良き信徒

「わかった。アルフォンスといい、ウイリアムといい、ようするにあんたは、ああいうひょろひょろしたのが好みなんだ」

「べつに、そんなことはないけど……」

「まあ、でも確かにドミニコ会士は、理屈っぽいのや弁の立つ奴が多い。異端審問官もドミニコ会修道士の独壇場だしね」

「だから、別に、あたしは……」

 一頭の馬をウイリアムに貸し、残りの一頭にディアンヌとクララの二人が乗ることになったのは、当然だろう。軽装とはいえ騎士の出で立ちのディアンヌは、骨と皮ばかりにしか見えないウイリアムよりも遥かに重かっただろうから、ディアンヌが一人で馬一頭を使ってもよかった。しかし、さすがに異性との接触をタブーとする修道士とうら若い婦人(しかも異端の完徳者)を同じ鞍に乗せるわけにはいかない。もっともディアンヌの見るところ、クララはもちろんウイリアムも言ってることは煩悩まみれとしか思えないのだが。

 そのウイリアムは、馬を貸してもらったお礼というわけでもないだろうが、しょっちゅう振り向いては、ディアンヌとクララに盛んに笑いかけ、話しかける。

「ラングドックは良いところですね。明るいし、暖かいし、人々は陽気だし、食べ物はすごぶるおいしい」

「はあ、そりゃどうも」

 クララが気のない返事を返すが、ウイリアムは意に介さない。

「そして何より女性が元気だ。拙僧は女性の騎士というものに初めてお会いしました。この辺りには沢山いるのですか?」

「モンフェルメにはわたしと、もう一人だけいるわ。他の邦はよく知らない」

「大変興味深いことです。実はラングドックにはびこった異端の聖職者も女性が多いのです」

 思わずディアンヌとクララは視線を交わす。

「一部の異端審問官はそのことを指して異端の非を唱えますが、女性が卑しい性であるということについての神学的根拠が実は希薄なのです。そこでかえって異端につけ込まれるという状況が何度かありました。女性の相続を認めないサリカ法典は南フランスではまだ効力がないようですし、南北の文化的差違は思ったより大きいといえるでしょう」

「北フランスは、ノルマンやドイツ(アレマン)の影響を強く受けているんじゃないの? オック語はフランス語(オイル語)よりずっとラテン語に近いわ」

 クララが切り返すと、

「そうです! それにも気付きました。ただ、拙僧の調べたところによりますと……」

 と、二人の会話は尽きるところがない。


 日暮れまでになんとか辿り着いた小さな宿場町で、ディアンヌ達三人は一緒にテーブルを囲んで夕食を摂った。宿場は、(おそらくはモンフェルメに向かう)兵士や職人達で混雑しており、先に控えた任務のこともあってディアンヌは決して安らいだ気分にはなれなかった。しかしクララもウイリアムもそんなディアンヌを気遣ってか、せいぜい卓が華やぐほどの皿と、ささやかなワインを注文し、冗談のようにたわいもない神学論や文化論を繰り広げた。

