竜騎士の出立

 竜騎士の出撃の準備には、本来三人ないし四人が必要だ。ディアンヌとアルフォンス、それにいつもならエレーヌや、ヴォルケを怖がらない使用人のジャンが手伝うこともある。他の竜騎士の従者が応援に来てくれることも以前はあった。

 しかし、今日は騎士団全軍での出撃だ。準備はアルフォンスと二人でやらなくてはならない。

 ヴォルケに腹帯をつけ、鞍を乗せ、手綱をつける。前足と後ろ足には鉄製の爪を穿かせ、皮のベルトで固定する。竜の鞍は馬のそれと違って、ローマの戦車のようにごつい代物だ。下から竜騎士を狙う矢に対して守るため、左右それぞれに盾が取り付けられ、さらに普通の騎士の使う盾をとりつけるためのカギがある。ディアンヌはもっぱら弓を使うので、盾は固定している。さらに鞍の左右には二本ずつの長弓と弩、それに矢筒をぶら下げる。他には、味方の地上部隊に情報を知らせるための信号気流籏なんかも積んである。

「ディアンヌ、槍はどうする」

 竜窟の奥からアルフォンスが長槍を引きずり出してくるところだった。これまでディアンヌは自分には使いようのない長槍でもかならず装備することにしていた。長槍こそが竜騎士の象徴だからだ。

「要るわ。あたりまえでしょ!」

 アルフォンスは、小さくため息をついて、槍をひきずる作業を再開した。

 ディアンヌ自身の服装は、普通の騎士と変わらない。ただ、視界を良くするため、面甲のないノルマン風の兜をかぶる。目のところには薄くて固いガラス板がはまっており、これが強い風圧から目を守ってくれる。

 準備はできた。あぶみに足をかけ、鞍の取っ手を使って身体を鞍に持ち上げる。

「ディアンヌ、兜!」

 下からアルフォンスが叫ぶ。

「え? あたし、ちゃんと被って……」

 ちがう、ヴォルケの兜がまだだったのだ。

 いったん鞍から降り、ヴォルケに頭を下げてもらって、アルフォンスと一緒に兜を乗せる。そのとき、修道院の六時課の鐘が鳴り響いた。

「ああ、しまった、遅れる!」

 そして、岩小屋から上って来る扉の前に、エレーヌが姿を現した。

「お姉様、どうかお気をつけて」

「あ、うん、ありがとう。エレーヌ、あとは頼むよ」

 エレーヌや使用人達は、この後、館を離れて町の中の仮住まいに移る。小作や村の農民達もほとんど町や奥の谷の村に避難したはずだ。

「もう、いいよアルフォンス、それくらいで。落ちないから」

 ディアンヌは再び鞍によじ登る。アルフォンスが慌ててヴォルケから離れる。手綱を握るが、まだそれを引く必要はない。なぜなら竜には言葉が、そして気持ちが通じるからだ。

「ヴォルケ、いくよ」

 小さな声でささやくと、ヴォルケはぐいと頭を持ち上げ、そして、後足で立ち上がった。ディアンヌも思わず背筋が伸びる。眼下のアルフォンスとエレーヌに向かって、手を振る。ヴォルケが、一歩、また一歩と足を踏み出し、翼を徐々に広げてゆく。その歩みはやがて巨体からは考えられないほどの速さになり、そして竜窟の入り口から一気に外に飛び出した。

 身体がふわりと浮かび上がる感覚、それに続き、ヴォルケが二度大きく翼を振ると、今度は身体がヴォルケの背中に強く押しつけられる。ディアンヌは手綱を握り直す。眼下にあっという間にラングレ館が過ぎ去り、街道沿いの集落の上で旋回して鼻面をモンフェルメの町に向ける。眼下には乾いた土色の畑と緑の牧草地がパッチワークのように広がる。その間を縫って流れるのはギヨンヌ河といって、ピレネーの奥に源流を持ち、モンフェルメの町中を通り、城壁の下を通って北へながれてゆく。

 町の上空に到達。すでに四騎の竜は町の上に輪を描いて飛んでいた。五騎全騎が降りられるような広場はモンフェルメにはない。輪に加わりながらディアンヌが見下ろすと、城の前の大広場に黒い修道服を着た男が、大げさな身振りをしながらディアンヌ達を見上げていた。もちろん、声は聞こえない。でも、祝福を授けてくれているのは間違いないだろう。

「主よ、お守りください。あたし達と、この町を」

 下から大きな歓声が聞こえた。あちこちの広場から、建物の窓から、そして屋根の上から、町の人々が旗や帽子や手を振っているのが見えた。

 一番下で周回していたフィリップ団長が手信号で出撃を伝達する。ディアンヌは手綱を少し強く引き、旋回を強めながら降下して、フィリップのすぐ後につく。胸元に下げていた竜笛を口の端に咥える。速度が増して向かい風が強くなると、声が竜に届かないことがあり、人間の耳には聞こえない笛の音で竜に指示を出すのだ。

