領主の館

 領主のシャトーは町の中心の大広場に面して建てられていた。黒いスレートをふんだんに使った豪奢な木組みの住居と、荘厳な石造りの騎士の間が棟続きとなっている。広場には、市が立つ日でもないのに、たくさんの露天が立ち賑わっていたが、その空いた隙間に騎士達の乗ってきた大きな馬が何頭も立っていて、町人達がいぶかしんでいるのは明らかだった。ディアンヌは馬を館の厩舎に預けたが、それは急いでいたからで、領主の息子達と幼なじみという特権を使うとみなされることに無自覚だったわけではない。

 騎士の間は、高い天井を持った壮麗な広間だった。椅子などはなく、床は磨かれた市松模様ダミエの大理石が張られている。壁にはモンフェルメの歴史をたどった色鮮やかな絵が描かれ、天井と正面の壁には美しい銀の竜が大きな翼を広げていた。

 騎士の間にはすでに多くの先客がいた。ほとんどが普段の服装に剣を穿いただけの姿だが、中には鎖鎧にサーコートをまとった者もいる。ディアンヌ自身はズボンに丈の短いチュニックという男装で、もちろん剣を下げている。

「ディアンヌ、どう?」 

 そう言って声をかけてきたのは、明るい目と髪の色をした若い大柄な女性だった。

「あ、ジャクリーヌ様」

「ディアンヌは、正騎士になって初めての大きな戦いだろ? わくわくするね」

「は、はいっ」

 モンフェルメ騎士団の唯一の女騎士であるジャクリーヌ・ブランシュは、ディアンヌの肩を叩いて、二三、言葉をかけると、別の騎士のグループの方に去っていった。ジャクリーヌは男達の間にあって、馬術も剣技も全く引けをとらない。男子がおらず、例外的に家を継いだという意味ではディアンヌと同じだが、その実力に疑いを挟む者はいない。

 五人の竜騎士と、三十五人の騎士がそれぞれなんとなく左右に分かれたとき、領主達が騎士の間に入ってきた。

 モンフェルメ副伯爵ローラン・ドゥコルヴェは四十二才。黒い髪と瞳を持つ威丈夫で、口ひげを蓄えたその顔には一国の領主にふさわしい威厳がある。ローランは、騎士の間に入るなり、ディアンヌと目を合わせて、にっこりと笑いかけた。ディアンヌは恐縮して頭を下げるしかない。ローランの後には執政官のダニエル・デシャンが続く。ローランよりは若いというのに、頭髪は薄く、背中も曲がっている。そして、その後にエクトールとアシルの二人の息子達が入ってきた。エクトールの方は、ディアンヌには目もくれない。少し緊張しているようだ。

「急な招請に応じてくださった諸卿にはお礼を申し上げる」

 やや高いが深みのある声でローランが言った。

「さて、ご存じの方も多かろう。二月前からラングドックの諸都市を回っていたミシェル卿が本日帰郷し、ある知らせをもたらしてくれた」

 その初老の騎士ミシェル・ドゥグランは騎士達の一団の前方にいて、じっとローランをみつめている。ローランはミシェルに軽く頷くような仕草を見せ、続けた。

「良くない知らせだ。フランス王ルイが我邦に十字軍を差し向けるという」

 十字軍!

 ディアンヌは一瞬呼吸を忘れるほども驚いた。モンフェルメはフランス王に臣下の礼を尽くし、教皇に対してもなんらやましいところのない正統の教えを奉ずる邦だ。異端がはびこっていたラングドックの諸都市とは一線を引き、過ぐる年のレーモン七世の叛乱に対しても静観を保ってきた。確かにモンフェルメの住民が話す言葉は主にオック語(南フランスの言葉)だし、心情的にも北フランスの諸国よりはラングドックに近い。とはいえ、一体、なんの咎でフランス王はこの邦を攻めるというのだろうか。

 ディアンヌのその思いは、周りの騎士達も同じようで、口々に「何で今さら」「フランス王のくそったれが」「濡れ衣だ」などと言い交わしている。ただ、騎士団長ジャン=バティスタ・フルニエ、竜騎士団長フィリップ・アバクら年長の騎士達は、その驚くべきローランの言葉にいささかも動じたようには見えない。

「十字軍の名目。それはこのモンフェルメが、過日陥落したモンセギュールの残党である『良き信徒』と称する異端者を匿っているということだ」

 そのローランの言葉に、今度は座が一度に喧噪に包まれた。怒号と笑いが半分ほどに入り交じる。その理由はディアンヌにも理解できた。モンフェルメにはモンセギュールの残党などいない。昨年の三月に名高い異端の砦が陥落したとき、異端者達二百人あまりは自ら火あぶりになることを選んだが、信仰を捨てた者や傭兵として戦った者達には一切の咎めがなかった。つまり、『モンセギュールの残党』というものが存在しないのだ。フランス王か北フランス諸侯が、欲をかいてこのモンフェルメの富を奪おうとしたに違いない、その程度のことはディアンヌでも理解できる。