 夜、ウイリアムは町中の教会に一夜の宿を請うというので、ディアンヌとクララの二人だけが宿屋に泊まることになった。

「いやあ、まいったまいった。なんだあいつ、修道士にしておくにはもったい」

 倒れ込むようにベッドに身を投げておきながら、クララの声は弾んでいる。

「あたしは、もう緊張しっぱなしよ」

 ディアンヌもとりあえずベッドに腰を下ろしてため息をつく。

「二人ともすごい怖い顔で神学論争とかするんだもの。もし、クララが異端だってばれて、ウイリアムが異端審問所に突き出すとか言い出したらと思うと……」

「いや、たぶん、ウイリアムは気づいていたと思うよ」

「えっ?」

「そんな些細なことで騒ぐ玉じゃないよ。モンフェルメに行くって言ってたでしょ? 教皇特使とかかもしれないね」

「え、なに、それ……ひょっとしてつまりまさか、……異端審問官ってこと?」

「言っとくけど、殺したりしなさんなよ。ドミニコ会士なんていくらでも代わりはいるし、向こうに口実を与えるだけだからね」

「修道士様を殺すなんて、とんでもない!」

「だからって、仲良くしすぎて、余計なことをぺらぺらしゃべるのも考えものだけどね。もっとも、ディアンヌもたいしたこと知ってるわけじゃなさそうだけどさ。それより」

 クララは、がば、と上半身を起こして、いたずらっぽい目でディアンヌをにらみつけた。

「あんた、あたしの正体がばれたらどうしようとか言うけど、一体、どっちの味方なの? 異端の完徳者たるあたしと、正統の神学者で教皇特使かもしれないウイリアムと」

「それは」

「そもそも、ディアンヌ。あなたは異端についてどれくらい知っているの?」

「実はよく知らない。司祭や司教のかわりに完徳者っていう人たちがいるってこと。三十年くらい前まではラングドックにはたくさん信者がいたけど、あたしが生まれた頃に十字軍があって、フランス王がトロサやカルカソンヌを陥して、たくさんの異端者が火あぶりになった、ってことくらいかな」

「まあ、だいたいあってるわね」

 言葉と裏腹にクララは情けなさそうな笑みを漏らした。

「ああ、それから、完徳者は黒い服を着ているとか、って聞いたことある。だから、クララはいつも素敵な服を着ていたから、完徳者だなんて、全然わからなかった」

「異端審問所が置かれるようになってから、黒服なんて着ないよ。でも、気は心だからね、あたしも必ず黒いものを身につけるようにしているんだ」

 そういわれてみれば、とディアンヌも合点する。今もクララは黒いベルトを腰に締めている。クララは、ベッドの上にあぐらをかくようにして、ディアンヌに向き直った。

「もし、あんたが私達の教えのことをもう少し知りたいって言うなら、教えてあげる。でも無理に聞かせるつもりはないわ」

 モンフェルメにいた頃なら、それこそ悪魔の誘いだとはねつけたことだろう。しかし、ディアンヌの考え方は変わってきていた。もはや、竜に乗って戦うだけではモンフェルメは守れない。少なくとも今のディアンヌの任務では弓や剣の腕ではないものが試されることになるかもしれない。

「聞く。でもわかりやすく話して」

 あなたって、そういうところが本当に正直だよね、とクララは笑った。

「私達の教えの、根っこにあるのが、『悪はどこから来たのかって』いう疑問なの」

「それだったら私だって知ってる。悪魔よ。悪魔がアダムとエヴァをたぶらかして知恵の実を食べさせた。それからも悪魔はずっと私達をたぶらかして悪いことや戦争をさせようとしているんだわ」

「じゃあ、その悪魔はどこから来たの?」

「悪魔は主を裏切って、地上に墜とされたのよ」

「裏切る前は?」

「それは、確か、なんだっけ、一番賢い天使だったんじゃなかったからしら」

「天使は誰が作ったの?」

「それは神が作ったってことだと思う」

「じゃあ、悪魔も神様が作ったってことでいいのね」

「ええっと」

「全治全能の神が、どうして悪を自ら生み出すの? なぜそれを無くすことができないの?」

「あの……クララ、あたしそういう難しい話はよくわからないから」

「難しくないよ。それにどうして、神は私達と異教徒(サラセン人)を戦わせるの? 異教徒に正しい信仰を教えてあげればいいじゃないの。異端者を何千人も火あぶりにする代わりに、真実を見せてくれればいいじゃないの。神様なのに、そんなこともできないの? それとも、神様はそうやって人間同士が殺し合うのを見るが好きなの?」

