モンセギュールの秘宝

 送ってゆくというエクトールの申し出を断り、モンフェルメの城門を出たとき、まだ空はほんの少し明るく、しかも半月が尾根の上に顔を覗かせていた。それでも街道の往来はすっかり減っていて、やせた馬に必死でむちをあてながら荷馬車を走らせる商人とすれちがったくらいだ。このあたりは狼も盗賊も少ないのを知らないのだろう、それほど焦らずともいいのに。

 それにしても、と、馬の背に揺られ、ぼんやりと前方の民家の窓のかすかな明かりを見ながら、ディアンヌは思う。

 大変な一日だった。

 でも、明日からは戦いの準備が始まり、町はもっと大変なことになるだろう。ディアンヌも準備をしなくてはならない。籠城戦となれば、城壁の外にあるラングレの館は放棄することになるだろう。もちろん、そうならないよう、谷の入り口で十字軍を追い返してしまえればいいのだが。

 父や母との想い出の残った家が、敵に踏みにじられたり焼かれたりするのは耐え難いことだ。だが、それが戦いなのだから、騎士としては受け入れるしかない。

「主よ」

 思わず、ディアンヌはつぶやいていた。

 ディアンヌの人生は、同年代の女と比べて決して悪いものではないと思う。八年前に母が、三年前に父が死んで、姉妹二人だけが残されても、住む家と畑があり、わずかではあったがかしずく者達もいた。だが、今度の戦争ではどうなるだろう。畑や家が焼かれ、町も敵に踏みにじられ沢山の人が死ぬかもしれない。ディアンヌ自身だって戦いに斃れないと誰が言えよう。だからそうならないように、悲しいことを少しでも遠ざけるように、ディアンヌは戦う。

 そして祈る。 

 もっと力が強ければ、ローランのような領主であれば、あるいはフランス王のような君主であれば、祈らずとも自分の力で悲しみを遠ざけることができるのだろうか? 少しはそれができたとしても、父や母を取り戻すことはできないだろうし、結局、その分だけ、沢山の敵が目の前で死んでゆくのを見ることになるだろう。

 だから、やはり祈る。悲しみが少なくなりますように。

 そして、悲しみも苦しみもない天国にいけますように。

 『良き信徒』達には悲しみはないのだろうか。教会から見捨てられたら、祈りも届かず、天国にもいけないというのに。それなのにどうして彼らは進んで火の中に身を投げるなんてことができるのだろうか。

 そんなことを考えていると、前方で、民家の灯りと思っていた光が揺れるのがわかった。目をこらす。人が掲げているランプのようだ。ディアンヌは、それが誰なのかすぐにわかった。馬を少しだけいそがせる。

「アルフォンス、大丈夫だって言ってあったはずよ」

「エレーヌ様が迎えに行けっていうんだ。逆らえない」

 まったく。妹の心配性にもいいかげんうんざりする。

 左の鐙をゆずり、手をさしのべる。「いいわ。乗って」

 アルフォンスは少しも遠慮する様子もなく、ディアンヌの手を握って身体をディアンヌの後に引き上げる。

 幼いころから姉弟のように育ったアルフォンスだったが、ディアンヌが正式に騎士の修行を始めるようになると、その関係は変化していった。騎士として主人としてのディアンヌの言葉、ラングレ家の当主としての言葉、そして幼なじみとしての言葉。それらをアルフォンスは厳密に区別して対応しようとする。それがディアンヌにとっては少々はがゆい。今も、ディアンヌの背中から十分な距離をおいて座っている。それでも気配は十分伝わるから、かえって意識してしまう。

「ねえ、アルフォンス。十字軍がモンフェルメに来るらしいわ」

 それはディアンヌにすれば最大限のサービスだ。しかし、アルフォンスは、そっけなく、

「そうなんだ」

 と答えただけ。

「モンフェルメに、モンセギュールから逃げおちた異端の残党が逃げ込んだっていうのが、十字軍をさしむける理由。いいがかりもいいところよね、本当」

「うん」

 どうせ擬竜のことでも考えているのだろう。もう話すのをやめようか、とディアンヌは思ったが、そんなそっけない返事でも、アルフォンスの天使のような声を聞くのは気持ちのよいことだった。

「でも、本当なのかしら。異端がいるというなら、引き渡せとか、異端審問所を作れとか、そういう話が先でしょ? 問答無用で十字軍とか、おかしいじゃない?」

「去年の三月、モンセギュールの『良き信徒』達が降伏して開城する直前に、何人かの信徒が砦を抜け出した」

「……え?」

 突然、詩を読むように発せられたアルフォンスの言葉に、ディアンヌはあわてて振り向くところだった。

「その前の、砦が陥落した直後にも、二人の完徳者パルフェが砦を抜け出している。それを知ったナルボンヌの大司教は、モンセギュールに立てこもっていた異端者の処罰なんかそっちのけで、砦の周囲を探させたんだ」

「それはどうして? 何か、宝物でも持ち出したっていうの?」

 我ながら俗っぽい質問だとディアンヌは後悔した。背後のアルフォンスの皮肉っぽい笑みが見えるようだ。だが、アルフォンスの答えは素直な肯定だった。

「そういう噂だね。でもディアンヌはどう思う?」

「どうって、異端者の考えることなんてわかんないけど、あんまりお金とか宝ものとか、そういうのを大事にするイメージがない」

「僕もそう思う。二人くらいで持ち出せる程度の金目のもので、ナルボンヌの大司教が血眼になるとは思えない」

「わかった。その財宝を異端者達はモンフェルメに持ち込んだのね。じゃなくて、教皇様は異端者がその財宝をモンフェルメに持ち込んだと考えたんだ。それがここに十字軍が来る理由ってこと」

「だから財宝じゃないって言ってるんだけど」

「財宝じゃないとしたらなんなの?」

「たとえば『良き信徒』達にとっての真理が書かれた本、異端書アポクリファ

「本なんて覚えちゃえばいいし、見つかって困るなら焼いちゃえばいいし」

「……ときどきディアンヌは賢いことを言うよね」

 それは無礼な言葉だったが、もちろんディアンヌはうれしかった。

「モンセギュール城主の奥方も御息女のエスクラルモンドも陥落の前日にわざわざ救慰礼を受けて完徳者パルフェになったんだって」

「わざわざ火あぶりにされるために、その、洗礼を受けるとかどうかしてる」

「洗礼と救慰礼は違うよ。救慰礼はこの世の苦しみや罪や楽しいことからも縁を切って、死ぬ準備ができたってこと」

「あ、それなら何もおかしくない」

「『良き信徒』達にとって最高の幸せは、救慰礼を受けて死ぬことなんだよ。だったらどうして砦に立て篭もって戦ったりするんだろう。フランス王が欲しがるような宝を隠しもったりするんだろう」

 ラングレ館の窓にともった明かりが見え始めた。そこへたどる道はまだ薄ぼんやりと見えていたが、無責任で後暗い異端の噂をするには十分すぎるほどの闇だった。

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