたが起きないからでしょ! 文句があるんだったら、これからは自分で起きなさい」

「う、それは無理……」


 まだ違和感が残る右耳を抑えながらボソッとうつむきがちに言った。

 すると呆れたような溜息がテレサから漏れる。


「ほら、ごちゃごちゃ言ってないで早く降りてきなさい。早くしないとご飯冷めちゃうわよ」


 それだけ言い残し、さっさとリビングがある一階へと降りて行ってしまう。部屋に取り残

 されたアリスは、納得がいかないとでも言いたげな表情を見せた。


 その後、渋々ベッドから立ち上がると身支度を始めたのだが、だるさで思うように動かない身体に次第に苛立ちを覚えてくる。


 アリスの一つ一つの行動は一言で言えば雑だった。


「テレサ、ちっとも朝の辛さを理解してくれないんだから! 自分が朝に強いからって人も同じだと思うなっ」


 苛ついている気持ちが、ぐちゃぐちゃに畳まれた布団にまで現れていた。

 さらに、脱いだパジャマすらもそのままベッドに脱ぎ捨てられる。


 人や物に当たってもしょうがないのが分かっているのに、そうしないとなんとなくスッキリ出来ない。


 そして、身支度を終えるとテレサの待つ一階のリビングへと向かった。


 階段を降りている途中で、アリスの鼻腔を焼き立てのパンの香ばしい匂いがくすぐる。その匂いに先ほどまで感じていた苛立ちはどこかに消え失せてしまったようだ。表情が一瞬で柔らかいものになる。


 アリスの階段を降りる速度は下がるにつれて早くなっていく。

 階段を降りテーブルを確認すると、こんがり焼けた食パンに、レタスと人参のサラダ、そして、珈琲と林檎ジュースが入ったティーカップとグラスがそれぞれ並べられていた。


 アリスの腹部が空腹を露骨に訴えてくる。鳴る腹部を押さえアリスは食卓に着いた。


「おはよう。アリス」


 すると、すぐに台所の方からテレサがやって来る。その手には小皿にのせられた一切れのアップルパイがあった。


「おはよ、テレサ。そのアップルパイ私の!?」


 アリスは、アップルパイが好物だった。目が異常に輝く。


「そうよ。あんた好きでしょ? ほんとはワ

 ンホール焼いたんだけど、とりあえず一切れだけね」

「分かったって、分かったから早く食べようよ!」


 テレサは、目を輝かせるアリスを見て呆れたようにため息をつくと、テーブルにアップルパイが乗った皿を置き、向かい合うようにして食卓についた。

 目の前に皿が置かれた瞬間からアリスの視線はその上に乗っかるアップルパイに釘付けだ。


「食べましょうか。言っとくけどアップルパイのおかわりは認めないからね」


 二人は、いただきますと声を揃え、それぞれ食事を食べ始める。



 少しして、テレサが急に食べる手を止め、アリスの方に目を向けた。


「アリス、今日は出かけるのかい?」


 アリスは、口に含んだアップルパイを名残惜しそうに飲み込むと手に持ってたナイフとフォークを置いた。


「まぁね。今日はこの前行ってきた依頼の報告をしに行く予定」

「もう大丈夫なの? また、倒れて帰ってきたりしないでちょうだいね」


 依頼に行くと行って出て行ったきり、なかなか帰ってこなかった五日前のことを思い出し、テレサは若干の不安に襲われていた。

 表情はやはりどこか暗い。

 自分の子供のように育ててきたアリスを失うのは、やはり耐え難いものがあるのだろう。どうしても過保護になってしまうテレサだった。


「大丈夫、必ず帰って来るから。約束する」


 アリスの表情は真面目だ。


 アリスが十五歳という若さで傭兵の仕事ををしているのは、テレサが病気に倒れて働けなくなってしまったからである。日常生活を送るのにそこまでの支障はないものの、短時間だが時々訪れる激しいめまいと強烈な頭痛で倒れてしまうことが少なくなかった。


 剣どころか包丁すら持ったことのなかった当時十三歳の少女は、さまざまな人々の師事、経験を経ることによって、常人では真似できない巧みな剣術を身につけ、今では所属する傭兵ギルドの中でトップクラスの稼ぎ手になるまで成長していた。


「毎度毎度言わせてもらうけど、無理しないでね?」

「大丈夫! それは十分、分かってるつもりだよっ。毎度言われてるからね!」


 アリスは、精一杯の笑みでそれに答える。


 それが安心させるために作ってくれている笑顔であることを知っているテレサは、アリスの気持ちに応えるように不安な気持ちを無理やり押し込め笑顔を作った。


 そしてアリスは残りのパンを口いっぱいに放り込み、よく噛んでから飲み込むとおもむろに立ち上がった。


「もう行くのかい?」

「うん。ちょっとルティのとこ行かなきゃいけないから」


 

 ルティとは、エイベルでよろず屋を営んでる、アリスより五つ年上の女性だ。

 傭兵をやってから特にルティの店にはお世話になりっぱなしだった。



「なんかお買い物するの?」

「まぁね。代用の武器買わなきゃ」



 先日の戦いで力に耐えきれず壊れた剣の代用品を買いに行くつもりだった。


 森の異変を元に戻したからと行って魔獣が人里からいなくなったとは限らない。確信が持てないうちは武器なしで外を歩くのはあまりにも無防備すぎる。


 その為、新しい剣を仕入れるまでのつなぎがどうしても必要なのだ。



「そうかい。じゃあ、ついでにこれ、持っていっておくれ」


 

 そう言って立ち上がり台所に戻ったテレサは、少しすると小瓶を持ってリビングへと戻ってきた。


「なにそれ?」


 初めて見るそれにアリスは首を傾げた。中身は黄金色の液体みたいな……


「これはジャムさ。採れたての林檎を使ってるから最高に美味しいよ。パンに塗って食べたり、いろんな用途があるの」

「それくらいは知ってるよ。馬鹿にしないでよね」


 アリスは、ふくれっ面だ。

 ジャムの存在を知っていたアリスだったが、この村では林檎をジャムにする習慣がない為、林檎ジャムを見るのは初めてだった。


 アリスは興味津々のようで、渡された小瓶を色々な角度から観察している。



「でも、なんでルティの所に?」

「そいつは、保存食としても使える物でね、あいつのとこ、そういう商品欲しがってたから試作品として届けて欲しいのさ」


 

 任せて、と言う代わりに頷き、テレサに向けた視線をもう一度小瓶に移すと、それを一瞥し、腰に下げてたポーチへとしまい込む。


「くれぐれもあんたがこいつを食べることないようにね。あんたの分は家にちゃんとあるから」

「分かってるって!」


 アリスは玄関まで移動すると一度立ち止まり、テレサのいる食卓に向き直る。


「それじゃ、行ってくるね!」


 それだけ言うと、勢いよくドアを開け放ち家を出る。


 テレサは、ドアが閉まりアリスの姿が見えなくなるまで開け放たれたドアの方に手を振った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る