「数日のうちにトロサの代官から使者が来るらしい。異端者を引き渡し、釈明をせよということだ。だが、そのような理不尽な要求に答えるつもりはない。いない異端者など引き渡しようがないのだから」

 小さな笑いがわき起こる。しかし、それはどこか不安気だった。ディアンヌにも理解できたその理由は、すぐにローラン自身の口から明らかにされた。

「したがって、私は、この理不尽な挑戦を受けることにした。フランス王がこの谷間の小さな邦にどれほどの大軍を差し向けようとも、諸君ら精鋭の騎士団をもってすれば恐るるに足らない。傲慢であるだけでなく無知蒙昧なルイの目に物をみせてくれようではないか」

 たちまちディアンヌの周囲は喧噪に包まれた。

「ちょっとまて、モンセギュールを包囲した軍は一万人とも言うぞ」

「いや、ほとんどは北に帰ったはずだ。今は……」

「我らは騎士と歩兵あわせても五百人に満たん。どうやってフランス軍と……」

 そんな中、「恐れながら閣下」と、広間中に響き渡る声を上げたのは、やはり騎士団長のジャン=バティスタだった。

「それがご命令とあれば、私どもは従います。ですが、閣下とて、ここで我ら等がフランス王を倒せと気勢を上げることをお望みではありますまい。我らはこの何百年もの間、時の権力の流れを読み、トロサ伯やトランカヴェル家とも、フランス王始め北フランスの諸侯とも、アラゴンともつかず離れずの関係を作り上げてきたはず。フランス王とて教皇の意思がなければ十字軍など出せるはずもなく、そもそも大義名分がなければ教皇とて同じこと」

「ジャン=バティスタ卿、それは全くもっともだ」

 と、ローランは大きく頷いた。

「教皇猊下におかれては、すぐる一二月、リヨンでの公会議への参加をよびかけたものの、ドイツやイタリアの聖俗の諸侯は参加を見合わせ、フランス王ルイはじめ諸侯の反応も悪いときく。ところが、最近になってルイは教皇猊下の意を受けてモンフェルメへ異端討伐の兵を出すと言い出した。唐突な派兵の決定の理由はわからないが、やんぬるかな、大義名分はある」

「敵の数は?」

「二千」

 低いうなり声のようなものが座に満ちた。それは確かにモンセギュールを包囲した一万という人数からすれば少ないかもしれない。だが、モンフェルメ一国の兵力で迎え撃つにはあまりに多い。

「アラゴン王は」

「ジャイメ陛下は表向き動けん。だが、ことあれば教皇とフランス王との間を取り持つと言ってくださっている。……どうだ、フィリップ卿。貴君もこの戦い、勝ち目なしと思うか?」

 突然、話を振られた竜騎士団長は、しかし、動じなかった。

「どちらかと言えば我が方に有利でしょう」

 どよめきが広がる。フィリップは戦術家として知られていた。竜に乗って戦うだけではなく、モンフェルメ騎士団を率いて、カスティーリアでサラセン人との大規模な戦闘も経験している。勢いで主戦論を唱えるような者ではないと、誰もが思っていた。

「第一に、この谷は狭く、平地というものがほとんどありません。仮に我が軍の騎兵二十騎をその十倍の騎兵で包囲しようとしても、谷や山や川などで邪魔されて包囲の輪が作れない。敵が二千としても、一度期に戦闘に加われるのは二百人程度に過ぎない」

 なるほど、とディアンヌは谷の地形を思い浮かべる。街道沿いには川があり、せいぜい三騎程度しか横に並べないだろう。なにより、モンフェルメ領の入り口にあたる峠は狭く、荷馬車一台が通るのが精一杯という山道。ここを通るときに竜騎士での攻撃を見舞えばひとたまりもないだろう。

「第二に。谷への展開を許し、モンフェルメの町に籠城することになったとしても、町や奥の村には十分な蓄えがあります。唯一の懸念は攻城塔と投石機ですが……」

「そんなもの組み立てているところを襲えばひとたまりもない! 我々とて指をくわえて見ているわけではないのだから」

 若い騎士の一人がそう言い、数名の騎士達がそれに同調して気勢を上げた。

「そうだ。モンセギュールとは違う。投石機を運んでくることもできないし、設置できる場所だって限られている」

「いや、敵はむざむざ投石機を我々に晒したりしない。騎士が突撃すれば反撃を受け、必ず被害が出る。向こうは投石機が完成するまで何度でも作るだろう。我々はどうだ。二千の敵に五回も突撃してみろ。何騎残ると思う」

