第六章 フランス軍はモンフェルメの城壁に迫る 

攻城戦

 全く偶然であったが、敵襲に最初に気づいたのは、城壁の警備を交代したばかりのディアンヌだった。三時課の頃、ようやく山の上に太陽が顔を見せ、敵陣と城壁との間にできた山の影を、今、まさに攻城塔が越えようとしていた。

「敵が来る!」

 ディアンヌの裏返りかけた叫び声は、幾重にも復唱されて町の中心へと走っていった。

 それは十分以上に予想されていたことだったので、騎士や兵士達の動きは素早かった。弓や弩に矢がつがえられ、残った二つの塔に備えられた小型の投石機には油をしみこませた布を巻いた石が置かれた。タールや獣油の入ったバケツが城壁の上に運ばれ、火種と矢が用意された。

 ジュスタン司教が城壁の下に集まった兵士達に祝福を与えている。

「……全ての竜がこの谷より消え去ったことを悲しむべきか? いや、我らは今、その代わりに真に主の祝福を得んとしている。今や我が軍の勝利を邪魔するものはなくなった。いざ、戦え、モンフェルメの勇者達、神の栄光を輝かすのだ!」

「気にすんな、ディアンヌ。あのくそ坊主の台詞なんてだれも聞いちゃいねえ」

「エクトール!」

 ディアンヌは肩を叩いてくれた幼なじみの手に剣ではなく戦斧が握られているのを見た。フランス軍の歩兵は重武装で、剣で胴や頭を打っても効果が薄いという。

「おれは西の壁を守る。ここは頼んだぞ」

「ええ、任せて」

 そう答えたものの、地上で剣を振るう実戦などディアンヌにとって初めてだ。そして、城壁の上には経験を積んだ沢山の兵士や騎士が待ち構えている。ディアンヌの出る幕はないかもしれない。

 四台の攻城塔と二台の破城槌がゆっくりと近づいてくる。一台の攻城塔は他に比べて背が低く、壁には取り付けそうもない。攻城塔や破城槌を押す兵士達は大きな盾で壁の上から放たれる矢から身を守っている。しかし、城壁の上から大量に用意した弩を連射すると、一人のフランス兵の盾が粉々に砕け、さらに体中に鏃が突き刺さってその場に倒れた。西側の壁を目指していた攻城塔の動きが止まる。しかし、ディアンヌのいる方を目指していた攻城塔は速度を落とさぬまま前進してくる。盛んに火矢が打ちかけられるが、獣皮に覆われ、湿った土がかけられているので容易に火はつかない。攻城塔の開いた口からは、二人の兵士が大きな盾の後に姿を覗かせている。壁に取り付くまであと少し。ディアンヌは剣を抜き、盾を構え直した。

「うぉぉあぁぁあ」

 両軍から獣じみた叫び声が上がり、守備と攻撃の兵士達が激突した。守備側の先頭に立ったのは騎士リュック・アンジェランだった。肩幅はディアンヌの二倍はある巨魁のリュックは右手に剣、左手に戦斧を持ち、城壁に乗り移ろうとする敵の兵士を力任せて押し返そうとしている。剣を剣で受け、盾に何度も斧の斬撃を打ち付け、ついに盾を砕いてしまう。あんぐりと口を開けた敵の兵士は、その表情のまま、首をはね飛ばされた。リュックの横に並ぶ兵士も剛勇だった。彼もまた斧を持って敵に肉薄し、攻城塔の中へ押し返した。しかし、その奥から繰り出された槍が、勇敢な兵士の足をえぐった。

 うめいてしゃがみ込む兵士、それを後から引き戻そうとする別の兵士。ディアンヌは覚悟を決めた。怯懦は悪魔の誘いだ。空いた隙間に敵の兵士が躍り込む前に、そこに滑り込む。

「ブリュノォ!」

 リュックが叫んだ。ディアンヌを押しのけるようにして一人の兵士が飛び出し、リュックの隣に並んだ。

「ディアンヌ、弓だ!」

 続いてリュックが叫ぶ。そうだ、下手に剣を振るうより、まだしも人並みに使える弓の方が。ディアンヌは盾を放りだし、味方の兵士達の合間を狙って攻城塔の中に矢を射た。しかし、効果はない。兵士の一人が攻城塔の中に獣油の袋を放り込んだのを見て、ディアンヌは矢を火矢に替えて立て続けに射た。ほとんどは中の兵士達の盾に阻まれたが、その内の一本が、運良く獣油に引火し、炎が立ち上るのが見えた。

 突然の炎にうろたえた敵の隙を突き、リュックを先頭にした守備側の兵士が一気に押し込む。さらに火矢が打ち込まれて火勢が強くなり、ついに攻城塔が壁から離れて後退し始めた。

