第二章 騎士ディアンヌは十字軍を迎え撃つ
十字軍きたる
「まったく、くそったれな雲だぜ。あれが、モンフェルメの魔法って奴か」
馬を並べるトーマス・フォン・ルートヴィヒのフランス語は完璧だが、言葉の内容や態度が騎士としてふさわしいかというと、それは別だった。故郷を遠く離れた放浪騎士団、というより単なる傭兵団の首領であるトーマスは、川沿いを進むこの山間の街道に入って以来、ずっと機嫌が悪い。
「モンフェルメの魔法などというものは噂に過ぎません、騎士トーマス。ただし、竜騎士団の話はもう少し信憑性が高い」
モンシエル伯爵ベランジェ・ドゥガイヤールは、トーマスの質問とも言えない独り言に丁寧に答えた。「それに竜はともかく、それを操る人間は、雲の中を長い時間飛び続けることはできない。この分厚い雲は吉兆と考えるべきでしょうね」
「誰に吹き込まれたか知らねえが、そんなもんは屁理屈って言うんだよ、司令官殿」
トーマスの言うとおり、鉛色の雲はべったりと谷に蓋をしたように垂れ込めている。この場所は広い河原のようになっているものの、その先は上り坂になって道幅も狭くなり、峠はほとんど雲の中に消えている。だが、その峠を越えてしまえば、モンフェルメ副伯国だ。モンフェルメの城壁までは障害といえるものはない。
もし、敵が奇襲をしかけてくるとすればあの峠にさしかかったあたりだろう、ベランジェはそう考えていた。だが、トーマスに言われて考えを改める。地上からの反撃がしづらいというなら峠だろう。しかし空からの攻撃がしやすいという点では、この河原の方が危険ではないのか。あらためて空を仰ぐ。思ったより雲は薄いかもしれない。その上を飛んでくる可能性があるということだ。
自分ならどうするか、という問いは、ことモンフェルメの竜騎士団を相手にするときには発しないように心がけていた。竜に関する知識はかえって判断を鈍らせる。敵は体系的、組織的に何百年、ひょっとしたら千年以上も竜を使ってきた連中なのだ。
ベランジェは決断し、後続の部隊に指示を出した。
「敵襲に備えなさい。弓と弩を出して前後に展開。長槍隊は左右に広がれ」
「ここで一戦交えるってのか? そのギルベールって異端審問官はまだ追いついてないんだろ? 奴がいなくても」
「ギルベール師の弟子達がいます。彼らは何とかすると言っています」
ベランジェのすぐ後で荷馬車を引いていた若い修道士達が、あわてて荷物をほどきにかかった。遅すぎる。いや、彼らの失敗ではないのだが。
進軍を一時中止して陣を整える。騎士や兵士に空を見張らせる。峠までべったりと張り付いた雲は竜であろうと、その中を飛ぶのは困難なように見える。やはり、ここでの襲撃はないか。そう思ってここまで来たのだが。
「出た!」「竜だ!」
複数の叫び声が上がった。ベランジェが見ていたよりもずっと近く、ほとんど真上に近い場所にその姿はあった。
巨大な胴体とその何倍もある銀灰色の翼。翼は獲物を狙う猛禽のそれのように広げられ、全く羽ばたいていない。後脚には銀色の鋭い爪が輝き、同じ色の兜から除く金色の瞳は炎のように揺らめいているように見えた。竜の首の付け根に座る騎士は、普通の騎士が持つ槍の二倍以上の長さの槍を掲げ、それを今まさにふりかぶり、ベランジェにぴたり、と狙いをつけている。
外見もなにもなかった。ベランジェはとっさの判断で自ら落馬した。あばらやだったら吹き飛ぶような風が巻き起こり、旗や弓やその他いろいろなものが舞い上がる。そして一瞬にして遠ざかる竜騎士の槍の先には、貫かれた盾と一人の騎士がぶら下がっていた。竜騎士が、槍を下に向けて振るった。まず、騎士が落下し、そして二つに割れた盾が川面にはねた。
「な、なんだ、あれは……」
ほとんどの兵士が一回の反撃もなく、雲の中に消える竜の後姿をぼんやりと見送っているだけだった。
「おい、おい、やべえぞ、ベランジェ司令官、前に進ませろ!」
ベランジェが気を取り直したのはトーマスの怒鳴り声が聞こえたからではなかった。竜の消えたその雲の中から、まるで時間を逆回しにしたように、竜がまた姿を現したのだ。
「撃て、撃て、反撃しろ」
叫びながら必死に馬の上に這い上がる。剣を抜こうとして思いとどまる。届くわけがない。
弓、長弓、弩の矢が次々に打ちあげられたが、どれも届かないか、竜の胴体や腹にはじき返されている。竜騎士は竜の身体の後に身を隠しながら弓を構えている。
弓? モンフェルメの竜騎士も長槍を使うと聞いていたが?
よく見るとその竜騎士は小柄で、面甲をつけていない兜の下の顔は、まだ子供、いや若い娘ではないか。放たれた矢は、傍らのトーマスの左腕に命中して鎖鎧を切り裂き、バランスを崩して落馬させた。高度がある分だけ、威力を増しているのだ。しかし、この程度の弓では……。
そう思いかけたベランジェの視線が娘騎士の目とあった。娘は怒っているようにも笑っているようにも見えた。竜はそれほど低く飛んでいる、そう知った次の瞬間、竜の後足の爪が、さきほどよりも遥かに強い暴風とともに、数名の騎士と兵士と馬を引き裂き、はじき飛ばしながらベランジェの脇を走り抜けていった。
返り血をぬぐう間もなく、ベランジェは叫ぶ。「走れ、全員走れ、峠に逃げ込め」
「遅えっての、司令官!」
なんとか鞍に這い戻ったトーマスの悪態に答えている余裕はなかった。
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