第93話

佳子「こらっ、変なこと考えちゃいけないんだよ」



また怒られた。

どうして佳子さんは僕の考えていることをわかるのだろう。


僕はやっぱり佳子さんの掌の上に乗る狛犬なんだな。

そう思っていると、佳子さんはぽつりと小さな声で、追加の一言を言った。



佳子「ここではね。」



ん?ここではね?

じゃあ、どこだったらいいんですか!


僕はまたドキドキしていた。

すると今度は、また違う話を佳子さんは始めた。



佳子「あたしたち、23年ぶりに再会したんだよね」

僕 「はい。そうです」

佳子「長かったのかなあ、短かったのかなあ」

僕 「僕は長かったと思いますけど」

佳子「そうかな。そりゃあ、これから23年っていうと

   すごく長いような気がするけど、過ぎた23年っていうのは

   案外あっという間のような気がするのよね」

僕 「そうか、そうですね」

佳子「あと、23年ってまだまだ甘いのよ。

   織井茂子さんとか、高橋真梨子さんは、

   紅白歌合戦に返り咲くまで、29年かかったんだからね」


織井さんは、NHKのラジオドラマ「君の名は」の

主題歌のレコードを出した女性だ。

なかなかめぐり合えない恋仲の男女のストーリーが空前の人気を博した。


僕 「ああ、そういえば、あみんは25年ぶりの返り咲きでしたね」

佳子「そうそう。返り咲く前も後も、歌った歌は?」

2人「せーの、」

「待つわー」


あまりにも細かい知識から生まれる、しょうもないユニゾンを、

しかもバスの中でしてしまう、アラフォー男女。


まったく世の中の大勢に影響はないが、

でも、これがまさに正しい変態だと思う。


きっと誰にも迷惑をかけていないし、本人たちは楽しいのだから、

それが一番幸せだろう。

僕は、言い知れぬ幸せを感じていた。




バスはきょうも、ぐいぐいと急な山道を登り、やがて峠のてっぺんに着き、

僕たちはバスを降りた。


1回目の往路ほどではなかったが、風はまだ冷たかった。

道路の端にある温度を示す電光掲示板には「0℃」と表示されていた。



佳子「氷点下じゃないだけ、まだましよね」


佳子さんは、強く冷たい風に黒髪をなびかせながら、僕に話しかけた。


僕 「いえ、氷点下ですよ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る