竜騎士の戦い
一騎の竜が、例の娘騎士のやつだ、荷車の上の修道士達に狙いを定めと思えたときには、ベランジェは、これでこの遠征も終わった、と半ば観念したものだ。しかし、不思議なことにその竜は降下するのをやめ、再び飛び去ってしまった。やはり、聖職者は竜を押しとどめる力があるのか、そんなことを半ば本気で考えていたら、修道士の一人が、荷車の上から叫んだ。
「準備できました、閣下」
「進軍やめ! とまれ! いいぞ、やってください」
修道士達が構えたのは一抱えほどの四角い筒のようなもの。それを再び襲ってきた別の竜に向ける。筒の右側には取っ手がついていて、一人の修道士がそれを回し始めた。それは、矢や煙をはき出すわけではなく、明滅する光を出す仕掛けのようだった。竜が前方から迫る。竜騎士は槍を構え、竜は威嚇するように口を開く。再び凄絶な一撃が部隊にくわえられるのは確実、とベランジェが目を細めたとき。
急に竜が甲高い大声で啼き、中空で暴れはじめた。低空でふりまわされた尻尾に二人の兵士がはじき飛ばされたが、竜の方はもう、飛んでいるどころではなかった。必死で背中にしがみつく竜騎士を乗せたまま、竜はフランス軍の上を飛び越し、山肌に激突し、斜面の岩肌を崩しながら斜面に転がった。そして、なんということか、竜の身体がみるみる茶色に変色し、形が崩れはじめ、ついには砂の山になってしまったのだ。
呆然とした数瞬が終わると、フランス軍の隊列から鼓膜を振るわすような歓声があがった。ベランジェは持った剣を機械的に振り上げて兵士達の歓呼に応えたものの、目の当たりにした情景の衝撃に言葉が出なかった。
「おい、今の、なんだありゃ」
トーマスが震える声で言った。「……なんの呪いだ」
「……騎士トーマス、あれは呪いではない。神の奇蹟です」
そう、答えるベランジェの声こそ震えている。まさか、あれほどのモノとは。
「奇蹟だって? お前にはそう見えるのか? くそったれ!」
すぐさま、次の竜騎士が降りてくる。状況を飲み込めていないらしく、これまでと同様の攻撃をしかけてくる。一方、見習い修道士達の動きは、少しだけ落ち着きがみられるようになった。正面から来る竜騎士に対して同様に点滅する光を向ける。さっきと何が違ったのか、今度は飛翔する形のまま、竜は翼を広げて凍り付いたように動かなくなった、慌てふためく竜騎士を乗せたまま、ゆっくりと降下しながら、身体の表皮から細かい塵や乾いた皮膚をはがれ落としてゆく。その広がった翼が、枯れ葉のように千切れて後に吹き飛ぶと、竜の形をした茶色い塊は一気に高度を下げ、地面にぶつかって粉々に砕けた。その塵はまるで竜巻のように吹き上がった。
続く二騎が「奇蹟」の餌食になるのは、ついでのように一瞬だった。一騎は異常を察知したのか、攻撃をやめ、ベランジェ達の部隊の横を航過しようとした。勢いづいたフランス軍は、竜と竜騎士の側面に対して弓矢や弩をここぞとばかりにたたきつけた。竜騎士は負傷し、巣に戻ろうとしたらしい竜が首を巡らせたところに「奇蹟」が降りそそいだ。
もう一騎は、問題の根源が荷車の上の修道士達にあると看破したようだが、「奇蹟」を防ぐ術があったわけではなかったから、結局は同じことだった。
「もう一騎いたはずだな。逃げたのか」
「いや、来ます。前方」
しかし、その一騎、例の娘騎士の操る竜は、まだ様子がおかしかった。姿勢がふらつき、攻撃を仕掛けてくるような状態には見えない。竜騎士も竜をうまく操れないのか、首にしがみつくような姿勢をとっている。そして、鼻面がこちらを向いたとき、修道士達はまた「奇蹟」の光を竜に向けた。竜が身もだえし、竜騎士は振り落とされそうになる。しかし、その効果は、それまでの四騎ほどには劇的ではなかった。
「おい、あの竜、前が見えてないんじゃねえか」
トーマスの指さす方に目をこらすと、たしかに兜がずれて目を覆いかくしている。
そういうことか、とベランジェは合点した。『奇蹟』は、その光を見る竜に対して効果を及ぼすということらしい。
身もだえしながらも羽ばたき続ける竜の背中で、竜騎士は必死で竜にしがみつきながらも竜の鞍から剣を抜きはなった。その動作は訓練され、剣を使い慣れた者のそれであって、ベランジェは戸惑うことなく命じた。「撃て、遠慮はするな、相手は異端の魔女だぞ!」
振り注ぐ矢に対して、盾の影に身をかがめ、果敢に竜の首を巡らせ、ベランジェ達の部隊の真上を通過しながら、モンフェルメの谷の方に戻ろうというのだろうか。竜は我が身の重さに耐えかねるように、どんどん高度を下げてゆく。もう少しで竜の足が地面につく、というとき、竜騎士が大きく剣を振り上げた。そして、その直後、竜が纏っていた鞍や兜、手綱などの「馬具」が、槍や剣などの武器ごと、そして乗っていた竜騎士ごと、ずるり、と竜の背中から落ち、地面に落下した。それで身軽になったのか、竜はどうにか高度を上げて、雲の中に消えてゆく。
「一騎は逃したか」
トーマスが舌打ちするが、それほど悔しそうではない。「しかしひでえ戦いだ。こんなもの、まともな、人間の戦争じゃねえ」
「同感ですな、騎士トーマス」
ベランジェはめちゃくちゃになった隊列を見渡した。壊された荷馬車、引き裂かれた旗、そして血まみれで横たわる騎士や兵士、馬。すぐに指示を出さなかったので倒れた者達の手当が始まっている。荷馬車の上の修道士達は、惚けたように荷台に座りこんでいる。被害はざっと三割というところか。兵士よりも騎士の犠牲が多い。
「このまま、ゆっくり進んで峠を越えましょう」
「騎士団が待ち伏せしてるだろう」
「竜騎士団が全滅したのは、向こうもわかっているはず。いくら地の利があっても、これだけの数の差があれば襲撃はないと思います」
「まともな連中なら、籠城を選ぶ、か」
「攻城塔と投石機を設置できれば、戦いは五日で決着するでしょう」
「だが、技術者と職人どもは軒並みやられちまったぞ」
「ひと月もあれば職人など集められます。ミルポワの司教が、良い技術を持っているそうです。手紙を書きましょう」
補給はフランス王が責任を持つと言っている。何より投石機設置のための最大の脅威だった竜騎士団は排除できた。職人の招集にひと月、資材の輸送と投石器の組み立てに半月。頭の中で何度もなすべきことのリストに印をつけてゆくうち、ようやく、ベランジェの不安も収まっていた。一方、トーマスの機嫌は直らない。
「気にいらねえな。異端審問官の奴、俺たちが何もかもお膳立てしてから来やがるつもりか」
異端審問官などという者と一緒に過ごす時間は短いほうがいいに決まっている、そう心の中では考えていたが、口に出しては「どうでしょうね」と適当に返事を返す。
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