傭兵たち

 初夏の陽はどんどん長くなっているというものの、町の周囲を囲むピレネーの峰の作る影のせいで地上は急速に暗くなり始めていた。それでもこのモンフェルメの町では簡単に人々はねぐらには向かわない。広場の露天は、昼間よりも数が減ったとはいえ、まだまだたくさんの商人が声を張り上げているし、お客の数も減っていない。ディアンヌは城から出てすぐの石段の上で立ち止まり、周囲を見渡す。大広場から放射状に伸びる六本の通りに順に目を走らせる。商工会の建物の横から伸びる通りにエクトールの外套の端が見えた。石段を駆け下り、露天の間を抜け、路地に飛び込む。

 かろうじて荷馬車一台分が通れる隙間を残して、道の両脇には店からはみ出した陳列台や露天がひしめくようにならんでいる。エクトールの背中を認め、声をかけようとしたとたん、エクトールが振り向いた。しかし、声をかけるでもなく、また正面を向いて歩き始める。ディアンヌは舌打ちして、足を速め、その横に並ぶ。

 エクトールは急いで歩いているわけではなかった。あちこちの露天に首をつっこみ、行商人や店の主人と言葉を交わし、勧められるまま魚の酢漬けの味見をする。

「これはこれは殿下。いかがです、アンダルシアの蜜の焼き串ですよ」

「エクトール様、柘榴石の髪飾りですよ! 女の子に贈ったら、もう効果てきめん……あっ」

 ディアンヌも町歩きは好きだし、地元には顔も知られているが、騎士姿や男装で店を冷やかすことはない。勧める相手を間違ったとばかりにばつの悪い表情を浮かべる店主に、エクトールは笑いかけながら、いくらだよ、と訊く。二、三回のやりとりの末、つまみ上げた髪飾りは懐にしまい、ディアンヌに差し出したのは、隣の屋台で売っている黄金色のたれのかかった、いい香りを漂わせている焼き串の方。少し焦げ目が多いが、一口食べると甘さと塩辛さが絶妙で、おなかが、きゅっと締まるような気がした。

「お恵みありがとうございます、殿下」

 いやみったらしくそう言ってやると、同じ焼き串をほおばっていたエクトールは、ふん、と鼻で笑う。もっとも、礼を言われてまんざらでもなさそうだ。

 この界隈には宿屋がいくつも並んでいた。一階は酒場で、二階あるいは三階があれば三階までが寝室になっている。その上階の方を見上げて、「ここはやってないのか」などとつぶやいている。

「なに、あなた、家出して宿屋で暮らすの?」

「いや、家出して宿屋を始めようかと思って」

「戦いが始まったら、よそ者なんてみんないなくなっちゃうわよ」

「そうかな」

 周囲を歩く人々の半分以上はモンフェルメの者ではない。飛び交う言葉もフランス語(オイル語)やカタルーニャ語、バスク語も入り混じっている。まったく理解できない言葉を話しながらすれ違う二人組。背筋が冷たくなる。異教徒サラセン人だ。

 様々な文化や言語の入り混じる国境の町で生まれ育ったにしては、ディアンヌは異教徒をはじめとした異質なものに対して抵抗感を持っていた。ここぞとアルフォンスに馬鹿にされる点だ。だが、正統の教えを奉じる者としては当然だろう、とディアンヌは思う。 

 ほんのわずか思いにふけっていた間に、エクトールが視界から消えた。すぐわきの酒場の扉を開けて、もう、その長身の半ばが中に消えかけている。人にぶつかりかけながらディアンヌも扉の隙間に滑り込む。

 店の中は視界の効かないほどの煙と、香辛料のにおい、喧噪と笑い声が立ちこめていた。エクトールが手近に空いていた卓につくやいなや、明るい色の髪の娘が駆け寄ってくる。

「今晩はエクトール様! しばらくお見かけしなかったので、どうしたのかと思ってました。でも、お元気そうでよかったです。戦争ですって? 怪我とかしないでくださいね。でも、エクトール様なら、手柄をたてて……」

