Garden 〜孤独な吸血鬼の小さな箱庭
聡梨加奈
第1章/忘れられた商店街の、忘れられそうな花屋で
第1話
とある繁華街の片隅に、日が暮れると開店する花屋があった。
ターミナル駅から歩いて数分、ガード下と大きな川に挟まれた、今は忘れられた商店街の一角。
古い建物の並ぶ通りにその店はあった。
隣の店舗は理髪店だったようだが既に閉店して久しく、くるくるまわるはずのサインポールが置いてけぼりをくって、日に焼け色褪せていた。
逆隣はパン屋で、店名がはげかけて読めなくなっているが、こちらはまだかろうじて店主の気まぐれで営業しているようだった。
それはともかく。
周辺の住民たちも、その花屋が夜しかやっていないことは知っていて、「花屋が夜に開店して来客があるのか」と常々思われていたのだが。
飲み屋の多い繁華街の近くという立地であったので、夜の蝶のために花を求める人は少なからずいるようだった。
だが、来客数は多くはなく、忘れた頃にお客がやってくる。
ぼさぼさ頭の、二十代後半と思しき男がいつも一人で店番をしていた。
猫の額と同じくらい狭い窮屈な店で取り扱っている花は、数は多くないものの見たこともない種類の花ばかりで、たいていの客は置いてある花について説明を求める。
「ここにある花は、必要とされるものばかりですよ」
名前について問いかけたはずが、返ってくるのはいつもこんな答えなのだった。
抑揚のない声。細くて小さな声は、注意していないと聞き漏らしてしまいそうなくらいだが、それでいて、店主の主張は激しい。
客の目を見て、まっすぐに語りかける。
ピンクと紫の中間のような、不思議な色合いの大振りな花弁。
白かと思いよく見ると、淡いクリーム色の、小さな花弁。
店主に粘り強く名前を聞いても、思い出せないと言われる。
だが、どの花も自らの命を一生懸命燃やすように、花びらを大きく広げている。
そのせいか、一度この店で花を買うと、次からもここで買いたくなる、不思議な花屋なのであった。
店主の名前は、来栖と言った。
彼がいつからここで花屋を営んでいるのかは、誰も知らない。
気付いたら、くすんだこの街になじんでいた。特に売り込みもせず、いつもぼんやり空を眺めながら店番をしている。
本人はとりたてて目立つような振る舞いはしていない。
だが、いつ見てもぼさぼさの乱暴に伸ばされた黒髪からのぞく肌は男のものとは思えないほど真っ白で、それはまるで雪のようだった。
大きな唇はバラのように真っ赤で、その不思議なコントラストにまず目を奪われる。
それに、髪の毛を伸ばし放題にしているので気付かれにくいが、よく見れば整った顔つきをしている。
年の頃は二十代後半くらいだろうか。ぼんやりした雰囲気とぼさぼさ頭のせいで、だいぶ残念なことになっている。
「あーっ、雪男だ!」
「雪男がいるぞ!」
商店街のある地区は、昔からの木造の家がまだ多く残っている場所であり。
近所に住んでいる小学生たちが、学校帰りや塾に行く前に、来栖のことをからかって遊ぶ。
子供たちは、来栖のことを「雪男」と呼んでいた。雪女の男バージョン、という安易なネーミングだった。
「雪男、パンないの?」
「パン、ちょーだい!」
隣のパン屋が休みの時、お腹を空かせた子供たちは、何故か来栖にパンをねだる。来栖しか店を開けていないからかもしれないが。
「……くるみパンが焼いてあるよ」
隣のパン屋はほとんど休みなので、来栖はほぼ毎日パンを焼いた。
パン屋が休みがちになったある日、子供たちに食べ物をねだられたので、隣の店主にパンの焼き方を聞いて覚えたのだった。
パン焼きは来栖の性に合っていたようで、粉をふるうのも、イーストをふくらすのも、妙に楽しくてクセになった。
毎日続けているうちに、隣の店主の腕にはまだまだかなわないが、わいわいとうるさい子供たちを黙らせるくらいにはおいしいものができるようになったのである。
「いただきます!」
「うんめー!」
焼いたパンは、藤のカゴに入れて、店先に置いてある。
子供たちは争うように、我先とカゴに手を伸ばす。
自分の作ったパンを、子供たちがおいしそうに頬張るのを見るのが、来栖は何より好きなのだった。
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