第26話
「ワンコ、ちゃーんっ」
高い塀を隔てて聞こえてきた、佳子さんの声だった。
きっと佳子さんも硫黄泉の湯気をまといながら湯に浸かっているのだろう。
「ワオーンッ」
暮れなずむ露天の空を切り裂くようにして、
僕は、犬のように遠吠えを叫んだ。
それを聞いた佳子さんは「アハハハハ」と声を上げて笑い、
してやったりの顔がこちらにも浮かんでくるようだった。
さて、どんな顔か。
あの色白なかわいらしいお顔を少し赤らめていらっしゃるのか。
そんなことを考えていると、
紺の半纏をまとった初老の男性が、内湯と露天を隔てるドアを開け、
露天の近くに入ってきた。
初老「ようこそ、いらっしゃいました」
深々としたおじきをして、男性はあいさつをした。
僕 「お世話になっております」
初老「いま、熱いですか」
僕は「いえ、ぬるいです」
初老「お顔が赤いので、熱いかとお見受けしました」
そこで僕は初めて「顔が赤くなっている」という事態に気づいた。
女湯にいる佳子さんのことを、考えていたからか。恥ずかしい。
初老の男性は「ならば、少し熱くしましょう」と言い、
近くの小さな木戸を開けて、バルブを開いた。
バルブを開いた効果はてきめんで、湧出口のあたりにいた僕の腹に、
いきおいよく熱のこもった温泉が殴りこんできた。
僕 「ありがとうございます」
初老「あまり、興奮なさならないように」
僕 「はあ」
初老「興奮すると、湯あたりをいたしますので」
僕 「ありがとうございます」
僕は気遣いに礼を言った。
その礼に対し、初老の男性は少し相好を崩し、
やや小さめの声で僕に言った。
初老「あのう」
僕 「はい」
初老「お嬢様は、大変に、大変な方です。
どうか、よろしくお願いいたします」
僕 「はあ」
僕はそれしか言えなかった。
大変に、大変な方ってなんだろう。
僕がそれを聞こうとすると、
初老の男性はきびすを返して立ち去ろうとした。
僕 「あのっ」
僕は、得意技の相手にだけ鋭く聞こえる声で、初老の男性をわしづかみにした。
初老「はい。何か、ございますか。」
僕 「あの、佳子さんって、どんな人ですか」
僕は彼氏の役をもらっているのに、そんな変な質問をしてしまった。
初老「そうでございますね」
初老の男性は、少しもったいつけたようにして、言った。
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