 ディアンヌはとても答えられなかった。もう異端とかそういうレベルじゃない。主の怒りに触れて今すぐクララの身体が炎に包まれても不思議じゃない。 

 クララは、小さく息をつき、少しだけ悲しそうに表情を緩めた。

「できないんだよ。なぜならこの世界を作ったのは、本物の神様じゃない、ニセモノの神様(デミウルゴス)だから」

「そんな……そんなのでたらめだよ!」

「でたらめじゃない。あなたが読む聖書にも書いてある。聖書が二つに分かれているのは知っている? 天地創造からの出来事を記した旧約と、救い主様の行いと言葉を集めた新約と」

「ええ、それは知っている」

「新約で救い主様が伝える神の言葉はどれも慈愛に満ていて過ちを許すことの大事さを教えてくれる。でも、それに比べて、旧約に書かれている神は……まるで傲慢な人間のよう。例えば」

 クララは傍らにおいてあった分厚い革表紙の本を開いてめくり、その一箇所を指し示す。

「例えばこんな感じ。

『主である私はねたむ神、私を憎む者には、父の咎を子に報い、三代、四代まにまで及ぼす(出エジプト)』

『主の御名を冒涜するものは必ず殺されなくてはならない(レビ)』

『その地の住民をことごとく、追い払い……あなたがた所有するように主があたえたからである(民数)』

『主が与える全ての国々の民を滅ぼしつくす。彼らを哀れんではならない(申命)』

 ……ね。ここに出てくる神様は、こうやって自分を尊ばない民を憎み、それを滅ぼすように言うの。こうやって世の中に争いを巻き起こしてきたの」

「それは……主を疎かにする者に罰がくだるのは当然だわ」

 ディアンヌの反論には、力がない。ディアンヌは文字(ラテン語)の読み書きは得意ではないが、こうして直接言葉を辿ると、その言葉の禍々しさには悪意さえ感じる。

 クララは、子供に寝物語を聞かせるように言った。

「昔、ベジエの町を十字軍が襲ったとき、一人の騎士が従軍司教に訊いた。『どうやって市民の中から異端をみつければいいのか?』司教は答えた。『全員殺せ。神はあとでそれらを見分けることができる』。そうして一万人を越える市民全員が殺され、街には火がかけられた」 

 ベジエの町を襲った悲劇をモンフェルメに置き換えるのはディアンヌにとっては簡単だった。 一万人が業火の中で炭になってゆく風景は、ディアンヌの心をくじかせた。

 自分は、その司教の言葉を聞いて熱狂し、市民達をその刃にかけることができるだろうか。いや、そうでないのなら、「過去と未来、全ての罪が許される」という十字軍に参加していて、異端に向けて振り上げた剣を収めることができるのだろうか。

「……正統の教えを信じる人も、『良き信徒』も、異教徒(サラセン人)さえも、本当はみんな同じ神様の教えを守って生きようとしているの。なのにニセモノの神様やそれをあがめる司祭達が、ホンモノの神様の教えをねじ曲げ、世の中に争いと不幸をまき散らしている」

「じゃあ、あたし達人間は、ニセモノの神様が創ったものっていうこと?」

「そうじゃないの。もともと人間の魂はホンモノの神様に限りなく近い、というよりは神様の一部のようなものだった。だけど、あるとき何かの事故で、ニセモノの神様が生まれてしまった。ニセモノの神様は狂っていた。そうしてこの、欲望と争いに満ちあふれたニセモノの世界を造ってしまった。あたし達人間の魂は、地上に降りるときにニセモノの神様が作ったカラダに閉じ込められてしまうようになった。あたし達の悲しみ、苦しみ、怒り、憎しみ、そういったものは全部、ニセモノの神様が作ったカラダに魂が閉じ込められていることで生まれる。魂が肉体に閉じ込められている限り、いくら教会で司祭に祝福を授けてもらって、何の救いにもならない」

「それっておかしいわ!」

 ディアンヌの上げた声は叫びに近かった。クララは、驚いた様子も見せず、どうして? と優しく聞き返した。

「だって、この世で、どうせ呪われた肉体に魂がとらわれているなら、この世では何をしてもいいってことにならない? だって、死ぬ前に救ってもらえればいいんでしょ? 誰もが好き勝手なことをして、あげくに地上が地獄になってしまう」