「こんばんはいつもありがとう。ワインを……二つ?」

「はいっ。今すぐ」

 豊かな胸元をこれでもかと強調した服を着た娘は、敵意に満ちた視線をディアンヌに一瞬だけぶつけると、軽やかに身を翻し、髪の毛から甘い香りをまき散らして去ってゆく。

 ああいう動き、こっそり家でやってみても、とても真似できない。

「パウラ、あの子絶対勘違いしてる」

「その方が都合がいいときもある」

「へえ、今夜のおやつかと思った」

「やめろよ」

 どどん、と卓の上に陶器の器に入ったワインが並び、大きな皿に盛った、湯気のあがる塩豆とピンチョスが置かれる。パンの切れ端に上に盛られているのは魚肉のパテを焼いたものや、カリカリに焼いたにんにくの薄切りを散らした燻製肉。さっきの焼き串といい、罰があたりそうなごちそうだ。場違いなのを承知で目の前に手を組み、短く感謝の祈り。案の条、エクトールが鼻で笑う。

「場所をわきまえろよ、ディアンヌ」

「主への感謝に場所は関係ないわ」

「『いたたきます』のお祈りの話じゃねえ」

 エクトールの表情が急に真面目になる。「お前ともあろう者が、なんであんなこと言った」

「あんなことって……ああ。でも間違ってない。竜騎士が万能じゃないのはわかってる。でも、有効に使えば町は守れる。そうでしょ?」

「そういうことじゃない」

「夜盗やバスク人の追いはぎ相手の戦いとは違うって、それはわかってる。でも、先月の異教徒との戦いは本格的な戦闘だったって、フィリップ殿も言ってた。あたしはそこで……」

「違う」

 エクトールはわずかに声を荒げた。ディアンヌは気圧されて少しだけ身をひく。

「今度の相手は異教徒じゃねえ、正統信徒だ。しかも裏には教皇だっているんだ」

「教皇様はちょっと怖いけど、へりくつこねて戦いを仕掛けてきたのは向こうじゃない!」

「向こうは十字軍なんだぞ。竜なんて押し立てたら向こうの思うつぼじゃねえか」

「あ……」

 ディアンヌは理解した。そして、途端に怒りとやるせなさがこみ上げる。

「ちがう……そんな、エクトールまで……だって」

「わかってる、俺は竜が異端だなんて思っちゃいない。ましてやウルバン司教みたいに……悪魔だなんて……言うつもりはねえ。でも考えてみろ。モンフェルメには異端はいません、あんたら十字軍はただ欲に目がくらんだだけの侵略者だ! そう言ったはなから竜騎士団を繰り出してみろ、連中に格好の理由を与えることになるに決まってる」

「竜は異端じゃない!」

 ディアンヌは大声で叫んだ。周囲の何人かが驚いた表情でディアンヌ達の卓を覗うが、話題は彼らの興味をそそるようなものではないとすぐにわかったようだ。

「モンフェルメの竜は、おとぎ話に出てくる竜とは違う。頭がいいし、おとなしい、火も吐かないし、あんまり食べないし……なによりこれまでずっと町を守ってくれたのよ」

「それは分かっているって」

「それに竜はモンフェルメの谷を離れられない。他の都市を襲うなんてことは絶対にできない。守るためだけに存在するんだから」

「だからそういうことじゃないって。ウルバン司教だって、騎士団には祝福を与えるが、竜騎士団には絶対に祝福を与えねえだろう?」

「……あんな変態っ……こっちから願い下げよ」

「だが、祝福は必要だ。だから竜騎士団にはヴァレドヴォン修道院から司祭を招いている。だが、ヴァレドヴォン修道院は」

「五年前まで、異端だった。……でも今は」

「今は違うさ。でも五年前、クリュニー会があの修道院を引き継いだとき、親父はかなりの土地を寄進してるんだ」

「おかしいわ。十字軍は竜騎士団が異端だからって攻めてきたんじゃない。異端者を匿ったからきたのよ。戦いに勝てないんじゃ元も子もないでしょう?」

「ああ、竜騎士団を出せば連中を追い返せるかもしれないな。でも、次は必ずもっと大軍で攻めてくる。それがわかってるから、みんなは竜騎士団を出せばいいなんて言わなかったんだ」

