第20話
佳子「あたし、ずっと独り者だけど、それでもいろいろあるからね」
何を言っているんですか。僕はすかさず異論をはさんだ。
僕 「じゃ、旦那さんにはなんて言っているんですか」
佳子「え?旦那さん?」
僕 「はい。」
佳子「旦那さんなんて、いないよ」
はい?
僕 「あの、佳子さんは、昔池田さんで、今田中さんですよね。
結婚して名前が変わったって」
佳子「そんなこと、誰が言った?」
僕は、絶句してしまった。しかし、絶句したままだと、話は進まない。
僕 「あの、最初に手帳拾ったときに電話かけてきてくれたときに
田中ですって言っていたじゃないですか」
佳子「うん」
僕 「それって、結婚して名字が変わったって」
佳子「だから、それって、誰が言った?」
僕は、また絶句してしまった。
そういえば、誰からも「佳子さんは結婚しました」とは聞いていない。
よく考えたら、僕が知っているのは、
「佳子さんの名字が変わった」ということだけだ。
僕 「あの、誰も、そういえば、言っていません」
佳子「だよね(笑)」
僕 「あの、じゃあ、どうして名字が変わってるんですか」
佳子「田中は、お師匠さんの名字なの。
踊りは、お師匠の名前でやるものだから、いつもは田中で活動しているの。
あとは、池田って言うと、どうしても大観光のことをいつも言われるから、
なんとなく、いやで、ダンスを始めてからは、田中って名乗っているの」
僕 「ええ、ええ!?」
佳子「華の独身、ですう(笑)」
はああ。なんてことだ。
ここにも、僕の知らない佳子さんがいた。
というか、かなり大事なところで、知らない佳子さんがいた。
どうなっているんだ。
結婚してたなんて知らなかったみわちゃんが結婚してるのに、
結婚してると思った佳子さんが、独り身とは。
でも、よく考えたら、僕が悪い。
自分の想像や不確かな状況をもとに、
断片的な情報で勝手に判断していたのはほかならぬ、僕だ。
きちんと、いやそこまでしなくても、さりげなくでもいいから、
結婚しているかどうか聞けばよかったのに、
自分の世界と相手の世界を侵すようで聞かなかった僕が
単なるバカだったのだ。
そんなことが頭によぎった瞬間、佳子さんは僕を追い込みにかかった。
佳子 「予備校でも言ったでしょ、問題文は最後まで読まないと、ねっ(笑)」
また言われたよ、この台詞!
そういえば、最初に佳子さんに会ったときも、
佳子さんのブログを途中までしか読まずに行って、
かなり取り越し苦労をして、意外な思いをした。
ああ、僕はこんな大事な佳子さんのことを、本当に理解しようとしていたのか?
大事な話も聞かない、肝心の情報を知らない、
いや、知ろうという努力が足りない、
こんなことをしている僕はいったい、
これまで大事な人にどういう接し方をしてきたのだろう。
僕はますます恥ずかしくなった。
でも、それにしても、この佳子さんという問題文、
長すぎるよ!難しすぎるよ!
どこまで奥が深いんだよ!
僕はそこまで考えをめぐらしたが、
それでも、自分の力が足りていないことに変わりはないと思った。
仕方ないと思った僕は
「わかりました。これから精一杯、勉強させていただきます。
なので、もう少し、教えてもらえませんか」
と、梅雨時のてるてる坊主のように、しおらしく言った。
すると佳子さんは少し笑って「やったね」と言った。
ああ、僕はこの人に勝てないな。そう思った瞬間だった。
窓の外は、少しずつ日が傾き始めていた。
晩冬のやわらかい日差しが少しずつ赤みを増す中、
かすかに硫黄の薫る白い湯煙が、まっすぐに空にたなびいていた。
それを背景に、僕は佳子さんにこうなった訳を聞いた。
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