真白の葬列
茹だるような熱風が、スラムの土埃を巻き上げる。道端には文字通り、熱の中で干からびた身体が横たわっている。どこに行っても同じだ。家を持たないものは夏を越せない。この地域の気候は振るいのように、容赦なく屋外で住まう人間の水分を奪っていく。助かる奴は余程タフか、地下のマンホールに拠点を構えられた奴らばかりだ。
「よう」
そんな乾いた油のような場所に、その女は不釣合だった。黒い髪、黒い服、唇に引かれた赤いルージュ。化粧ののったその顔は、照りつける太陽も振り払うかのように白く、雪のようだった。俺はこの顔を見る度、故郷に降る雪を思い出す。一時だけ咲いた花のように、寒いあの景色を懐古する。
酒と男に溺れて自殺した母親に似ている。そいつの出で立ちを見て、そう思った。しかし、死んだ瞳の中に映る生への執着は、似ても似つかなかった。こいつは生きるために銃を手に取っている。死ぬ為ではなく。そんな当たり前のことが、俺には眩しく思えた。
「遅かったわね」
無機質な声だったが、酷く艶っぽく聞こえた。そうだ。俺は己を殺すために銃をとった母親が嫌いで、生きるために銃をとったこの女が好きだった。その癖、見慣れた顔に咲いた紅に囚われている。遠い国で仕事をした時、ヒガンバナという花を見た時と同じ衝撃だった。複雑に伸びた紅は美しく、儚げで、そして無常に心を絡めとる。蜘蛛のような模様を地面に描いて地に伏している。ほんの一瞬の、懐古だった。
「抵抗されたんだよ、少し手こずった」
「会う度に同じ事言ってるわ、あなた。愉しむもんじゃないのよ」
「シリアルキラーに見えるか、この俺が? 平和主義者だぞ」
「よく言えるわね。この生業で」
黒ってのは良い色だ。紅も目立たないし、夜にも紛れられる。今俺が生きているこの世界には、都合の良い色だった。
血を含んで重くなった黒いシャツを絞る。地面を濡らした他人の体液を見て、そいつは目を見開き、そして忌々しそうに顔を歪めた。
「着替えも持ってなかったの? せめてその場でなんとかしてきなさいよ。どこへ逃げたかわかるじゃない」
「こんな気候じゃ、どうせすぐに砂に紛れるって。銃さえ取られなければわかりゃしねえよ」
「つくづく呆れるわ。貴方、本当に殺し屋?」
「さあな。職業欄に書ける職でないことは確かだけど」
「相変わらずの減らず口ね」
服を絞った手が真っ赤に染まる。鉄の匂いが吐き気を催した。慣れたことだ。
あらかた地面に潤いを注ぎ終えると、俺は女に歩み寄った。この女は血の匂いを嫌う。長い付き合いの中で、なんとなく知ったことだった。
「いーじゃん、今回は手下してないんだろ? 俺だけかよ、まったく」
「丁度良い捨駒がいたのよ。貴方も少しは利口に動いてみたら?」
「……そういうのには慣れないんだよ。大人になりきれねえ子供みたいなもんだ」
捨駒として使われた時のことを思い出す。思えばあの時初めて、銃を手に取ったのだった。捨駒だと途中で気付いた愚かな俺は、金だけ強奪して依頼人の方を殺した。まだ子供だった頃だ。相手が子供だからと見くびるのはバカのやることだ。そいつはバカだったから愚かな俺に殺されて死んだ。それだけのことだった。
当たり前だが、そいつも今の俺たちと同じように、自分の信じた組織に属していた。まだ子供だった俺はそれも知らず、ただひたすらに逃げ続ける日々を送った。何人も殺した。夜を数える度に殺した相手の顔がボヤけていった。頬を撫で付ける風のように、それはどうでも良いことになっていった。こいつと出会ったのは、保身のために入った別の組織の中だった。俺達が今、使われている組織のことだ。
「あまりヘマをやらかすと、次はもうなくなるわ。ここはそういう場所よ。わかってる?」
女が俺を咎める。女ってのはそれだけで母親を彷彿とさせるものなのか。子供にとっての親は神だとはよく言ったものだ。そんな歳でもないのに。
「優しいねー、お前は。わざわざ忠告?」
「ちょっと、寄らないで。血の匂いが移るじゃない」
「いーじゃん、同じ殺し屋なんだからさ、仲良くしようって」
「……っ!」
黒いコートを着たその体を抱きしめると、その白い肌が紅に濡れた。血にまみれた指先で頬をなぞる。それは唇に引かれたルージュよりも黒く、肌を汚す。ーーこいつは赤が似合う。そう思った。
「手、下してないんだろ? 少しは汚れて見せろよ」