「じゃあ、どうすればいいのよ。ローラン閣下は、いい意見だって言ってくれたのよ?」

「だから、親父が一番わかんねえっ」

 エクトールは吐き捨てるように言った。

「異端なんてこの町にはいないって、どうして言わねえのか。教皇様のところにでもなんでも説明に行きゃあいいんだ!」

「そう簡単にはいきまへんて、お若い騎士殿」

 でっぷりと太った旅装の男が、空いていた卓の辺に腰を下ろした。ワインが半分だけ入った大きな杯を、音を立てて卓に置く。目は青く、髪は薄い藁色。訛りからしてイタリア人だろう。

「なんせ、今度の十字軍、教皇の肝いりってことですからね。フランス王ルイも嫌々やったいうことですし」

「なんで、そんなこと知ってるんだよあんた」

 声を潜めて凄むエクトールに、旅装の男は、儀礼的に微笑んだ。「みんな知ってまスわ。ああ、私はステファノいいまス」

 エクトールは舌打ちしたが、育ちの良さが隠しきれず、短く非礼をわびると、店の奥にワインとなんか食べ物追加、と叫ぶ。

「えっと、あたしはディアンヌ。こんな格好してるけど、一応、女だから」

「知ってますワ。竜騎士のお姫様でっしゃろ? 有名でっせ」

「本当?」

 どうよ、とエクトールを横目でにらんでやると、エクトールは口を「馬鹿か」という形にしてみせる。酒場でかっこつけてどうするの、って自分で言ってたくせに。

「で、ステファノさんよ、教皇様が一人で突っ走ってるわけじゃねえだろ?」

「異端審問に熱心なのはドミニコ会ですワ。優秀な異端審問官を従軍させる気でス」

「異端審問官?」

 そのおぞましい響きの言葉を口に出してディアンヌは後悔した。

 ラングドック全土で未だに行われている異端狩り。それはもはや異端者を見つけ出して裁くためではなく、教会の力を恐怖という形で民衆に見せつけるためのデモンストレーションとなっているらしい。モンフェルメの町には、まだ異端審問所は開かれていないが、異端審問官という言葉のおぞましさは、今や小さな子供でも理解しているだろう。

「ギルベール・フィションですワ。やっこさんがやってきまス」

「本当か?」

 目を見張るエクトールに対し、ディアンヌはその名を聞いたことがなかった。「だれ?」

「有名だぞ。知らないのか?」

 露骨に馬鹿にした表情を作ったエクトールに頭を下げるのは不愉快だったが、素直に頷くことにする。

「こんな話をきいた。トロサの町でのことだそうだ。とても腕のいい鍛冶屋がいた。誰もが知るところ、敬虔な正統波信徒で、真面目な男だった。それを妬んだ業者か、異端だって告げ口しやがった。告げ口したのは評判の悪い職人で、誰もがそれを濡れ衣だと信じていた。ところが、ギルベールはその鍛冶屋に異端審問を行い、わずか小一時間の尋問で異端を認めさせた」

「ひ、火あぶりになったの?」

「いや。異端を捨てることを宣誓してトロサを追放されたそうだ」

「なにそれ、ひどい」

 ディアンヌはワインの酸味が急に強くなったように思えた。

「教皇がギルベールに直々にモンフェルメ行きを命じたとも、ギルベールが十字軍を進言したともいいまス。どっちにしろ、モンフェルメの殿様がいくら教皇に頭を下げたところで、ほな、許しまひょ、という訳にはいかんですわ。殿様は、そのへんのこともようわかってらっしゃるのとちゃいますか」

「あたしにはわかんない」

 ディアンヌは拗ねたように言った。エクトールとステファノが怪訝そうにディアンヌを見る。

「異端をしらみつぶしにしたいなら、教皇様は、まずローラン閣下にそう命じればいい。モンフェルメを北の諸侯に荒らさせた挙げ句に異端もなにもいなかったら、教皇様の評判は下がるだけ。いったい、何を考えているの?」

