ベランジェ・ドゥガイヤールはいかにして十字軍司令官となったか
ベランジェ・ドゥガイヤールは、フランス王ルイに仕える三人の出納官のうちの一人だった。残りの二人はベランジェより一回りも年長の修道士で、ベランジェより経験も長く、優秀だった。ベランジェがルイに重宝されたのは、英語が話せて、武人ながらに読み書きが得意だったからに過ぎない。最近では混乱するイングランド情勢に関する助言や、秘書のような仕事もするようになっていた。忙しいことこの上ないが、ウェールズから逃れてきた一族をどうにか養えるだけの給金をもらえるので、文句はなかった。
その年の冬も終わりに近づいたある日、王の執務室に呼びつけられたベランジェが想像していたのは、ウェールズの大公(プリンスオブウェールズ)とイギリス王ヘンリー三世との争いに関してだった。ウェールズ大公ルウェリンは、ヘンリーとの戦いのために、以前からルイに同盟をもちかけていた。そして昨年、人質としてロンドン塔に幽閉されていたルウェリンの父が脱獄を企てた際に事故死したことにより、皮肉にもルウェリンはヘンリーに対して遠慮なく攻勢に出られるようになっていた。ルイにとってもウェールズとの同盟は考える価値のある話題になっていたはずだった。
しかし、王の興味はずっと南の土地にあった。
「またしてもラングドックだ。すまないが、行ってくれるか」
ベランジェより七つ年少の青年王の態度は尊大という言葉からはほど遠い。幼少時に陰謀渦巻く宮廷で散々苦労したせいだろうと言われていた。
むろん、ベランジェは二つ返事である。
「承知しました」
トゥールーズを初め、ラングドックの主要な土地にはルイの陪臣が代官として赴任している。彼らを差し置いてベランジェに任務を与えるというのは、おそらくそれなりにやっかいな仕事なのだろう。
「ラングドックのどこでしょうか。いずれ、四日もいただければ出立いたします」
「いやいや、さすがに四日は無理だろう。出発は五月でよい。兵を集める必要があるからな」
ベランジェは耳を疑った。「私に、兵を率いよと?」
「そうだ。イングランドにいたころは攻城戦の名人と言われていたそうじゃないか」
「陛下、ウェールズです。自分の故郷は」
その故郷を追われて大陸に流れてきたのが四年前。イングランドの戦いで敗れたウェールズは、ベランジェの領地をイングランドに割譲され、ベランジェとその一族は遠い親戚にあたるルイを頼ってドーバー海峡を越えたのだ。
「教皇がモンセギュールの残党を掃討しろと言ってきた。というか、モンフェルメを攻めろというのだ。知ってるか、モンフェルメ。小さな邦だが」
「ええ、聞いたことはあります」と、ベランジェは嘘を答えた。もちろんベランジェはモンフェルメを知っていた。名高い竜騎士団の存在がベランジェの興味を惹かないわけがなかった。
「モンセギュールの残党がモンフェルメに逃げ込んだ、ということなんだが、どうも教皇の関心は別のところにあるらしい」
「つまり……」
「異端を口実に、モンフェルメの竜を欲しがっているようだ。あれを自分の手駒にしたいらしい。神聖ローマ皇帝フレデリックとの抗争では押されっぱなしだからね」
「竜は……人相手の戦争には意外と使いにくいものです」
「うん、想像はつく。それに教皇の想像力の方もね。まあいい。フレデリック皇帝と事を構えるのは論外だが、教皇にもあんまりすげない態度をとってアラゴンなんかに泣きつかれても困る。少し揺り戻して、向こうの希望も叶えてやる必要がある。それでだ、ベランジェ卿、あなたに征ってほしい」
「陛下、まさか竜を捕まえろとおっしゃるのですか? それはさすがに」
「いや、捕まえる必要はない。滅ぼしてしまうのだ」
思わずベランジェはルイの顔を見直した。身体に震えが走ったのを見とがめられなかっただろうか。
「竜は、あれはよくない」
ルイは声を顰め、まるでベランジェに言い聞かせるように頭をふった。
「竜は悪魔の創造物だ。あのような邪教のものが私の王国に存在するのは認められない」
「お言葉ですが陛下、竜は邪悪なものではなく、戦いのための道具でさえありません」
「ベランジェ卿、世界は変わりつつある」
ルイは抑制された声で、ほとんどささやくように語った。
「シャルル大帝の時代はそれでもよかった。異端と異教が、伝説と神話が渾然一体となってそこここに息づいていた。ピレネーの山奥に、あるいはウェールズの果ての島に竜を駆る者達がいても何の問題もなかった。しかし」
と、ルイは壁に貼られたヨーロッパの地図を指さす。
「この五十年の間にフランスの諸侯はことごとく我が王家の支配下に入り、人々やモノの往来は増えた。もはやヨーロッパに『辺境』は存在しない。もし、竜が突然パリの上空に現れて人々を襲ったら? そのような世迷い言を人々が口にするようになる前に、伝説の源は刈り取っておく必要がある。ましてや、教皇が異端じみた獣を使って皇帝と争うなどという図は、私としてはとても見たくない」
「わかりました陛下」
「そして、この任務、卿こそが適任だと思うが」
「……はい」
「そして、成功の暁には、封土を与える。卿の一族が安心して暮らせる程度のな」
ルイはベランジェの出自を知っている。今更、とぼけたところで無意味だろう。ベランジェは礼を言い、もうすこし現実的な問題を指摘した。
「しかし陛下、今回も諸侯は参戦を渋ると思われます。異端相手の十字軍とはいえ、実入りがよくありません」
「モンフェルメは竜を除けば至って寡兵だ。二千もあれば十分だろう。傭兵を使うがいい」
ベランジェは頷き、必要な費用をざっと頭の中で見積もった。確かに地形から言っても一万の軍勢を展開できるような場所ではない。むしろ工兵と職人が必要だ。
「モンフェルメ副伯国の方は、副伯爵家を追放して代官を据えるくらいでよかろう。教会には異端審問所も作らせてやろう。もっとも」
ルイの端正な顔に皮肉な笑みが浮かぶ。
「仮にほんものの異端がいればの話だがね」
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