復命

「ローラン様に与えられた任務を果たすことも叶わず、その上……不用意に招き入れた修道士に、ヴォルケを殺されてしまいました」

 ディアンヌが膝をついたのは恐縮したからではない。自分の言葉のおぞましさに立っていられなくなったのだ。

「すべて、わたしの不徳といたすところ。本当に申し訳ありませんっ」

 ローランは椅子に座ったままであったが、平服するディアンヌに優しげな声をかけた。

「ヴォルケはもうよくなる見込みはなかったそうだな。であれば、むしろヴォルケにはその方が楽であったと思わないか。不満足な状態で、無理矢理戦場にかり出されるよりも」

「それは、そうかもしれませんが……」

「援助を頼む相手が神聖ローマ皇帝であることをお前に明かさなかったのは、お前が無用に緊張してしまうと思ったからだ。だが、そうと知っても、お前は十分に任務を果たしたようだな」

「しかし、皇帝は、これ以上の支援はできぬ、と」

「そなたの言葉通りに皇帝が言ったとすれば、皇帝はすでに我らに支援をしたつもりであるらしい。だが、我らはそれを受け取っていない。ということは、いずれ到着するのであろう」

「ですが、ここに戻る途中、そのような軍勢はみかけませんでした」

「ディアンヌ」

 ディアンヌはようやく頭を上げて、ローランの顔をまともに見た。ローランは、声だけではなく表情も穏やかだった。いっそ晴れ晴れした、と言ってもいいほどだった。

「おまえのおかげだ。お前がなしたことは完璧以上だったのだ。あとはフランス軍を退ければ、モンフェルメは救われる」

「しかし、このままではモンフェルメはフランス軍に敗れます! 大きな投石機が二つ、ほとんど完成しているのを見ました。城壁はすでにあちこちで崩れかけています。……ヴォルケが元気になれば、あんな投石機なんて粉砕してやったのに!」

「皇帝の助言通り、時機を選びしかるべく対処しよう。都市の守りは他の者に任せ、お前はゆっくりと休むがいい」

「……わかりました。休ませていただきます」

 ディアンヌは嘘をついた。

 ローランの執務室を出たところに、エクトールが待っていた。いちいち腹立たしい行動をする奴だと思ったが、それを口に出すことはできなかった。鎖鎧に軍衣(サーコート)を纏った姿は、今まさに戦場から戻ったかのようにぼろぼろだった。軍衣は切り裂かれ、鎧の裾はちぎれ、ほほには生々しい傷跡があった。

「大変だったな、ディアンヌ」

「あんたに言われなくない」

 それは全くの本心だった。のうのうと宿屋に泊まり、馬の鞍に揺られ続けただけの自分には、その間ずっと戦場に身を置いてきたエクトールに会わせる顔がない、と思った。

 城壁の方に行こうと言われ、道すがら、ディアンヌはエクトールにフェデリコこと皇帝フレデリクスとの会見の様子とローランへの報告の内容を語り、エクトールからは戦いの様子を聞いた。後者についてはすでに何人から聞いていたが、気分が奮い立つというよりは、背筋に寒気が走り、足が震え出しそうになるような話だった。

「奴らは今のところ、二日に一回、小規模な攻撃をしかけてくる。それ以外の時間はひたすら攻城塔と投石機を作っている。騎士や兵士より、職人や工兵が多いようだ」

「エクトールも戦ってる……んだよね」

「ああ。騎馬突撃は戦闘の初日に、お前が出発して五日後だったかな、一回だけやった。投石機の作業場を襲って火をつけてやったが、作業が数日遅れただけだったし、その間に攻城塔を仕掛けられて、あやうく城内に侵入されるところだった。あとはひたすら城壁で、兵士の侵入を食い止めてる。欲求不満がたまるったらありゃしねえ」

 そして、騎士が三人、兵士が二五人死んだ、と言い、ディアンヌはその騎士の生前の姿を思い出して唇を噛みしめた。

 通りかかった騎士の間は臨時の病院となっていた。傷病者の数はそれほど多くはなかったが、嫌な臭いが立ちこめ、すぐにディアンヌは気分が悪くなった。そこにいる者は重傷者が多いようで、死者の数は今日中にも増えそうだった。怪我をした兵士達の間を歩き回りながら手当をしている女達の中には、宿屋のパウラもいたし、騎士や封臣の妻子達の姿もあった。

「お姉様!」

 立ち働く女達の中から、小さく叫んで駆け寄ってきたのはエレーヌだった。くすんだ灰色のチュニックには所々、血や膿が染みついている。エレーヌはエクトールに会釈すると、ディアンヌにしがみついた。「よかった、ご無事で……」

「こっちはなんでもなかったわよ。エレーヌこそ大変ね。ごめんね、こんなことまでさせてしまって。あたしがもっとしっかりしてれば……」

「こんなことじゃないです。女達はみんな交代でやってることです!」

 ディアンヌは言葉につまった。そうだ、戦っているのは兵士や騎士だけじゃない。すくなくとも今の自分よりエレーヌの方がずっと町の役に立っている。まして、ヴォルケを失った自分なんかよりは。

