第4話「始まりの終わり、運命の始まり」
大樹の森、最奥地ユグラルーツ前。そこには血まみれで横たわっている少女と、一匹の神狼の姿があった。
『ヤリ過ギタカ?』
神狼の右の爪は血まみれだった。また、右腕を中心に返り血で黒い毛が所々紅く染まっている。
だが、特に気にしているようには見えなかった。
目の前に血を流して横たわっている少女を見下ろし、深く息をついた。
『精々、安ラカに眠レ』
そして少しした後、神狼はユグラルーツの方へ向き直り、元々いたユグラルーツの頂点へ戻るべく跳躍の体勢をとった。
「ちょっと待ちなさいよ」
聞こえるはずのない、まだ幼さを滲ませる少女の声がその場に聞こえる。それは、先ほど神狼の爪撃によって貫かれ、死んだはずの少女の声。
神狼は、跳躍の体勢をやめ、ゆっくりと声のする方へと振り返る。
するとそこには、貫かれたはずの傷口が完全に塞がった状態の少女が右手に剣を持ち、立っていた。
その目には希望さえ映し出されている。
『何故ダ、小娘。何故生キテイル?』
神狼の声が初めて驚愕の色を滲ませる。
それを感じ取ったのか少女は、嬉しさに目を細めた。
「色々あって生き返ったのよ」
少女は、右手に持っている剣の切っ先を神狼へと向ける。そして、驚愕に見開かれた神狼の目を見据えると声高らかに叫ぶ。
「ソウルリアクト!」
少女の身体が光り輝く。その光は少女の瞳と同じ、空色の光だった。
そして、瞬間に少女の髪と握られてる剣の剣身は光と同じ空色へと変化する。その姿はまるで別人のようだ。変化をし終えると光は息を潜める。
『ソノ光、何処カデーー』
『「覚えてくれてたのね、アルヴモール。何百年ぶりかしら?」』
少女の声音がまるで別人になったように変わった。それに伴って、少女の身体に紋様のような光の筋が入る。
神狼は、それを聞くと明らかに敵意を乗せた唸り声を上げた。
『ガブリエル……オ前ガドウシテ、ソノ小娘ノ中ニイル』
『「貴方を救うためよ。今の貴方は本当の貴方じゃない。森を恐怖の色に染めるよう
なこと、貴方はしないもの」』
どうやら今のこの状況は、ガブリエルが一時的に少女の身体を媒介にして神狼と会話していると言う状況らしい。
ガブリエルは静かな声で諭すように語りかけるが、神狼の殺気は、収まるどころか強さを増している。今にも襲いかかってきそうな勢いだ。
話が通じるような状況ではないということか。
『「やるしかないようですね」』
少女の身体から光の筋が消えた。
「任されましたよ! 天使様!」
その声音は少女のそれだった。どうやらガブリエルは戦闘に際して少女から抜けたらしい。
『ガブリエル! 貴様ノ希望、潰シテクレル!』
神狼は一つ、遠吠えをする。
まるでそれが合図とでもいうかのように少女は、駆け出していた。先程とは比べ物にならないくらい動きが軽やかだ。
そして、力の影響か移動速度が速い。それは、人間が出せる速度を軽く超えていた。
だが、神狼も黙ってはいなかった。高速で近づいてくる少女に対して、腕を振り上げ爪撃を放つ。
少女は、その攻撃に対してタイミングを合わせるように剣を振り上げた。その剣撃は爪撃の軌道に向かって吸い込まれるように軌跡を描く。
そして、剣撃と爪撃は激しい音を立てて衝突した。
少女は、地面を抉る程の威力を誇る爪撃を剣一本で防ぎ切る。
(これならいける!)
確かな手応えを感じていた。少女の気持ちがどんどん高揚するにつれて剣が帯びる空色の光は輝きを増していく。
力と力の衝突は、少女がだんだんと押していき、遂には、振り下ろされた腕を力ずくで押し返した。
『ナンダト!?』
神狼の体勢がそれによって崩れる。少女はそれを見逃さず、ガラ空きのなった側面へ回ると剣を振るい始める。
力によって切れ味まで上がった刃は、確実に神狼の身体を切り刻んでいく。
「セレスティアルアーツ!!」
少女の放ったのは、流れるような六連撃。ガブリエルが力を与えるおまけに少女に伝授した物だった。少女は絶叫と共に出せる力の限りを振るっていく。
もっと速く! もっと強く!
これで終わらせてやる!