 一局面ではあるが、勝利の歓声がわく。ただ数本の矢を射ただけのディアンヌも歓喜の輪に加わると、兵士達から、乱暴に背中や肩を叩かれた。

「なんか言ってやれ、ディアンヌ」

 耳元で囁いたのは全身に返り血を浴びたリュックだった。ディアンヌは頷き、必死で考えて、「主は勝者の名を知りたもうぞ!」と適当なことを叫んだ。すると周囲は一気に沸いて、また歓声が上がった。ディアンヌ様、勝利の聖女、という声も飛び交う。一兵士にも及ばぬ働きとわかっていても、気分は悪くない。いや、できるかもしれない。今度はちゃんと剣で戦おう。

 歓喜は当然ながら長く続かなかった。次の攻城塔が、しかも二つならんで東側に近づいてきたからだ。そちらを守っていたジャクリーヌを中心とした兵士達は二手に分かれることになり、一方の攻城塔から城壁の上に兵士が渡るのを許してしまう。

「うぉぉ、やったぞ、一番乗りだぁ」

 あっけなく成し遂げた偉業に自分自身がびっくりしたのか、その敵軍の兵士は自分を鼓舞しようとしてか、両手を上げて叫んだ。

「ふざけるな侵略者め!」

 それを見たジャクリーヌは、剣で二度、三度と敵兵に斬りつける。一番乗りのフランス兵は最初のうちはなんとか盾で防いでいたが、やがて壁際に追い詰められ、矢間ツィンネの隙間から城壁の下に追い落とされた。後を追って城壁の上に上がった敵の兵士達に二列になった守備側の兵士が両側から殺到する。敵の先頭は大柄な騎士で、紋章を染め抜いた白い軍衣を纏い、長大な剣を振るっている。最初に当たった兵士は、振り上げた混紡を一度も下ろすことなく斬り倒され、その屍を踏み越えて騎士が前に進んだ。

 その目の前にはディアンヌがいた。恐怖はなかった。少なくとも最初の一撃を受けるまでは。

 エクトールや他の騎士達との稽古の時とは比べものにならない強烈な斬撃で、肩が脱臼しそうになる。上、上、下、突き。必死で対応するが、こちらから攻撃を繰り出す余裕などない。ディアンヌの使う盾は小さく、大きく動かさなくては攻撃を防ぐことができず、それだけ敵にとっては攻撃がしやすいことになる。たまらず、一歩、二歩、後退する。大兜に隠れて見えないはずの敵の目が笑ったように感じられた。くそ、まけるもんか。必殺を念じて前に大きく踏み出し、足の付け根を狙う。

 ディアンヌの一閃は確かに相手の足に当たり、鎖鎧がちぎれる感触を手に伝えた。

 やった、と思ったのも一瞬だった。敵の騎士のうめき声が聞こえた直後、騎士は盾を前にかざして体当たりしてきたのだ。

「しまった!」

 ディアンヌははじき飛ばされて仰向けに転倒し、剣まで取り落としてしまう。とどめを刺そうと、大股に近づく騎士を前に、ディアンヌは無様に両足と右手で後ずさりながら、盾を目の前にかざす。衝撃がくる、と覚悟した瞬間、その騎士は横から味方の兵の体当たりを食らってよろめいた。ディアンヌはその隙になんとか立ち上がり、剣を拾い上げて、後の兵士達の陰に隠れる。

 二人が並んで剣を振るうのがやっとの狭い城壁の上で、押し合いへし合いになりながら兵士達が盾で騎士を押し込んでゆく。敵の騎士も大変な膂力で兵士をはね飛ばし、一人、二人を切り倒すが、体勢を立て直す機会がつかめないようだ。悲鳴と叫び声に剣を撃ち合う音が重なり、血と汗の臭いが周囲を満たしてゆく。長い悲鳴を上げながら兵士が城壁の下に落下してゆく。

 ディアンヌは肩で息をしながら、一歩、二歩とさらに後ずさりした。剣技や戦術を競うというよりは肉と肉をぶつけ合ってすりつぶすような戦いが目の前で繰り広げられている。その間に入り込む膂力も勇気もない。だが、こみあげる恐怖を、自分の力不足を理由に覆い隠すのは惨めなことだった。

 その押し合いへし合いする兵士達の群れの中から、一人の兵士がはいずるように出てきて、ディアンヌの目の前で倒れた。足に酷い傷を受けている。負傷者の救護に回る兵士の余裕はない。ディアンヌは盾を背中に回して近づいた。

