第3話「契約」
「ん……」
私は、ふと意識が戻った。ありえないことだ。さっき神狼に背中を貫かれて死んだはずなのに。
そう思って恐る恐る目を開けると、一番初めに目に飛び込んできたのは〈白〉だった。
不思議に思い、起き上がって周りを見回すと、そこには何もない真っ白な空間がどこまでも広がっていた。
「ここはどこだろ……天国かな?」
気付くと私の頬を涙が伝っていた。
溢れ出して来る涙を必死に抑えようとするが、意思に反して涙は勢いを増すばかりだ。
私はひどい自己嫌悪に襲われていた。
あの時——神狼に遭遇した時、私の中を愚考が支配していた。大樹の森で敵なしだった私は、いつの間にか自分が強くなり、この森では負けることはないのではないかという錯覚に陥り、あわよくば神狼にさえ勝ててしまうのではないかと思っていたのだ。
冷静になってよく考えてみれば、伝説の存在に私のような一人間が敵うわけがない。
私は、こうしていつも物事に対して結果が出てしまってから、やってしまったことを後悔する。
まさか、それが死という結果になってしまうとは……浅はかだった。
「はぁ……これからどうなるんだろ」
私は、柄にもなくのこれからの運命に思いを馳せる。
もし生まれ変わるとしたら次はもっと平和に暮らしたいな。もっと都市の子達みたいにお洒落したり、仲のいい友達と遊んだり……
そして、もうこんな傭兵なんて危ない職業つくもんか。
そこまで現世に後悔を残してきたつもりはなかったのに、こうして考えてみると思いの外、頭の中をたくさんの想いが駆け巡る。
また、現世に残してきた義母の悲しむ顔が脳裏に浮かんだ。
「このまま終わっちゃうの……?」
嫌だ。私には、まだやり残したことがいっぱいある。
「こんな死に方で納得できるの?」
無理に決まっている。死ぬならちゃんと寿命を全うして死にたい。
私は自問自答を繰り返した。すると生への渇望が心の奥から溢れ出して来る。
「こんなところで終わってられない!」
自分は、死んだ。その事実を分かっているのに、どうしようもない強い思いが私の身体を血液のように流れ始める。
気がつくと涙は、いつの間にか止まっていた。
『貴女の心に、強い意志の光を見ました』
突然、聞こえた声に驚いて周囲を見回すが誰もいない。遂に、幻聴まで聞こえ始めたのかと落胆すると、
『こちらです』
と後ろから声が聞こえたので、ゆっくり振り返る。
私は、驚愕に大きく目を見開いた。そこにいたのは背中に四枚の翼を生やし、頭の上に光り輝く輪っかがある、とても美しい天使だった。
背中あたりまで伸びる、先端に向けて青くなっている紫の髪に私は吸い寄せられた。
『私は、ガブリエル。生と死を司る天使です』
ゆっくりと、そして優しい声でガブリエルと名乗る天使は言った。
私は、なにが起きているのかまだ理解が追いついていなかった。
『やっと、会えましたね』
やっと? なにを言ってるのだろう。私は天使に会うなんて初めてだ。そもそも、私は、天使という存在すらまともに信じたこともないというのに。
「天使様が私になんの用ですか?」
『貴女と契約を交わしにきました。もちろん拒否してもらっても構いません』
なにを言いだすかと思えば契約? いよいよ胡散臭くってきた。
私は、天使の方に疑いの視線を向けた。
『信じてもらえないならそれでも構いません。なので、私がこれから話すことは独り言だと思ってください』
だが、天使は一切それを気にすることなく淡々と話し続ける。その様子がなんだか少し感に触った。なんとなく、聞いてやるという気持ちが掻き立てられる。
『今、この国……トリスティアでは魔獣が、いえ、魔獣だけではありません。貴女を殺した神狼のような神に近しい存在までも暴走し、凶暴化するという現象が起きつつあります。我々天使の中ではこの現象を、同胞の仕業だとする声が多いです』
神狼が実は暴走していた? まさかそれが森の異変の元凶……
「分かってるなら、そっちでなんとかすればいいんじゃないの? あんなの人間じゃどうしようも出来ないよ」
独り言のはずの天使の話に突っ込んでしまった。
天使は、私の発言に顔をしかめる。
私の発言が不快な思いを与えたんじゃないかという不安が生まれ、手に汗を握った。
『大変、恥ずかしい話なのですが、私たちは地上へと降りられないんです。地上で私たちは存在することが出来ない。だからこうして死の淵を彷徨っていた貴女を、私の作り出した空間へと案内し、お話ししているんですよ』
私の話が不快を与えていたわけではないと分かると私は胸を撫で下ろした。
なるほど、なんとなくだが言いたいことの本質が分かってきた気がした。つまりこの天使様はーー
「地上に降りれない天使に変わって、それを止めて欲しいということで合ってますか? 死んでる人にそれを言っても意味ないと思いますけど」
なんだか自分が出した回答にもかかわらず、納得したいような回答ではなかった。最後の方はボソッと独り言のように呟く。
天使はそれを聞くと、しかめていた顔を微笑みに変えた。
私はつい、その顔を見ていられなくなって目を逸らしてしまう。
『はい、ご名答です。後半の方については問題ありませんよ』
バッチリ聞かれてたことになんだか恥ずかしさを覚えながらも、その言葉に逸らしてた視線を再び合わせる。
「どういうこと……?」
『言ったはずです、私は生と死の天使だと。貴女が私の話を受けてくれるのなら、貴女の魂を 再び身体に戻すくらいのことはもちろんします。つまり貴女は蘇るのです』
耳を疑ってしまった。
蘇る。
聞き間違いでなければ、この天使様は確かにそう言った。
つまり、私は再び私が生きてきたあの世界に帰れるということか。天国ではなく、生まれ育った現世へ。
『もちろんそれだけではありません。今蘇っても貴女の身体は神狼アルヴモールのいる大樹の元にあります。戦って分かった通り、今の貴女ではあれには勝てない。なので、貴女の身体に私の力を預けます』
いつの間にか、私は天使様の話に釘づけだった。今ではもう膝を乗り出して話に聞き入ってる。
「それがあれば、神狼に勝てるの……?」
私はおそるおそる聞いた。
もし本当に勝てるんだったら……
『私の力は、心の輝きを運動能力や武器の性能などに反映させ、上乗せするというものです。今の貴女ならこの力を遺憾なく発揮できます。勝つのも容易ではないかと』
迷う必要なんてないーー
「なら、その話乗る!」
私は決断した。
私が選んだ選択肢の先にはきっと、神狼のような化け物じみた強さを持った存在とも戦わなければいけない時が来るのだろう。
だが、それでもいい。後悔したまま死ぬくらいなら、この命の火を、世の中の為に使おう。そしてその間にやり残したことをやればいい。
天使様は頷くと右手を前に突き出した。すると何もない空間から一本の杖が出現する。
『いいでしょう。今ここに契約は結ばれました! 我、四大天使が一人、ガブリエルの名を持って、生命の真理を超越し、貴女を還します』
ガブリエルが杖の先端で白い空間の床部を軽く突く。すると、私の身体が白い光に包まれる。
私はガブリエルの方を見た。
『ありがとうございます。お願いしますね』
私はその言葉に力強く頷く。
そして、その言葉を最後に私の意識は再び消えていった。
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