第五章 騎士ディアンヌはモンフェルメに帰参する

家路

 モンフェルメへの帰路は往路よりはいくらか気が沈みがちではあったが、滅入るというほどでもなかった。往路は何かとよくしゃべっていたクララが黙りがちになったのは、ディアンヌがフェデリコとの話の内容を、特に彼の異端に対する苛烈な考えを伝えてからだったかもしれない。

「『良き信徒』の人達が、そんな、ただ世の中に不満を持っているだけとか、何も考えてないとか誹るのは、おかしいと思う」

 クララは、憤るというよりは、がっかりしたような様子だった。モンセギュールの異端者達がフェデリコに支援を求めたのは本当で、クララも、皇帝に期待するところがあったのかもしれない。

「そうだよね。あたしもそう思った。あ、あたしはあんたたちの異端の教えが正しいとか思うわけじゃないけど、確かに聖書の前半とかに出てくる『神様』って何か違うっていうのはわかるし、どっちかっていうと『良き信徒』の人達の言ってることの方が理にかなってるっていう気もするけど……。うーん、クララもフェデリコも同じこと言ってるような気もするんだよね」

「聖書、読んでるんだ」

「ちょっとずつね」

「……わたし達が本当のことを知っているのは間違いない。私達は皇帝や教皇が知らないことだって知っている。でも、それは全ての人にとって良いことではないのかしら」 

 ウイリアムは、そんな二人の女達の様子にお構いなく、自分が見聞きした挿話を話したり、たわいもない神学論争をクララにふっかけたりしていたが、それはそれでディアンヌには気休めにはなった。

「自由(フライハイト)とは。さすが皇帝、いいことをいいますねえ」

 ディアンヌのフェデリコとの会見の話を聞いて、ウイリアムは感じ入ったように呟いた。 

 突然の激しい通り雨をやりすごすために、幸運にも近くに立っていた廃屋の納屋で雨宿りをしたときのことだった。

「だが、実に彼らしいとも言える。『神の敵』とはよく言ったものだ」

「でも、フェデリコは主を認めないとは言わなかったわ」

「『教会の神』を認めていないのです、彼は.教会も聖書も信じようとせず、ただ自分の理性のままに正しいことを定め、その通りに生きる。それは神を認めないことと同じです。そして、それは間違っている」

「間違ってる? でも、教会だって時には間違うこともあるんでしょ?」

「そうではなくて、人間が正しい道を自ら見いだすという思想が間違っているのです。いや、彼ほどの知識と思考力と権力があれば、それは不可能ではないかもしれない。しかし、世の中の九割九分の人々はラテン語はおろか日頃話している言葉の読み書きもできず、自由などという概念を理解することだってできないでしょう。そんな人々に、もう神は何も語らない、自ら正しい道を進めと、言えるでしょうか?」

「ええ、あなたの言っている意味はわかるような気がする」

「こんな話があります。アルビの町にフェオドールという腕の良い鍛冶屋がいました。彼の作るものはあまりに品質が高く、それを同業者からずいぶん妬まれたんですね。それでフェオドールは仲間達から異端審問所に突き出されました。そして彼は裁判の結果、異端だとされてしまったのです」

「……あ、それ聞いたことるわ。なんだっけ、最近……」

「おや、そうですか。じゃあ、話が早い。どう思いましたか、その話」

「そうだわ、異端審問官がどんなに酷い奴かって話だった。だって、彼はただ立派な刀や農器具を作っていただけなんでしょ?」

「そうですね。でも、その剣は、本当にあまりに素晴らしかったのですよ。鉄の鋲を打った盾に何度斬りつけてもほとんど刃こぼれしなかった。手入れをしなくてもサビすら浮かなかった。その剣を持った騎士は戦場で大変な手柄を立て続けた」

「そこまでの話は聞いてなかったわ。でも、そんな剣ならあたしも欲しいけど……」

「剣の手入れをするのは従者の仕事です。従者は仕事がなくなり、手入れの技術も衰えた。それに正統の信徒同士の戦争は殺し合いであってはいけない。戦闘不能にして捕虜とするのが正しいありかたです。しかしその騎士の後には屍の山が築かれるようになった」

「それはおかしいわ。従者が剣の手入れをしなくていいのなら、馬の世話に力を入れればいいし、敵はもっと良い盾をつくればいいのよ。いや、敵だってその剣を鍛冶屋に作らせて……」