「大丈夫? まだ動ける?」

「ああ……ああ」

 肯定とも否定ともつかない声が、歯ぎしりとともに捻り出された。ディアンヌはその壮年の兵士をどうにか引きずり起こす。顔にいくつもの古傷をつけた、歴戦の勇士という風貌だ。背負い上げるのはとても無理だったが、兵士は腕をディアンヌの肩に回し、残った一本の足でどうにかよりかかることができた。近い塔まで行き、空いている手を石の壁に沿わせてバランスをとりながら、急な螺旋階段を伝って城壁の下まで降りる。苦しげな息に混じって、兵士の声が耳元で聞こえる。

「……あんた、女か。……そうか、竜騎士の……」

「もう竜騎士じゃないけどね。おじさんは傭兵? 見慣れない顔だけど」

「……そうだ。……竜騎士殿のことは宿屋でおみかけした」

「あ、じゃあ、クララの傭兵隊の?」

「……そうだ。師はどこにいるのかな……」

「師? クララのこと?」

 元修道女とはいえ、ディアンヌといくらも年の変わらないクララをこんな兵士が「師」呼ばわりするのはいかにも奇妙に思えたが、彼女が異端の完徳者であったことを思い出す。

 塔の下では、騾馬に引かれた荷車が停まっていて、すでに何人もの傷ついた兵士が乗せられていた。ディアンヌは人足の手を借りて兵士を荷台に載せた。

 さあ、戻らなくては。負傷者の搬送でも、役に立っているのであれば、やらないよりはましだろう。集積された投石用の石や矢の傍らに置かれた水瓶の水を一口のみ、ディアンヌは城壁の上に向かう階段に足をかける。そのとき、後から声をかけられた。

「ご一緒します、ディアンヌ様」

 振り向くと顔見知りの二人の兵士が立っていた。ディアンヌは頷き、先に立って階段を登る。

 螺旋階段を二周して、城壁の高さの半分ほどに達した時だった。突然、塔の中に轟音が響き渡り、足下がびりびりと震えた。ディアンヌは慌てて盾をかざして身を縮こまらせる。小さな石がいくつも階段を転げ落ちてきて、盾にあたった。

 破城槌だろうか? しかし、なんでこんな上の方に?

 振動と轟音が落ち着くやいなや、ディアンヌはまた階段を上り始めた。そして、半周もせずに急に周囲が明るくなった。塔の壁が崩れて大きな穴が空いていたのだ。そして、その穴の向こうから、兵士を乗せた背の低い攻城塔がまさに接壁しようとしていた。

「一体、これは……」

「例の投石機が完成したんですかね?」

「まさか……だってまだ昨日は……来る! 助けを呼んで!」

 愚かなことを言った、とすぐに後悔する。この狭い場所では一人が戦うのが精一杯だ。つまり、助けが必要になるとすれば、自分がやられた時ということ。

 大兜を被った騎士が攻城塔の出口から姿を現した。黒い軍衣と盾に華のような修飾のある赤い十字の紋章。多分勝てない。足が震える。兵士にここを任せて、自分が助けを呼びにゆけばよかったか? ばかな。あたしは戦うんだ。ウイリアムを殺してヴォルケの仇を討つんだから。

 攻城塔が壁にぶつかる。その位置はディアンヌの足場より少し高い。敵の騎士は、一気に階段の上に躍り込んできた。機先を制され、一歩後に引く。上から振り下ろされる剣を盾でうけると、またしても手がしびれるように痛い。もう一太刀、今度は敵の勢いを斜めに払うようにする。盾の表の鉄鋲を剣が薙いでゆく音が耳に障る。そこでディアンヌは一歩踏み込んで、敵の腰の辺りを下から狙う。余裕を持って防がれるが、相手の盾の破片が飛び散る。ディアンヌはさらに踏み込んでもう一太刀打ち込んだ。

「ぐあっ」

 相手の盾が傾き、流れた太刀筋はしたたかに敵の太ももを打った。苦し紛れに敵の繰り出す剣は、今度は余裕で受け流す。そして更にもう一歩踏み込んで、自分の盾を下から相手の身体にぶつける。相手は、バランスを崩しながらも、なんとか踏みとどまり、体勢を立て直しながら剣を振りかぶる。だが、ディアンヌはもう、それを受けない。腰だめに構えた剣に全体重をあずけ、階段を駆け上がった。

「!」

 くぐもった相手の悲鳴は意味のある言葉とは聞こえなかった。ディアンヌの剣は鎖鎧の鉄環を引きちぎり、分厚い綿入れの下ばきを切り裂いて相手の太ももに深々と突き刺さった。敵は痛みをこらえ、反撃しようとするが、その動きは緩慢だった。ディアンヌは血しぶきとともに剣を引き抜き、それを袈裟切りに叩きつけた。

 騎士の取り落とした剣は、ディアンヌの足下を転がり落ちる。腕にも傷を負った騎士は、その場にうめいてうずくまる。

 やった。勝った。はじめて、剣で、敵を倒した。

(エクトール、見て、やったよ、あたし!)