「おや、教皇がほしがってるものをご存じないんですか?」

 思わせぶりなステファノの言葉にエクトールとディアンヌが先を促そうと口を開きかけたとき、酒場の扉が開いて、重そうな荷物を抱えた何人もの男達が入ってきた。

「あら、満員ねえ」

 少ししゃがれた、しかし艶っぽい女の声がして、酒を飲んでいた男達の三割ほどが振り向く。ディアンヌはその前に声の持ち主を見つけていた。男達に混じって入ってきたその若い女は、黒い髪を結い上げ、飾り気はないがモノのよさそうな青いチュニックに黒いベルトをしていた。

「何人ですか? 詰めれば座れますよ」

 パウラが言いながら厨房から出てきたが、女と男達の姿を見て、少なからず驚いた様子。

「食事はいいんだ。三十人分の宿が欲しいな。残りは隣の店で泊めてもらうからさ」

「ええと、ちょっと待って」

「いそがなくていいよ」

 ディアンヌの視線が、その女の視線と合った。にやり、と厚い唇の端を上げて、ディアンヌ達のテーブルのところまで歩いてくる。

「こんばんは。お世話になるわ。あたしはクララ」

「ええと、あたしはディアンヌ」

「まあ、あなたが騎士ディアンヌ・ラングレなのね。お目にかかれて光栄だわ」

「あ、あたしのこと知ってるの?」

「当たり前でしょ? モンフェルメの驚異、竜騎士団の紅一点の美少女騎士ってね。ま、噂ってもんは尾ひれがつくもんだけど、これはそんなに嘘じゃなかったみたいね」

「失望させたとすれば謝るわ」

「いやあ、だから、看板に偽りなしだって。てか、あんたかわいいね、性格的にさ」

「なんなんだ、お前達」 

 エクトールがうさんくさげにクララをにらみつける。クララは大げさに驚いたふりをして、次にたちまち媚態を作った。

「おっと失礼、かっこいいお兄さん。まあ、騎士の方? これは失礼を。あたし達は……」

「傭兵か。親父が呼んだんだな」

「すると騎士どのはエクトール・ドゥコルヴェ殿下ですか。これはこれは聞くしに勝る美男子ぶり。どうぞお見知りおきを」

「え? でも十字軍がくるっていうのは今日の会議で……」

「親父はもっと前から情報を仕入れてたってことだろ。くそったれめ」

 部屋の方は話がついたらしい。男達は酒場の奥の階段を次々上ってゆく。あたしは隣の宿にするから、などと声をかけている。男達は、みな寡黙でしかも顔つきに品があり、傭兵というよりは修道士のように見えた。

「クララ、あなたが傭兵団のボスなの?」

「え?……まっさかぁ!」

 そう言って、けらけらとクララは笑った。こうしてみると、ディアンヌといくらも年が変わらないようにも見える。

「あたしは、まあ、世話役っていうか、飯炊き女みたいなもの? 団長は隣の宿にいるわ」

 ディアンヌは、ふと、さっきのエクトールの冗談を思い出した。「宿屋でもはじめるか」。そうか、エクトールは、これからモンフェルメに集まってくる傭兵達のねぐらのことを考えていたのか。

 自分の思いもよらないことを、エクトールが先回りして考えていたというのは、気分がいいものではない。しかし、当のエクトールはあいかわらず不愉快そうにクララをにらみつけている。自分の予想の先をローランが歩いていることに気づいたからだろう。

「さて、あたしはまだ馬の世話とかやることあるから、これで失礼するけど、ディアンヌ、今度、是非、竜に会わせてね」

「え、それは……まあ、いいけど……」

「うん。ありがとう。あと、あたしのことはクララって呼んでくれればいいから」

 騒々しく言いたいだけのことを言うと、クララは店を出て行った。

 ディアンヌはエクトールと顔を見合わせ、どちらからともなく、やれやれというようにかぶりを振った。 

「そう言えば、さっきの話、教皇様が求めているものって……」

 ディアンヌがそう言って視線をやった先に、ステファノの姿はもうなかった。

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