 言いながら、ディアンヌは気づいていた。世界は釣り合いでできている。正しいもの、良いものだけで人間は幸せにはなれない。

 そして、ウイリアムが何を言い出すのか、ディアンヌもうすうす気付きはじめていた。

「そうですねえ。でも、そううまくゆくでしょうか。丈夫な盾を作る前に沢山の人が死んでしまうのは間違いない。それに、人は怠けるものです。騎士ディアンヌ」

「ええ、わかったわ。あたなはこう言いたいのね。それが正しいから良いからではなく、巡り巡って多くの人を幸せにできるかどうかで異端と正統は決まるのだ、と」

少しだけためらって、こう続けた。「その鍛冶屋が異端であるように、モンフェルメの竜も異端なのだ、と」

 ウイリアムは目を丸くして、次に満面の笑顔を浮かべて頷いた。「その通りです」

「……でも、あたしはモンフェルメの竜騎士なの。そしてヴォルケには死んで欲しくないと思っている。その気持ちはどうしても譲れない」

「あなたの誇りと矜持には敬意を表します。ですが」

 ウイリアムは静かな口調で言った。

「あなたには何か特別な力がある。たとえ竜を竜騎士の身分を失っても、あなたがあなたでありつつづける限り、騎士でありつづけることができるでしょう」

「そっ、そんなお世辞言われたって何もでないわよっ。……わかってる、自分の実力くらい」

 ウイリアムの微笑に皮肉なものが混じる。

「そうですか? 皇帝はいいことを言ったかもしれませんね。いろんな意味で、あなたには自由が必要かもしれない。そうすれば、あなたは竜よりも高いところまで飛べるかもしれません」

「え?」

 ウイリアムは急に明るくなった戸外に無造作に足を踏み出していた。その粗末な靴が水たまりの中に半分ほど隠れる。

「さあ、いきましょうか」

「え……あ、そうね」

 ディアンヌは、急に我に返ったように、だらしなく答えにどもってしまい、傍らで聞いていたクララの失笑を買うことになった。

 

 夕刻までにはヴァレドヴァン修道院にたどり着けるという日の朝。

 小さな集落には南を目指す何台もの荷馬車と、荷を乗せた馬に跨った武装した男達で異様な賑わいを見せていた。

 モンフェルメの戦場に向かう輸送隊や傭兵達であるのは間違いない。

「荷はもっぱら食料……か。投石機は完成したのかしら」

 冷静な視線を彼らに投げながら、そんなことをつぶやくクララだが、ディアンヌの方は落ち着かないといったらない。腰の剣の留め具をつけたりはずしたり、何度も頭巾を直して顔が見えないか気をつけたり。

 村からモンフェルメの谷に向かう道中は,何台もの荷馬車を追い抜き、また、急ぎ足の兵士達に追い抜かれた。彼らはディアンヌ達には興味を示そうとしながったが、それでも少しでも視線が注がれると、ディアンヌは息も止まりそうなほど緊張した。後から何度かクララが背中を叩いてくれ、その度にどうにか呼吸をすることを思い出した。

「大丈夫、ディアンヌ。ここであんたが、『あたしはモンフェルメの竜騎士ディアンヌ・ラングレよ!』と名乗りを上げたところで、面白い女芸人だな、としか思われないから」

「……そ、そうね、その手もあったわね」

 太陽が南中する頃、ディアンヌ達の三騎は峠を越え、モンフェルメの北の谷にさしかかる。川沿いの街道のすぐ傍まで迫っていた森が次第に谷の左右に広がってゆき、やがて視界が開ける。見上げるばかりの岩山に挟まれた耕地の彼方、緩やかにうねる丘の上に何本もの旗を翻したフランス軍の陣地が見えた。その中央に距離感を疑わせるような巨大な投石機が二つ。ディアンヌにはそれが、今にもモンフェルメの城壁に向かって歩き出す巨人のように見えた。

「どうする、まっすぐ行く?」

 クララが訊く。ディアンヌは首を横に振った。「この状態なら、普通の旅人だって迂回すると思う。この辻を右に行けば、谷の端を通る小径があるわ。ちょっと時間がかかるけど森の影になりがちだから」

 ウイリアムは、無言で頷く。

 さらに進むにつれ、尾根の向こうにモンフェルメの城壁が見え始めた。見慣れたはず景色であるにもかかわらず、ディアンヌが感じたのは強烈な違和感だった。それは、フランス軍の本陣と城壁の間に横たわるいくつもの小さな投石機や攻城塔の残骸でもなく、城壁につけられたシミのような黒い焦げ跡だけではなかった。

 門を守る二つの塔の一方の上部がそっくり無くなっている。

 それ以外にも城壁のあちこちで外の石積みが崩れ、内部のモルタルがむき出しになり、城壁の上に臨時に作られていた木製の板囲いも、ある場所は燃え、ある場所は破壊されたままになっている。

 それでも城壁のあちこちにはモンフェルメの旗が翻り、弓を構える兵士達の姿も見えた。

 まだ、陥落しているわけじゃない。ディアンヌは、大きなため息をついた。

「よかった……」

「戦いが終わってたら投石機なんて作ってないでしょ」

「わかってるわよ」

 小径はすぐに森の陰に入り、一行の姿をフランス軍から隠してくれる。三人はそのまま息を潜めるようにして馬を進め、日暮れ前にはヴァレドヴァンの修道院に辿り着いた。修道院はフランス軍には接収されておらず、ディアンヌ達は馬を置いて竜窟につながる山道をたどった。

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