第92話

僕 「あの、佳子さん」

佳子「なあに」

僕 「あの、ひょっとして、

   佳子さんは、自分が養子でつらい思いをしたから、

   今回、同じ養子の僕のことを守ろうとしてくれたんですか」

佳子「うん、それはね。そうなの。そう、すごくある」

僕 「やっぱり、そうだったんですか」

佳子「うん。これも縁だと思うよ。

   同じ境遇のワンコちゃんを助けたいって思ったのよね」



そして、佳子さんは、なつかしい一言を言った。




佳子「私がなんとかしてあげるからって、思ったの。」




僕が代々木の予備校で、早稲田を目指していたときに、

佳子さんがかけてくれた言葉と、同じ言葉だった。


その言葉を、20年以上たって、また言ってもらえた。

しかも、違う状況で。


まさに、これが縁だと思った。

僕は、佳子さんに、心から感謝していた。

   



オレンジジュースを飲み終え、一息つくと、

ロマンスカーは相模大橋のあたりを通過していた。

前回、寒々としていた桜の木は、少しばかり、色づき始めていた。

それは、孤独だった僕の心が色づくのに似ているような気がした。


第1回の芥川賞を受賞した石川達三の「私ひとりの私」の中に、

「私を知っているものは私だけで、

 人間は他人から完全に理解されるということはありえない」

というようなくだりがあった。


確かに、完全に理解されることはないだろうし、

理解してくれたところで、孤独が消えるわけでもない。


でも、それは仕方のないことで、

理解したり共有したりできる、

縁がある人と一緒にいるのがよりましなのではないか。

僕はそんなふうに思い始めていた。




ロマンスカーは、無事に箱根湯本に到着した。

1回目の往路と同じように、僕は行き先を確かめて、

バスに間違いなく乗った。


佳子 「ガイドさんがいると、助かります」

僕  「いえいえ」


これも前回と同じやりとりだ。

でも、前回と同じだけど、前回とちょっと違って、

僕を小バカにするのではなく、

本当に頼っているような言い方だったので、

僕はちょっと自分が成長したような気がした。


バスはほどなくして出発した。


しばらく進むと、また、車窓から硫黄の薫りが漂ってきた。

この薫りに「おかえり」と言ってもらえたような気がした。


そして僕は、少し鼻をひくつかせると、

隣の席に座っている佳子さんから漂うあの薫りも、感じることができた。

この薫りが、僕の昔からの楽しみだ。



でも、もうひとつの上の薫りを、僕は知ってしまった。


佳子さんが宿の洗面所で具合が悪くなり、

支えたときに感じた、あの薫りだ。

その香りにも、また会えるかな。僕は少し期待していた。

どうせ、緊張するくせに。



すると、佳子さんは、にやついた僕の顔を見逃さずに、言った。

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