 そう述べたのはジャン=バティスタだった。若い騎士は反論を飲み込んだが、別の者が言いつのった。「ですが、地の利は我々にあります。橋を全部落としておくだけでも敵は群勢を分散しなくてはならなくなります」

「敵は我々の手の届かないところで投石機を組み立て、我々の手の届かないところから城壁を越えて攻撃ができる。それだけのことだ」

 議論が始まり、座は混乱した。ローランはそんな様子を面白そうに眺めている。ジャン=バティスタは、苦り切った顔でいちいち若い騎士の反論に説明していたが、もどかしそうにもいらついているようにも見えた。フィリップは無表情にその様子を見ている。

 そして、ローランの後に立つエクトールは、ディアンヌを見ていた。明らかに何かを伝えようとするまなざしだ。しかし、口は一文字にむすばれ、自らに枷をはめているようにも見える。

 そんなエクトールの様子とは無関係に、ディアンヌはいらだっていた。一体、彼らは何をそんなにこだわっているのだろう。投石機を使わせないようにするなんて、簡単だ。だって、ここはモンフェルメなんだから。最年少で、しかも女で、おそらくは領主と亡き父との個人的な友誼のおかげで一家の当主として例外的に認められている騎士という身分、それをディアンヌはわきまえているつもりだ。しかし、あまりの議論の上滑り具合に、我慢ができなくなった。

 ディアンヌの澄んだ高い声は、広間によく響いた。

「投石機を使えなくするなんて、簡単じゃありませんか」

 一座が、一瞬にして静まりかえった。だが、ディアンヌは臆せずに言った。

「竜を使えば簡単なことです。たしかに竜は遠くの土地に攻め上ることはできません。しかし、谷の周辺であれば問題ありません。谷のどこで投石機を組み立てようと、一瞬で飛んでいって爪で引き裂いてやることができます」

 おお、そうだった。竜ならば簡単だ。

 そんな声が広間にいくつも飛び交った。フィリップの顔がほんの少しほころんだように見え、ジャン=バティスタはますます苦虫をかみつぶしたように見えた。他にも何人かの年長の騎士達は、お互いに目配せしながら、

「そうです。竜騎士を忘れていました。竜騎士ならば投石機を破壊するなど簡単でしょう」

確かに。簡単なことだ。忘れていた、我らには竜騎士団が。そんなつぶやきが次第に大きくなってゆく。若い騎士達の中には拳を振り上げて、フランス王に目にも見せくてれる、とう叫ぶ者もいる。だが、何人かはむしろ浮かない顔をしている。意外なことに、エクトールもその一人だった。

 ローランが咳払いし、広間が一瞬にして静まりかえる。

「ディアンヌ卿の言やよし」

 ローランはそう言った。「竜は多くの敵兵を相手に戦果を上げるにはふさわしくないが、遠くの敵に一撃を加えるにはこれほど強力なものはない。二千の敵ということでその効能を見逃していたようだな、フィリップ卿」

 フィリップは無言で小さく頭を下げる。

「むろん、戦争は回避できるに越したことはない。引き続きフランス王にも教皇にも働きかけをし、モンフェルメに異端などいないことを理解してもらおう。だが、諸卿ら」

 ローランは声を張り上げた。

「敵は冬が来る前に戦を終わらせたいだろう。準備を入念に、かつ急いでいただきたい。モンフェルメに主の祝福を」

 その一言で座は解散となった。ディアンヌは思わずフィリップの元にゆき、頭を下げた。

「私、何か間違ったことを言ったでしょうか」

 フィリップはわずかに皮肉っぽく口を曲げて答えた。「いいや、ディアンヌ卿、竜の軍事的効能に関する君の考えは、何も間違っていない。少なくとも、君はローラン閣下にとって、この場で正しいことを言った。失礼」

 ジャン=バティスタがフィリップの肩を叩き、二人はローランの後を追う。すれ違い様ディアンヌを見たジャン=バティスタの目には、賞賛とは言い切れない色があった。

 一方、若い騎士や竜騎士達は、ディアンヌの肩を叩き、かっこ良かったぜ、臆病者と言われたも同然だな、フランス王をやってつけてやろう、といった声をかけて騎士の間を出て行く。ディアンヌは気づく。上階に登ってゆくローランや騎士団長達の中にエクトールの姿はない。ディアンヌは慌てて騎士の間を飛び出し、城から広場に出た。

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