第2話

 会話の最中、ついいつもの癖で彼女のことを観察してしまっていた。彼女は、音楽を聴いていた方がマシだと言った。彼女にとって、音楽とはなんなのだろう。こんな暗くて狭い場所で、一人孤独に聴く曲に、一体どれほどの価値を見出したというのだろうか。

 知りたいと思った。けれど、その心はあまりに冷たく、固い。

「リンは……、氷みたいだ」

 彼女は、何も言わなかった。

 結局、彼女を観察して分かったのは、彼女は氷の心の持ち主だということだけ。彼女のことを知るためにはまず、その氷を砕かなくてはいけない。


 そろそろ戻ろうかと思い立ち上がると、今度はリンの方から声を掛けてきた。

「ねえ、アンタのクラス、教えてよ」

「ん?1組だけど」

「そっか。私ら、端っこ同士になっちゃったか」


 ■


 文化祭から数日後の、木曜日の昼休み。

「やってしまった……」

 五時間目はライティングの授業なのに、和英辞典を家に置いてきてしまった。貸してくれそうな奴は、いただろうか。

 しばらく考える。

軽音楽部ではバンドメンバーくらいしか友人はいない。そして当人たちは皆1組だ。他に頼れそうな友人もいない。

 だったらもうあいつを頼ってしまおうか。

 あの日、あいつは最後に、端っこ同士になったと言っていた。二学年は1組から6組まで。というわけで、6組を目指す。


 教室の後ろのドアを開ける。ざっと見渡すけれど、思った以上に人が残っていて探しづらい。自力で探すのを諦めて、ドアの近くにいた女子に聞いてみる。

「リンさんですか…?えっと、確か後ろの方の席だったと思うけど…」

 そう言い後ろの席を見渡す。つられて俺も目を移すが、リンの姿は見つからない。別に、分からないなら分からないで良かったのだけれど、ありがたいことにその子は目が合った他の女子に、俺の代わりに聞いてくれた。

「ああ、リンの席ならこの間の席替えの時、私と換えてもらったから今前の方なんだ」

 そう言って指さしで席を教えてくれた。示された方向に顔を向けると一番前の席で縮こまっているリンの後ろ姿を見つけた。あれじゃあなかなか見つけられない。教えてくれた彼女たちにお礼を言って、今度は前のドアから教室に入る。

 リンは数学の問題を解いていた。二回ほど声を掛けたのに全然気づかない。どんだけ集中してるんだまったく。

「リン」

 さっきより少しだけ声を張り彼女の名前を呼ぶ。ようやく気付き、さっきまでの真面目な目をあの時の冷たい目に変えて俺を睨む。

「なに」

「和英辞典を貸してくれないか。家に置いてきちゃって」

「なんでそんな重いもの、持って帰るの?」

 まあ当然だよな……。あんまり大きな声で言いたくないが、下手にごまかすよりは説明した方が楽か……。

「俺さ、曲作ってるんだよ。オリジナルで。それで、歌詞考えてて、ここ英語にしたいなってところがあったら、和英辞典使って類義語とかも確認しながら当てはめいくんだ。それでまあ、持って帰った」

 彼女は相変わらずの冷たい視線を浴びせてくる。苦手だ。氷を砕きたいと思うのに、こっちが凍らされてしまいそうになる。

 彼女は無言で立ち上がり教室を出る。無視されたのかと思って彼女の後ろ姿を目で追っていると、廊下に置いてあったロッカーのうちの一つを開け、辞典を取り出した。戻ってきた彼女はその辞典を突き出す。

「はい」

「お、おう。ありがとう……。貸してくれんだな」

「貸すけど、一つだけお願いがある」

 見返りを望むか。

「いいよ。何なりと」

「アンタのその、作ってるっていう曲。私に聞かせて」

「え……?」

 予想外の見返りだった。氷の心を持った彼女でも、こんな俺に興味を持つのだろうか。あっけにとられてしまい、しばらく茫然と立ち尽くしていた。なぜ。なぜ、俺みたいな人間が作った曲を、彼女のような人間が聴きたがるのだろう。無意識に、その答えを探している。何か言わなくては。分かっていても、彼女を観察してしまう。

 怖い。彼女は、その氷の心で何を思っているのだろうか。その内を見せてくれないから、とても怖い。

「……どうして。どうして、俺の曲が聴きたいんだ?」

「興味があるから」

 ただ一言。俺を見据えて放った言葉は、これ以上の言及を認めない強さを持っていた。

「そうか、わかったよ……」

 そう言うことしかできなかった。興味がある、だなんて、きっと彼女は少しも思っていないんだろうな。

 俺を馬鹿にしたいのだろうか。もしそうなら、あれほどまでに強い言葉を言う必要は、なかったような気もする。


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