人狼

豆崎豆太

一日目・昼 野津シュウヤ

一日目・昼


 西暦二〇一七年六月六日。シェアハウスの住人である柳マコトが殺害された。正確には「殺害されたと推測される」。もっと言えば殺害ではない。俺たちの考えが事実に即したものであれば、死はその結果であり、目的ではない。現場に残されたのは血溜まりと服、それからいくらかの食いカス。

 これは捕食だ。マコトは捕食された。


――人狼に。


 現場の第一発見者は水野マキだ。こいつは習慣だとか何とかで、真冬の真っ暗な中でも朝五時に起きる。ダイニングに敷かれた大判のフロアマットを踏んだときに何かがぐじゅりと音を立てた。フロアマットは焦げ茶の毛足の長いもので、電気を付ける前のマキの目に違和感は映らなかった。

 マキは五時に起きて自分の部屋を出、ダイニングに降りて水を飲もうとし、その寒さから窓が開いていることに気が付き、そこに近付く途中でマットを踏んだ。その朝、窓は全開に開いていた。そうでなければ普通、何より真っ先に血の匂いに気がついたはずだ。

 マットが濡れていることについて、マキは「誰かが水でもこぼしたのだろう」と判断し、とにかく窓を閉めようともう一歩踏み出して何かを踏んだ。服だった。誰かが脱ぎ散らかしたのだと思ってイライラしながらもう一歩を踏み出して、また何かを踏んだ。それは髪だった。正確に言えば、だった。


 マキの悲鳴によって起された、俺を含めて残り四人のシェアハウス住人はそれぞれバラバラにダイニングに集合した。俺がダイニングに入った時、そこには過呼吸を起こしているマキとマキの背中をさすり必死で落ち着かせようとしている篠原コウタの姿があった。

「何これ」

「知らん」

 コウタが短く簡潔に答える。ダイニングは寒かった。俺はそこで初めて、リビング側の窓が開いていることに気がついた。

 シェアハウスのダイニングはリビングと繋がっており、その向こう側にはウッドデッキ風に作られた、しかし幅的に縁側と言った方が正しいスペースがある。その間には大きな掃き出し窓があり、これがほとんど全開になっている。なるほど、寒いはずだ。

 その後、眞田ユウキと柊ミサキが順にダイニングに降りてきた。先に入って来たユウキは後ろに続くミサキを片腕で制し、自分ひとりで中に入ってマキを廊下へ連れ出した。

 パニックに陥っているマキをミサキに預け、ダイニングに男三人で立つ。

 シェアハウスの住人は全部で六人、集まったのが五人。そしてここに、誰かが死んだ形跡が一つ。つまりはハウスの住人のもう一人、柳マコトだろうと推測された。床に落ちた髪の塊は血でべっとりと汚れているものの、マコトの短い茶髪に見えなくもない。服もおそらくマコトのものだ。

「窓、いつから開いてたんだ?」

「知らん。俺が来た時には開いてた」

「状況から見て、マキは窓までたどり着いてないはずだ。コウタが開けたんじゃないなら、マキが起きた時には既に開いていた。昨日の戸締り、誰だった?」

「マコトだ」

 コウタがぶっきらぼうに答える。

 会話が途切れた。俺はとにかく情報を集めようと周囲を見渡す。血はまだ乾いていないが、実際のところ、これだけ夥しい量の血液が固まるためにどれくらいの時間が必要なのかはわからない。つまり、いつこれが流れたのかも、わからない。

 窓が割れているとか、室内が荒らされているとかの物騒な様相も取り敢えず見当たらなかった。床に散らばっている服も、血こそ染みているが無理に引き裂いたような様子はない。

 建物に侵入し、人の服を脱がせて殺し、窓から脱出する。そんなこと、人にしかできない。しかし犯人が人間ならば、この遺体の状況はあまりにも不自然だ。遺体の大半が存在しない。まるでかのような状態。

「……人狼」

「だろうな」

 人狼というのはある種のバケモノだ。人になりすまし、人を食う。服を脱ぎ着でき、窓を開けて外に出ることができる。

「俺達の中にいると思うか? それとも外から入ってきたのか?」

「さあな」

 そんなことを訊かれてもわかるはずがない。

「どうする?」

「……とにかく片付けよう。マキも心配だし、少しでも休めるようにした方がいい」

「だな。ゴミ袋と雑巾取ってくるわ」

「ん、サンキュ」

「じゃあその間に俺、マキとミサキの様子見てくる」

「頼む」

 コウタとユウキがそれぞれにダイニングを出ていき、俺はひとりその場に残された。

 柳マコトは痩身長駆で色白、爽やかと不健康の中間くらいの見た目をした男だ。寒がりなので冬場はひどく着膨れしており爽やかに見えるが、薄着になる夏場は末期ガン患者に見える。

 人狼という生き物について詳しいわけではないが、マコトは筋張っていて可食部も少なそうで、どう見ても食欲がそそられるようなタイプではない。

 マコトと最後に何を話したのか思い出そうとしてみて、すぐにそれを手放す。変わらず今日に続いていくはずだった昨日の他愛ない会話など、思い出せるはずがなかった。諍った記憶が無いのだけが救いだ。

