第29話

僕  「うん?」

佳子 「これからもう晩ご飯だからね。ワンコちゃんも支度して」


そうか、少し早い晩ご飯なんだな。

やっぱり、この部屋に運び込まれてくるのかな。


僕がそう考えていると、佳子さんがすぐに

「ご飯は別の部屋だからね。鍵と大事なものだけ持っていって」

と言った。


僕は軽くうなずいて、鍵と財布とスマホを持った。

ふと、佳子さんを見ると、

名刺入れのような何かのケースだけ持っていこうとしていた。


僕 「あの、お財布とかは」

佳子「別に、いいの」

僕 「スマホ、持って行かないと」

佳子「それもいいの」


佳子さん、ずいぶん変わっているな、とそのときの僕は思った。

財布もスマホもいらないのか。


ま、このホテルは佳子さんの実家みたいなもんだし、

そういえばほかのお客さんの姿も見ないから、

財布やスマホが盗まれる可能性はほとんどないのだろうけど、

それにしても財布とスマホがないと

僕なんかは心細くてしょうがない。

金も情報もないわけだから。


佳子さん、ずいぶん大胆だな。裸で過ごすようなもんじゃないか。

そのときの僕は、そう思った。


でも、ペット扱いの僕が、

飼い主様にそんなことを申し上げるのは失礼だろう。

僕はそう思ったので、

持ち物がほとんどないことには触れずに、部屋を出た。


僕 「ご飯の場所って」

佳子「あの広間よ」


見ると、部屋からずっとまっすぐ行った先に広間があった。


薄暗い廊下を歩き、スリッパをパタパタさせて広間に近づくと、

まるで自動ドアであるかのように、広間の入り口のふすまが開いた。

いいタイミングで開けるなあ。さすが大観光。

僕は感心しながら、ふすまの中の明るみに入った。


すると、30畳ほどのだだっ広い広間にお膳が3つだけ、並べられていた。


僕 「うわ、3つだけ」

佳子「うん。うちらだけだからね」


佳子さんがそう言うと、支配人のじじ、

つまり、佳子さんのおじさんが現われた。


じじ「こりゃどうも。石井くん、お湯加減はどうじゃった」

僕 「はい。最初ぬるかったですけど、ちょうどよくなりました」

  「佳子さんが、湯守さんを差し向けてくれたので」

じじ「おお、湯守が」

  「佳っちゃん、気がきいとるね」

  「それだけ2人の仲がよいということかな」


じじは、うれしそうに僕の顔を見やった。


僕 「あの、いえ、僕たちはまだ」


僕はさすがに恥ずかしくなって、ちょっと否定に走った。


じじ「まあまあ、恥ずかしがらんでもええんじゃよ。

   そういう少しずつの気遣いや思いやりがあって、

   仲良くなっていくもんじゃからのう。」


じじは、ちょっとうれしいことを言ってくれた。


でも、それに有頂天になると硫黄泉に入っているわけではないのに

またノボせてしまいそうだったので僕はあわてて話題を変えた。



僕 「あの、僕、いつもここに来ると料理楽しみにしてるんです」

じじ「おお、そうじゃ。腹がへっておるのじゃろ。

   すぐに始めようか」


じじはそう言って、仲居さんに食事の準備を始めるよう促した。


どんなご馳走が出るのかな。

普段僕が下のレストランで食べているバイキングとは違うんだろうな。

僕は少し期待した。

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