第43話
佳子「手帳を拾ったときよ」
僕 「ええ!」
僕はまたびっくりしてしまった。
ちょっと、ちょっと、僕がありったけの勇気を出して、
めんどくさいのも必死の思いで乗り越えて、
なんとかかんとか、ひょっとしたら、この人が佳子さんなんじゃないかって
全力で聞いていたのに
佳子さんは、全部、全部、全部、僕の素性を知った上ではぐらかしていたのか!
僕は、頭にきた。
僕 「ちょっと!それって、おかしいじゃん!」
佳子「何が?」
佳子さんは、まったく表情を変えない。
僕 「だって、僕が最初の電話のとき、『ちょ、ちょ、ちょっと、待ってください』って
言ったときに『…何ですか?』って不信感ありありの返事をしてたよね。
あと、僕が、必死に、笑っちゃうくらい熱っぽく
『あのう、覚えていますか』って言ったら、
残酷に『申し訳ないんですけど、覚えていません…』とか言ってたよね。
それってものすごく失礼じゃない?」
佳子「そうかなあ」
佳子さん、それは失礼ですよ。僕はもう断定するしかなかった。
僕 「失礼だ!」
佳子「そんなこと、ないと思うよ」
熱くなる僕を尻目に、佳子さんはなおも冷静さを崩さない。
僕 「なんで?」
僕のありったけの熱意をこめた抗議をした。しかし、佳子さんは無表情で反撃した。
佳子「だって、盛り上がったから、いいじゃん」
僕 「盛り上がったら、いいの?」
佳子「うん」
あまりにも簡潔にうなずく佳子さんを見て、
僕は、代々木で会った時のひとつのエピソードを思い出した。
僕 「そしたら、もしかしたら、あの白いワンピースを着てきてくれたのも、
盛り上げるためだったの?」
佳子「うん。だって、ワンコちゃん見事にびっくりしてくれていたじゃない。
真冬になんでこんな真っ白な服来てるんだって、
顔に書いてあったわよねえ。
もうあたし笑っちゃいそうだった。狙い通りで。」
僕は佳子さんの仕掛けにまんまとはまったということか。
真っ白な服の裏話を聞いて、僕の頭が真っ白だった。
佳子「下手な映画見るより、よっぽど面白いし、すごい展開だったよ、私たち。
あの様子、ずっと撮影しておきたかったくらい」
佳子さん、なんてこと言うんですか。
僕たちの素敵なはずのプライベートストーリーは、単なる映像素材なんですか。
僕はそう言ってさらに抵抗を試みようとしたが、
さらに戦意を失わせる一言を先に言った。
佳子「これくらい、面白いことにならないと、あたし、ノラないのよね」
ノリですか。僕と佳子さんはノリの関係ですか。
佳子「だって、恋愛とか出会いの話って、最近ほんっとつまんないじゃない。
ていうか、あたしはすごいつまんない恋愛とか出会いしか、
したことなかった」
そういうと、佳子さんは、机の上で結露して汗をかきまくっていた
2本目の缶ビールにさっと手を伸ばした。
プシュッという音が、佳子さんの長く細い指の先から、小さく響く。
僕 「恋愛とか、出会いとかが、つまらない、の?」
佳子「そうなのよ」
一言いうと、佳子さんは、ビールを勢いよく、先客の泡で曇ったカットグラスに注いだ。
間髪入れずに、がぶりと飲んだ。
さっき日本酒をあおっていたおじさんに、飲み方が似ている。このとき初めてそう思った。
佳子「だって小さいころから、パパの金目当てで言い寄ってくる人は
本当にたくさんいたし、男の人だって、あたしそのもののことじゃなくて、
大観光のことだったり、あたしの顔とかだったりをチヤホヤチヤホヤして、
ほんとにあたし、ウ・ン・ザ・リ・なの。」
「だから、仕事に熱中したんだけど、うまくいかなくて、病気になっちゃってね。
うら若き時代が失われて、つらかったわあ」
あの、佳子さん、今でも僕よりうんと若く見えるんですけど。
そんな突っ込みを入れる隙も見せずに、佳子さんはしゃべり続けた。
佳子「だから、あたしは、なんだかドキドキするような話とかにあこがれて、
それで雑誌の仕事を始めたわけ。でも、ドキドキする前に雑用が死ぬほどあって、
本当に徹夜続きで死にそうになって、病気になっちゃったんだけどね。
世の中って、なんなのよねえ」
佳子さんの話は半分愚痴になっていた。
僕 「あの、それで何か面白いことをって、思った、というわけ?」
佳子「そう!」
佳子さんは力強く言うと、乾かしたグラスをカタン!と机に置いた。
佳子「ワンコちゃんの手帳を拾ったのは、本当にたまたまだったのよ。
でもね、ピーンときたの。これって何かの物語の始まりじゃないかなって。
初めて電話するときにはいつも震えるっていうけど、あのときは緊張したのよ」
ニア・プリンセスの佳子さんが、
プリンセスプリンセスの代表曲の歌詞を引用して、
物語の始まりのときの自分の心境を力説した。
そんな関係に気づいた僕は、
ようやく、少し冷静になって話ができるような気がした。
僕 「うーん、でも、それってリスクがある話だよね」
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