第7話
ぶわっ。
コートを脱いだ佳子さんが着ていたのは、
季節外れにもほどがある、白っぽいワンピースだった。
僕が大学に入って、最後に佳子さんと会ったときと、きっと同じ服だ。
スタイルもまったく変わってない。
なんで、この真冬に、
こんな白いワンピースを着ているのか、僕にはわからなかった。
ファッションセンスにうるさいみわちゃんが見ていたら、
間違いなく軽蔑しただろう。
それでも今の僕には、そんなことは関係ない。
昔と同じ服ということで、ますますテンションが上がった。
それに、せっかくの機会だったので、
僕は、佳子さんといろいろ話をした。
仕事のこと、世の中のこと、ダンスのこと。
そして、気になったことも聞いた。
僕 「どうして、手帳拾ったとき、電話くれたんですか?」
佳子 「ああ、手帳に気象予報士って書いてあったでしょ。
私、気象予報士さん大好きなの。
あと、坂の上テレビのしおりが挟んであったでしょ。
私、坂の上テレビよく見てるのよ。昔から、テレビ局大好きで。
要はミーハーなの。
ミーハーだったから、予報士とテレビの2つにひっかかって、
電話してみたのね」
僕 「へー、じゃあそうじゃなかったら、電話しなかったってことですか」
佳子 「たぶん(笑)」
ひどいなあ、と言いながら、僕も、笑った。
そして、佳子さんの顔を見た。
本当に、23年前とほとんど変わらない。
強いて言えば、目元のシワが多少増えたかどうか。
しかも、あまりメイクしてないんだけど。
この人、ベースの色白で、どこまで行くつもりなんだ?
それに、もしかして、佳子さんのこの顔は、
ファンデーションなしで、コンシーラーだけなのか?
美魔女っているけど、佳子さんは、違う。美少女だ。
ほんとに佳子さん、40過ぎか?
ちょっと、ちょっと、おかしくないか?
ひょっとしたら、化け物か?
そんな余計なこと、失礼極まりないことを考えながら、
あまりにもジロジロ佳子さんを見たので、
佳子さんは急に怒りだした。
佳子 「こらっ、女の子のこと、ジロジロ見ちゃいけないんだよっ」
僕 「ああっ、失礼しましたっ」
そしてまた、佳子さんは笑ってくれた。
この空気、23年前と、まったく同じだった。
他愛ないことで、怒ってみたり、笑ってみたり。
ただそれだけのことが、高校生みたいなことが、
僕にものすごい幸福感を与えてくれていた。
僕はなんて幸運なんだろう。23年も経って、
こんな時間を過ごせるなんて。
いや、神様が、23年前に戻してくれたんだ。
タイムマシンに乗ったみたいなもんだな。
タイムマシンって、あるんだな。
ネコ型ロボットのアニメみたいで、すごいな。
僕は珍しく、しおらしくなっていた。
そして、さらにうれしかったのは、
好きなものが異常なくらい、一致することだった。
佳子さんと一緒に、「好きなもの大全」を並べた結果、
◎ビール◎米◎肉◎スパイス
◎にんにく◎ピザ◎オロナミンC
◎昭和歌謡◎大みそか◎紅白歌合戦
◎箱根の温泉◎大相撲◎鉄道(首都圏限定)
と、ここに書けるものだけでも、これだけ一致した。
そして、こんなマニアックなことを知っているのは
僕だけだ!と長年思っていたことも、佳子さんは知っていた。
僕 「最近の紅白歌合戦って、若者向けみたいにいわれてますけど、
それって今に始まったことじゃないんですよね」
佳子 「そうそう。昔はもっと若い人ばかりのことがあったよね」
僕 「え、昔の紅白がもっと若かったって話、知ってるんですか」
佳子 「うん。ひばりさんが司会のときがそうでしょ。
ひばりさんがそのときの、紅組最年長だったのよね」
僕 「それって、昭和・・・」
佳子 「45年だよね」
僕 「ええ、どうして知っているんですか」
佳子 「それくらい、知っているわよ」
僕 「じゃあ、そのときのひばりさんがいくつだったか、知っていますか」
佳子 「33歳」
僕 「あ、あってます・・・」
最近の紅白は若者向けだ、というのは、最近よく聞く話だが、
実は昔はもっと若かったんですよ、というのは
昭和歌謡フリークの僕しか知らない、
秘密事項だったはずだ。
しかも、紅組最年長が美空ひばりさんの33歳というのは、
誰に聞いても出てこない、
僕の得意の数字だった。
ひどい相手になると「ひばりさんって誰ですか」
なんて言ってくる世の中なのに、
よくこんなことまで知っているな。
僕は、自分の秘密の世界が侵されたような気がした。
でも、その侵され方が、あまりにもきれいですばらしかったため、
まったく不快に思わず、
むしろ相手を褒め称えないといけないとさえ思った。
ただ、あまりに正面から褒め称えるのは、
僕にはまだ耐えられなかったので、
少し混ぜ返して言った。
僕 「いやー、ここまで知ってるって、はっきり言って変態ですよ」
佳子 「いいじゃない、変態で」
僕 「変態がいいんですか(笑)」
佳子 「変態は変態でも、正しい変態ならいいのよ」
僕 「正しい変態、ですか」
佳子 「そう。人に迷惑をかける変態は絶対ダメだけど、
迷惑をかけずに楽しんでいるのが、正しい変態だと思うのよね。
正しい変態同士で親しくなるのが、
一番、当事者にとって幸せなことなんじゃない?
だって、いいカップルは、みんなどこか、正しい変態同士だもの。
私は、正しい変態、大好きなの。」
おおっ、正しい変態、いいな、と思った。
また、お互い髪の毛で隠しているけど、実は超絶絶壁頭だったり、
長距離走るのが苦手だったり、
昭和の上司のように、壊れたテープレコーダーのように、
繰り返し同じことを説教臭く言ったりするのも一緒だった。
そして、何より、言葉をうまく並べて、誰かに伝わったときが最高、
というところも一緒だった。
僕は、放送局に勤める気象予報士として、
佳子さんは、元・雑誌の編集者として。
ここまで合う人は、人生で初めてじゃないか。
僕は、感動し始めていた。
それに、僕の知っていた佳子さんに加えて、知らなかった佳子さん、
でも、ものすごく近い佳子さんが、近くにいる。昭和に親しい佳子さんがいる。
僕はますます感動していた。
そして僕は、この信じられないような幸運が終わらないでほしい、と
こいねがっていた。
しかし、あっという間に時間は過ぎ、佳子さんの次の予定が迫ってきた。
時計を見た佳子さんは、あっさりと
「じゃ、これで」と言って、席を立とうとした。
そこで僕は、用意していた武器を繰り出した。
「あのっ!」と、小さく、鋭く、相手を確実に鷲づかみにする声を出した。
周りの人には、わからないように。
佳子さんは、驚いた様子だったけれど、かまわず、僕は続けた。
さあ、言うぞ。23年前に言えなかった、あの一言を。
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