「うん、ディアンヌは賢いね。そう、あたし達の教えでは、帰依者達、つまり、完徳者ではない普通の帰依者は、厳しい修行をする必要はないし、罪を犯すたびに教会から免罪符を買わなくていい。だからこそ、かつてはたくさんのひとたちが正統教会ではなくて異端の教会に集まったの。それでも、じゃあ、『良き信徒』の人たちの社会が地獄だったり、やりたい放題だったかっていうとそんなことはなかった。みんな真面目に聖書の教えを守って、幸せで豊かな生活をしていたのよ。どうしてかわかる?」

「わからない。免罪符を買わなくてもいい、告解をしなくてもいい、そんなだったら、みんなが好き勝手なことをしてしまうに決まってるわ」

「ディアンヌは聖書を読んだことがある?」

「まさか。聖書を読むのは聖職者だけよ。わたしは読むのは得意じゃないし」

「オック語は読めるでしょ? オック語の聖書があるのよ。それをみんなで読むの」

「聖書を、普通の人が読めるの?」

「救い主のことばは聖職者だけのものじゃない、みんなのものなの。『自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい』そんな言葉の意味を一人一人が考えるの」

「そんな言葉が聖書にあるの?」

「そうよ。でも、司祭は、そんな言葉を、これから敵を倒すために出陣する騎士にかけたりはしないわね。ディアンヌだって、困るでしょ?」

「ええ。そんな、きれいごと言われてもって感じ」

「敵を倒さなきゃ人々は守れないし、貧しい人に施してばかりだったら、自分が餓えて死んでしまう。そうやってあたし達は沢山の罪を犯して生きていくしかない。だったら、普通にがんばって、それでも罪を犯してしまうんだったら、その罪を償うために教会にお金を払う必要なんかない。死ぬ前にちゃんと天国にいける。それがあたし達の教え」

 教会や教皇が正しいと言うことをやっていれば、告解をし、免罪符を手に入れれば、最後には天国にゆける。それは簡単でわかりやすい。でも、教会のいうことが本当は神の言葉ではないとしたら? 自分は一体、どうすればいいのか。これまでの生き方はなんだったのか。

「ディアンヌ、ごめんね。あたしはあなたを、あたし達の教えに導こうなんて思っていない。あたし達の教えが正しいと思ってもらう必要もない。だから、そんなに悩むことなんてないの」

「……ここまで言っておいて、それはないでしょう、クララ」

 力がはいらない。自分の声は泣きそうになっているように聞こえた。

「そうね。だからごめんね。でも聖書は読むといいわ。いいことが沢山書いてある。それから、できれば他人の言葉じゃなくて、自分の言葉で考えること」

 クララは、持っていた革表紙の本をディアンヌの膝の上に置いた。

「あげる。これはラテン語だけど、何となく意味はわかるでしょ。がんばれ」

 膝の上の聖書をディアンヌは、呪いの書か何かのように、おそるおそる手に取った。ページをめくると、びっしりと紙を埋め尽くした文字が今にもディアンヌに襲いかかってくるようだ。

「これ、クララのでしょ? いらないの」

「だいたい覚えた」

 ディアンヌはそのままページを閉じてしまうのは、さすがに悔しかったので、とりあえず目についた一編を強引に読んでみようとした。ラテン語とふだんディアンヌが話しとているオック語やカタルーニャ語は文法的には同じで、単語も近い。

「『もとめなさい。そうすれば、与えられる? 探しなさい、そうすれば、見つかる?』 ……あ、これ知ってる」

「読めたでしょ。『叩け、さすれば開かれん』」

 最後の句はディアンヌとクララの声が唱和した。思わず顔を見合わせて笑う。

 あたしも、探さなくちゃ、クララの独り言は、それほど意味のあるものだとは、ディアンヌは思っていなかった。

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