 しかし、とどめを刺す余裕も勝利に浮かれる時間もなかった。後から、騎士の横をすり抜けるようにして攻城塔から新手が乗り移ってきたからだ。ディアンヌは盾を構え直し、剣を握り直した。

 どうみても剣技で敵いそうもない相手に勝てた理由はすぐにわかった。螺旋階段の真ん中の支柱が、降りる側の相手にとって剣を振るう邪魔になるのだ。だから次の敵も、塔の開口部ではなく、少し降りたところで待ち受ける。

 しかし、次に飛び込んできたのは長槍を持った兵士だった。しかもすぐ後から、小弓を構えた兵士が続く。至近距離から放たれた矢はどうにか盾ではじき返したが、上から繰り出された槍は、とっさに一歩下がってしまう。懐に踏み込まなきゃ。しかし、下から上への跳躍は勢いがそがれる。兵士の槍の勢いはするどく、頭を狙って繰り出される穂先に、たまらずまた一歩下がる。また、矢が来る。ディアンヌの兜に当たる。ああ、もう少しで目をやられるとこだった。ディアンヌはたまらず叫ぶ。

「増援を! 早く!」

 その途端、階段上の二人の兵士の動きが一瞬止まった。

兜の下に覗く表情に驚愕の色が浮かぶ。女か? そう口が動いたかもしれない。ディアンヌは力なく繰り出された槍の穂先をかいくぐり、兵士の首筋に剣をたたきつけた。首まですっかり覆った鎖鎧を切り裂くことはできなかったが、兵士は槍を取り落として昏倒する。後で弓を構えていた兵士は、ひっ、と叫んで後ずさった。やれる。ディアンヌは必殺を念じ、鎧で守られていない二の腕に剣を振り下ろす。

 しかし、その一撃は横合いから差し込まれた剣で払いのけられた。ディアンヌは舌打ちし、城壁の開口部に身体を向けて新たな敵に相対する。しかし、それが螺旋階段によるそれまでの優位を失わせることになると気づいたのは、一瞬遅かった。

 小柄だが、動きの良い騎士だった。剣筋はエクトールに似ている、と思った。一合、二合と打ち込まれ、三合目を剣で防ごうとしたところを、剣を絡め取られてしまった。

「ふん、ブラマンテを気取るか、バカな女め。降伏しろ!」

 その騎士の声は若く、不遜な響きを放っていた。

 降伏ですって? 冗談じゃない!

「いやよ!」

「なら、ここで死ぬがいい」

 ディアンヌには相手が剣を振りかぶる動作さえ見えなかった。盾の届かない距離から、まるで蛇の舌のように剣が繰り出され、のどから肩に切り裂かれる、そんな景色が見えた。

 しかし、痛みは訪れず、意識も途切れなかった。鬨の声とともに、数名の兵士達が階段上から飛び降りてきて、ディアンヌと相手の間に割って入ったのだ。

「おらぁ、押し返せ!」

 腹の底に響くような、しかし、綺麗な女性の声が響き渡る。騎士ジャクリーヌ・ブランシュと部下の兵士達は、更に攻城塔から渡ろうとしていた兵士達に槍を突きつけ、攻城塔の中に弩を打ち込んだ。ディアンヌに襲いかかった騎士は、ジャクリーヌと二、三合と切り結んだものの、開口部に追い詰められ、ついに攻城塔との隙間から外に蹴落とされた。攻城塔は壁から離れ、後退してゆく。

 兜の面甲を上げたジャクリーヌが、ディアンヌを振り向く。

「よくやったね、ディアンヌ。お手柄だ!」

「ジャクリーヌ殿……あたし……」

 必死で呼吸を整えながら、まずお礼を言わねば、いや、まずは剣を拾って……。

「ありがとうございます。もう少しで……」

 その言葉は最後まで言うことはできなかった。最初に襲ったのは耳の痛みだった。ヴォルケに乗って急に高度を下げた時に似ている、そう思った時には目の前からジャクリーヌと彼女の部下の兵士達の姿が消えていた。その代わりに巨大な、ディアンヌの背丈の半分もあろうかという岩があった。ジャクリーヌの身体はその岩の下敷きになり、右手と両足だけが見えていた。轟音と振動が塔を揺るがし、岩の破片がばらばらとディアンヌの上に降り注いだ。

 大きさを広げた壁の開口部から、こちらをにらみつけるように立つ投石機の姿があった。

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