「シュウ」

 呼ばれて振り返ると、直後にコウタがゴミ袋の束を投げてよこした。

「ユウキは?」

「まだ戻ってきてない。先に始めちまおう」

「んだな」

 血で湿った、重く生臭いフロアマットをカッターで切りながらゴミ袋に詰める。同じく血で汚れている床を雑巾で拭き、拭いた雑巾をマットと同じくゴミ袋に詰める。

「これ、どうする」

 コウタがマコトの頭皮のかけらを指で摘んで俺に示した。俺は少し考えてから、「マコトの服に包んで捨てよう」と提案した。ゴミ袋の透明度は高くないが、外から見える状態にもしておきたくなかった。

 フロアマットを概ね刻み終わった頃、ようやくユウキがダイニングに戻ってきた。少し疲れたような顔をしている。

「あっちの様子は?」

「ちょっと落ち着いたけど、ミサキが状況を気にしてすぐマキを問い質し始めるから二人っきりにはしとけないな。かといって一人ずつになるのも危なさそうだし、ここ片付け終わったら全員一箇所に居た方がいいかもしれない」

「だな」

 コウタがゴミ袋の口を結びながら短く返答した。ユウキが無言のままそれを受け取って戸口へと運ぶ。

「それ、外の納屋に運んでくれ。あんまり人目に触れさせたくないし、匂いがするのも困る」

 いくつかの短いやりとりと淡々とした作業は一時間弱程度でひとまず、終わった。換気しながら空間用消臭剤をしつこく撒く。

「匂い、残ってっかな」

「わかんね。麻痺してっかもしんない」

「取り敢えず全員、一回着替えよう。俺らの服も血の匂いがするかもしれない。それから」

 ユウキが言葉を切り、その後にコウタが「茶ぁ飲もう」と続けた。

「冷えと空腹は敵だ。食欲が無くても腹はあっためた方がいい」

 言いながら大袈裟に伸びをし、欠伸をする。基本的にぶっきらぼうで無神経なやつだが、こと今に至ってはこの性格がありがたい。時計を見ると、まだ朝の六時過ぎだった。外はようやく少しずつ明るくなってくるところだ。

 それから俺とコウタは一応、ハウス内の全てを見て回った。異常はなかった。誰かが潜んでいることも、荒らされた形跡もなかった。ついでにマコトもいなかった。


 シェアハウスの住人は全部で元六人。年齢は同じではないが、離れてもいない。最年長は篠原コウタ二十六歳。俺と柳マコトが二十五歳と四歳、学年は同じ。水野マキと真田ユウキが同い年で二十三歳。柊ミサキは二十一歳。コウタと俺とユウキは社会人で、マキとミサキとマコトは学生だった。過去形だ。

 二〇一六年の終わりにパンデミックが起こった。もともとは某国のテロで起こされたものだった。その某国は周辺国からの一斉攻撃により三日後には無くなっていたのだが、その一斉攻撃がまずかった。バイオテロに使用された、厳重保管されていたはずのウイルスがその攻撃と攻撃の爆風により広く散布され、雨と風とを媒介に世界中に蔓延したのだ。

 そのウイルスの名を、当時の日本が立てた仮称で「人狼ウイルス」と呼ぶ。詳しいことはわかっていない。なにせ、その頃の日本は某国への一斉攻撃の巻き添えになって首都機能をほぼ失っていたのだ。

 所謂ゾンビと違うのは、彼らは死んだわけではないということだ。彼らは死なずに人狼となり、普通の人間と等しく死ぬ。普通の人間と見分けることもできず、当人にその自覚があるかどうかもわからない。空気感染ではあるようだが、いわゆる風邪と同じように人から人に伝染するというのも聞かない。――無論、この状況にあっては正しいかどうかに関わらず情報自体がかなり入ってきにくいのだが。

 俺とマコト、コウタ、ユウキ、ミサキ、マキの六人は世界がそんなふうになる前、インターネットで知り合った同好の士だった。少し古めかしい言葉を使えばミステリ愛好家、今っぽく言えばミステリクラスタ。言葉尻を玩弄し現実を歪めて遊ぶ、見ようによっては悪趣味な集団。

「人狼」

 できるだけ平易に説明したつもりの俺の言葉を、ミサキがぼうっとした声で繰り返す。マキは毛布にくるまり、床の一点を見つめたまま動かない。

「実在するの、そんなの」

「多分」

「多分って」ミサキは勢い良く言い返そうとして、口を噤んだ。少し悩んだ後でもう一度口を開く。「私たちの中に、いるの」

「わからない」

「……そうだよね。わかりっこない」

「だから俺は賭けをしたい」

「賭け?」

 ミサキが問い返し、コウタとユウキが口々に「何だよそれ」「聞いてねえぞ」と反駁する。当然だ、今思いついたばかりだから。

「今日はみんな一箇所に固まって過ごす。人狼が誰かを襲うなら、他のメンバーでそいつを倒せばいい。誰も人狼じゃないならそれが一番いい」

「誰かが人狼だったとして、勝てる保障は」

「ない。それも賭けだ。でも一対四ならきっと分がある」部屋がしんと静まり返る。それぞれがそれぞれに思惑を巡らせている。

「頼む。誰のことも疑いたくないんだ」

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