一回一回の攻撃に想いを乗せた。自分自身でも無茶だと感じるほどのアクロバティックな動きから繰り出される剣撃は確かな有効打になっている。
切られるたびに神狼の身体から鮮血が溢れ、遠吠えに近い悲鳴をあげた。
そして、フィニッシュ。六回目の斬撃を放つ。
少女の斬撃が与えた傷は、なぞると六芒星を記していた。
神狼は、崩れるようにその場に倒れ込む。
少女もかなり息が上がっている。これ以上の戦闘は正直無理だ。
「やったの……?」
少女は息を整えながら、恐る恐る倒れた神狼の顔を覗き込む。未だに倒したことが実感として現れてなかったのだ。
すると、次の瞬間、神狼の傷口から黒い瘴気のようなものが物凄い勢いで吹き出した。
「え。な、なに!?」
あまりに唐突すぎる出来事に思わずビビってしまう。
よくよく見ていると、瘴気が出ていくにつれ、漆黒だった毛並みは純白へと戻っているようだ。完全に瘴気が出切る頃には完全に純白な体毛を取り戻していた。
「白狼の伝説って本当だったんだ……」
神狼が元に戻った影響なのか、微かに森の木々が喜びをあげてるように、ザワザワと音を立てて揺れる。殺気立っていた森の雰囲気もいつの間にか元に戻りつつあった。
少女が呆然と神狼を見ていると、突然、神狼の身体に異変が起きた。なんと剣によってつけられた傷口がどんどん塞がっているではないか。
少女は、慌てて距離を取ると剣を構えた。その手には汗を握っている。
最悪の状況まで覚悟した。
傷口が塞り終わると、神狼はゆっくりと身体を起こし立ち上がった。
『案ずるな小娘。我はもう先ほどまでの我ではない』
その声は、先ほどまでとは打って変わって、殺気のない威厳に満ちたものに変わっていた。
少女はホッとした様にゆっくりと剣を下ろした。
『狂気に囚われた我を解放してくれたこと感謝するぞ。同時に、我が罪を詫びよう』
「そんな、気にすることないですって! こうして生き返れたんだし……」
頭を深々と下げる神狼に対し、なんだか申し訳なくなり、オロオロしながら両手を前に出してやめるように促す。
『だが、我はお前をこの手で殺めたのだぞ? 本当にすまない。今の我ではお前に何をしてやることもできん』
それを聞いた途端、少女の面持ちが真剣そのものになる。
「神狼さん。私はそんなの望んでませんよ。貴方が元に戻ってくれてよかった。それでいいじゃないですか」
少女は、微笑んだ。空色の髪が風で静かに揺れる。
確かに、殺されたことについて思うところがない訳ではなかった。
だが、それ以上に少女の中で収穫があった。
改めて自分自身を見直すきっかけになった、今回の一連の出来事は少女の中で、一つのターニングポイントになったのだ。
『英雄の器というものなのか……小娘、お前の名は?』
「アリスだよ。アリス・エルーシュ」
『アリスか……いい名だ』
神狼の顔が初めて穏やかな表情に変わる。アリスも思わず天真爛漫な笑顔を見せた。
『ガブリエルはまだお前の中にいるのか?』
「それが、丁度さっき、そろそろ限界かなんかで私の中から居なくなっちゃったのよね」
『そうか』
神狼はそう言うと空高くを見上げる。
『ガブリエル、お前には助けられてばかりだな』
しばらくそうして居たが、ふと、ドサっと言う音が聞こえ少女のいた方に視線を移す。
「あ、あれ?」
すると、そこには力なく地面に倒れ込むアリスの姿があった。立ち上がろうとするも身体に力が入らないようだ。
さらには力によって空色に変わっていた、髪や剣身が元の姿へと戻る。
また、それだけではなく剣身が元に戻った瞬間、音を立てて粉々になった。
「ど、どうして……」
『天使の力、特に天使の中でも上級一位に属するガブリエルの力は、元々人間に扱え
る力ではない。その反動が今きているのだろう』
アリスは、だんだんと薄れゆく意識に恐怖を覚えた。このまま寝てしまったら起きることはないのではないか。その気持ちが心を支配していく。
『今は、ゆっくりと休め。何も心配しなくて良い』
神狼の言葉に残りの体力を使って少しだけ頷くと、ゆっくりと目を閉じる。
明日は仕事しなくていいかな、と思ったのを最後にアリスの意識は深いまどろみの中に消えていった。
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