 見通しは良いが、雲が低い。ディアンヌ達は雲のぎりぎりの下を飛ぶ。竜はゆっくり飛んでも馬の襲歩の二倍以上の速さだ。すぐに眼下に峠が見えてくる。その手前にはモンフェルメ騎士団を中心として傭兵や歩兵を加えたモンフェルメ軍が敵を待ち構えている。エクトールとアシルもいるはずだが、この高さではわからない。

フィリップが高度を上げろ、と手信号を送る。ディアンヌも間違えないようにそれを後に伝える。雲の中に入り、正面の視界は真っ白になる。しかし、見下ろせば薄雲を通して河原の風景があり、そこにたたずむ一群の兵士達を見つけるのは簡単だった。進軍中ではなく、戦闘の準備をしているようだ。気づいたのだろうか。

 およそ千五百人というところ。これだけの大軍を見るのはディアンヌも初めてだ。しかし、この高さからは人も馬も荷馬車も小さく、ヴォルケが一回羽ばたけば吹き飛んでしまいそうに見える。

 再びフィリップからの手信号。事前の打ち合わせ通りなので、簡単なものだ。五騎の竜が四方に分かれる。ディアンヌは翼を翻しながら上昇し、フィリップとは反対側、峠の方向に離れながらタイミングを計る。

 フィリップが先陣を切って雲の下に出る。戦いぶりを鑑賞している余裕はない。名誉ある二の槍は、今回ディアンヌにまかされたのだ。雲の下から鬨の声が聞こえる。フィリップがディアンヌの左側を上昇しながら過ぎてゆく。

「ヴォルケ、最初から低く飛ぶよ」

 手綱を緩め、首筋を押さえ、短く二回、笛を鳴らす。高度が下がり、気づいた敵兵がのろのろとディアンヌに弓を向ける。フィリップの初撃にやられたのだろう、血を流して斃れている兵士も見える。降下角度は八対一だが、地上からは、ほとんど真上から降りてくるように感じられるはず。打ち上げられる矢は届かず、弩のボルトもヴォルケの厚い皮膚ではね返されるだけだ。ディアンヌは弓を構え、鞍につけられた盾の隙間から狙いを定める。高度を味方につけ、風を読むことでディアンヌの弓は弩や長弓並の威力を持つ。白いマントの金髪の男が司令官のモンシエル伯か。ちょろちょろ動くな。その後の騎士でいいや。

 今だ!

 弓をつかんだままヴォルケの首筋を更に抑えて高度を下げてもらう。一瞬のうちに兵士の群れが近づき、恐怖におののく顔、叫び声を発することもできない口、血走った目が、ディアンヌの視界を埋め尽くす。ヴォルケの爪が引き起こした惨状は、後方に遠ざかる悲鳴としてしかわからない。手綱を引き、加速して上昇、また雲の間に隠れる。

 ディアンヌに続き、他の竜騎士達が次々とフランス軍に襲いかかった。長槍を構え、果敢に一騎打ちを挑むフランス軍騎士もいたが、得られたものは愚かさへの罰か、竜騎士と戦ったという名誉だけだった。馬の五倍もの体重と二倍の速力をもった竜が、その勢いのすべてを長槍の先端にこめて突撃すればどのようなことになるか、どれほど想像力が乏しい者でもおよその見当はつくだろうに。

 戦線を乱され、次々と犠牲者を出し、それでもフランス軍は、必死で峠に向かって駆け続けた。峠にさしかかれば、今度は前方からモンフェルメの騎士団が突撃してくることくらい、想像できないのだろうか。荷馬車の上、祈りを捧げるために聖書でも引っ張り出そうというのか、二人の修道士が必死で荷物をほどいている。どちらかが、件の異端審問官、ギルベールだろうか? 聖職者を手にかけるのは抵抗があるが、脅すくらいならいいかもしれない。次はまたディアンヌの番だった。左に旋回し、敵の陣列の最後尾を竜の首の軸線に捕らえる。

 と、そのとき。突然、ヴォルケが首を左右上下に振りはじめた。もちろん飛行も安定しない。

「ヴォルケ、どうしたの?」

 ディアンヌはあわてて手綱を引いて降下を抑える。それにヴォルケは素直に従うが、おかしな首振りはやめない。安定を指示する長い二回の笛も効き目がない。

 あ! 兜! 兜がずれている。

 それで前が見えなくなったんだ。ディアンヌは必死で身体を伸ばし、手を伸ばして兜を直そうとする。しかし、ヴォルケはあいかわらず暴れていて、うまく手が届かない。せめて兜の顎ヒモがつかめれば。

 どうにか山にぶつからずにまっすぐ飛ぶだけのディアンヌの横を、若いジョシュアがすり抜けて降下してゆく。すれちがいざま、笑いながら、巣に戻れ、と手信号を出したのが見えた。

 くそう、なんて屈辱! 

「ヴォルケ、とりあえず雲の上に出よう。まっすぐ飛んでくれれば、その間に直すから!」

 今のをエクトールは見ていただろうか。多分見えたはず。これでエクトールが手柄を立たてたりしたら、もう、裸で広場にさらし者になる方がましというものだ。

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