「……大丈夫です、お姉様。アシル様も……きっとよくなりますし……」

「え? アシルが?」

 ディアンヌはエクトールをにらみつける、というより思わず襟首をつかんで、「ちょっと何で言わないの!」

「……ちっ、かすり傷だよ、死にゃしねえよ」

 ディアンヌは騎士の間を見渡し、アシルの姿を探す。さすがに領主の息子ともなると、ここにはいないか、と納得すると同時に、エレーヌが不憫になる。

「エクトール、あの……」

「いいんです、お姉様。私はここで」

 エレーヌは小さく腰をかがめると、うめき声を上げ続ける兵士達の方へ戻ってゆく。ディアンヌの気恥ずかしさと情けなさはさらにふくれあがる。

 町の中の様子はそれほど変わっていない。広場には、まだ何件か露天も出ている。町の後背にそびえるピレネーを越えて、細々ではあるが補給も繋がっているのだ。しかし、城壁に近づくにつれて、住民の姿がまばらになり、無人の住居が目立つようになる。

「実際、おとついには相当な数の火矢がうちこまれたからな」

 屋根がすっかり無くなっているのは、もともと茅葺きだった家だろう。あらかじめ屋根を壊していたのだ。城壁の近くは、建物そのものまでが取り壊され、壁から敵の上に落とすための石や矢、タールなどの集積場になっている。

 門を守る塔を登り、城壁の上に出る。平時はそのまま吹きさらしで、三廣ほどの幅の通路になっているが、今は屋根のついた板囲いで覆われている。崩れた城壁の箇所には木の板が渡され、壊れた板囲いの修理も進められていた。壊れた塔は直す予定はない、という。

「見ろよ」

 巡らせた板囲いの隙間から、ディアンヌは敵陣を見遙かした。そびえる二台の投石機がいやでも目に入る。あれだけ大きければ、石は城壁を越えて、町の中心近くまで届くだろうし、城壁だって壊せるかもしれない。その足下にはいくつもの天幕が張られ、目をこらせば人や馬の姿も見える。

「おれは、もう一度、あいつが完成する前に打って出るべきだと思っている」

「そうしたら、うちの騎士団は全滅ってことくらい、あたしにもわかる」

 だって、単純に数は三倍以上なのだ。

「だから奇襲するんだ。最初は、それで、まあ、うまくいった」

「あたしが敵だったら、二度とはうまくやらせないわ」

「……だろうな」

 エクトールは、自嘲気味の笑いを漏らした。「じゃあ、どうしろってんだよ。仮に投石機がなくたって、このまま一日おきの敵襲が何ヶ月も続くとなったら、俺たちだってやっちゃいられねえ」

「エクトール、私も、打って出るべきだと思う。でも、きっかけが必要かもしれない」

「きっかけ?」

「援軍」

「なんだそれ」

「あたしがお使いに行った理由だよ。フェデリコは、援軍はもう出したって言ってた。まだ到着していないってことだと思ったんだけど、もしそうなら」

「今、モンフェルメには二〇〇人くらいの傭兵がいる。そいつらのうちの何人かってことなんじゃないか?」

 エクトールの言うことももっともに聞こえた。だが、『タイミングが重要』というフェデリコの言とは一致しない。

「ディアンヌ、お前の働きを軽視するつもりはねえけどさ、そんな、プレスピーテル・ヨハネスの軍を待つようなこと言ってもしょうがねえ。ジャン=バティスタ団長だってなんとかしようと考えてる。なあに、必ず一泡吹かせてやる機会はあるさ」

「エクトール、お願いがあるんだけど」

「え?」

 エクトールが、驚愕に目を見開いてディアンヌをみつめる。まるで幽霊をみたとでもいうように。それはそうだろう。ディアンヌはこれまで一度も、エクトールに何かを頼んだことなどなかった。ただ命令していただけで。

 しかし、ディアンヌにはわかっていた。竜騎士でなくなったディアンヌに、もはや、エクトールに勝てるものは何一つないのだ。子供の頃はいつもディアンヌが一番だった。やがて身長で抜かれ、力で及ばなくなり、剣技でも馬術さえも適わなくなった。そして、唯一の誇りだった正騎士という身分さえ、ついに実質的に意味のないものとなってしまった。

 そこにあるのは、次代の領主と臣下という身分差だけ。

「あたしを騎士団にいれて。見習い、いや、歩兵でいいから。おねがい」

「……何言ってるんだよ、お前は正騎士じゃないか」

「どうか、お願いします。殿下」

「おい、やめろよ、ディアンヌ!」

 エクトールが怒鳴っても、ディアンヌは垂れた首を上げなかった。

 やがて、エクトールは、舌打ちしながら言った。

「わかったよ。ジャン=バティスタ殿に訊いてみる」

 ディアンヌはもう一度深く頭を下げた。 

 復讐の機会はどうにか得られそうだった。

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