第2話
夜の帳が降りる頃。花屋は本格的に営業を始める。
とはいっても、積極的な営業活動はしない。話題のフローリストなどと有名になるつもりなど、来栖には毛頭ない。
むしろ、生きるために必要なだけ売れればいい、というひっそりとしたスタンスだ。
来栖には、人目を避けるべき理由があった。
それは、彼が吸血鬼である、ということだった。
不思議な力が信じられていた昔でこそ、吸血鬼はその名を恐れられたものだが。
科学が発達した今ではその存在すら架空のものと思われ、一族は普通の人と同じようにして現代社会に紛れるようにひっそりと暮らしている。
ただ、それでも人目を避けるべきであるのは、吸血鬼は永遠に近い寿命を与えられると同時に、一人一つ、魔法のような不思議な力を持つためであった。
その不思議な力のために、過去幾度となく一族は争いに巻き込まれた。
不要な争いを避けるため、吸血鬼たちはその存在を隠し、ひっそりと暮らしている。
来栖の持つ能力は、植物を育てることだった。
吸血鬼の一族にだけ伝えられた、不思議な植物。
薬にしたり、ある時代では毒薬としても用いられた植物。
今は世の中から忘れられた、不思議な花たち。来栖は、それら植物の成長を操ることができる力を持っている。
日本の環境ではとても成長できないその不思議な植物を、あたかもそこに根付いている植物であるかのように普段通りに育てることができるのは、来栖の能力のおかげだ。
花屋の花たちはどれも、市場で仕入れたものではなく、この店の裏庭にある温室で来栖が育てた花たちだ。
能力にあわせて、来栖が花屋の選択をしたのは当然の流れだった。
「来栖さん、今日もあのピンクの花、ある?」
「ありますよ」
小さな蝶のような花弁をたくさんつけた、ピンク色の花。
サラリーマン風の男が、花束にしてくれと注文した。
来栖はピンク色の花に、かすみ草に似て非なるクリーム色の小さな花をあわせて、グリーンと赤のリボンでラッピングし、花束にした。
この花は、少し中毒性がある。この花の側にいた人にまた会いたくなるという不思議な中毒だ。
効能は公表していないが、無意識にその効果を人々は感じ取っているらしい、これから蝶に会いに行く男性はほぼこの花を選んで花束にする。
バラやカーネーションといった普通の花屋にもあるような花も、申し訳程度に置いてあるにも関わらず、だ。
「良い匂いだなぁ……あの人、この花が好きなんだよ」
男は来栖から花束を受け取ると、うっとりと匂いを嗅いだ。
「ありがとうございました……」
夜の歓楽街に消えてゆく男の足取りは軽かった。
彼のように、いつの間にか常連になっている客は多い。
花屋に看板は出していないのだが、いつの間にか口伝いに彼の名を知った客たちが集まる。
彼らは親しみを込めて「来栖さん」と呼びかけるのであった。
実は、来栖というのは本名ではなく、吸血鬼としての名前は別にある。
来栖というのはそもそも十字架を表す「クロス」からきているので、吸血鬼としてはちょっとよろしくないイメージなのであるが。
本名は妙に長くて面倒くさいし、しかも忘れてしまった。
十字架からきていることによってなにやら被害を被っているわけでもないので(吸血鬼が十字架に弱いというあれは迷信なのだ)、まあいいかと、訂正されないままになっているのだった。
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