「仕事はまだ終わってないわ」
「終わってないならいーじゃん。終わってから綺麗にすれば?」
「本当、口の減らない男ね」
そりゃどーも、と黒い髪を撫でる。黒は良い。紅が目立たない。白も良い。こいつ相手に限っては。汚して、紅に染まったその後の、臓物の黒色が美しいから。
「獲物は銃? どこを撃って殺したの?」
「銃で頭。1発だったよ」
「銃弾、下手に残してないでしょうね。ちゃんと貫通させた?」
「大丈夫だよ、その辺は。あー疲れた」
抱きしめたままその肩に垂れかかると、女が俺を引き剥がそうと肩を掴んだ。そうして自分の手が血に染まるのを見て、眉を寄せる。力が抜けた。諦めたようだった。
「重いし臭うわ。あなた。どいて」
「ひっでー。それが手汚した人間に対する態度?」
「妥当な態度じゃない」
胸元に何かを押し付けられる。銃口かと思ったが、なんのことはない、ただの紙切れだった。というか、紙切れになった。それは札束だった。
「報酬? うわ、血で汚れてんじゃん」
「貴方が汚したのよ。使えないわね、もう」
「それはどっち? 俺? 金?」
「両方よ」
俺は札束を手に取り、開放されたそいつは路地裏の壁に寄りかかった。風を切るようなライターの音がする。白い指先によく似合う、普通のものよりも細いタバコがくわえられていた。
「ずっりー。俺も」
「自分のがあるでしょ?」
「血で汚れてもう吸えねえよ。いいなー、そっちは無事で」
「あたしが吸うタバコは嫌いだって言ってたじゃない」
「甘いからな。タバコの味じゃない。それ買うならケーキでも食うよ」
「もう絶対にあげないから」
吐かれた煙は甘く、脳髄を揺さぶった。
自分が思うよりも疲れていたらしい。意識が飛びそうになるのを抑えて、俺もそいつの隣に寄りかかった。砂と風がスラムに吹き荒ぶ。路地裏には幸い、建物が壁となって、その一部しか流れ込んでこない。
静かな時間だった。
「苦手なんだよな、頭に銃口向けんの」
「今更何言ってるのよ」
「なんか自殺させてるみたいじゃん? 俺達がさ」
「殺してるのよ。自殺してくれたら楽で良いわ」
「そう?」
そう言って、背負えんの、お前。自殺したやつなんかのことを。
出かけた言葉は胸の奥に押し込めた。自ら死を選ぶ人間は、見ているだけで責め立てられているような気持ちになる。お前のせいだ、お前のせいだと、無言の圧力がのしかかる。本能から外れた行動だからだろうか。なら背負わなくてもいいんだっけ。確か母親の死体を見た時も同じことを考えた気がする。心ってなかなか動かないもんだなと、建物の隙間から差し込む陽の光を見て思った。
「夜になるとさ、暗くなるんだよ、ここ」
「は?」
「で、すげー寒くなる。雪でも降るんじゃないかってくらい」
「あたしだってここで仕事をしたんだから、知ってるわよ。そんなこと。こういう街は何処もそんなもんでしょう」
「なあ。暖めてくれない? 今夜」
そいつは頷いたのか、顔を背けたのか。顔を俯かせ、踵を返した。風はもう弱まっている。カツカツと無機質なヒールの音が響いた。俺はその後を追う。
そうして俺達は、いつものように仕事の報告を済ませ、血で汚れていない報酬を受け取り、いつものように安宿で身体を重ねた。
いつのまにか、俺が描いた紅はシャワーで落とされていた。代わりに、絹のような肌にキスマークをつける。血も良かったが、これもなかなか悪くないと思った。これもある意味、流れる血の色だ。こいつは生きた人間だと確かめるように、その身体を抱いた。
その夜は久しぶりに夢を見た。母親が俺に料理を振舞ってくれた。今はもうない俺の名前を呼んでいた。
夢から覚めて、横で眠るそいつの顔を見る。その時初めて何の気なしに、ただ漠然と、家族が欲しいと感じた。
暖かいのだろうか。血の温もりよりも。それとも、温く感じるのだろうか。鮮血を浴び続け、臓物の持つ熱を感じてきた俺達には。
答えは多分、考えてもわからないことだった。
その一ヶ月後に俺は死んだ。
知らない子供を庇って死んだ。
気まぐれで外へ出て、気まぐれで人助けをして、気まぐれに死んだ。
死体は多分、残らなかった。
「カラスの子供」 「真白の葬列」 クソザコナメクジ @4ujotuyoi
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