「カラスの子供」 「真白の葬列」
クソザコナメクジ
カラスの子供
あの男が死んだ。
そう聞かされたのは、仕事上がりの明け方。もうそろそろ眠ろうかというような、あの男によく似た傍迷惑な時間だった。
電話越しにその末路を聞かされた時、貧相なこの胸を占めたのは、悲しみでもなく衝撃でもなく、ただ、ああそうなのか、という落胆のみだった。
癖っ毛の黒髪が、なんとなく印象的だった。
何度か体を重ねた。
好きだったのかと聞かれると、よくわからない。
恋慕というものをあてはめるには、あたしの身体は穢れ過ぎていたし、それはあの男も同じだった。
2人、一夜を共にする度、自分が誰なのかわからなくなった。あたし達がいる世界だって、もうとうに明るみからは隔離されていて、当然自分の血もここで絶えるのだろうと思っていた。そんな世界にも人の温もりがあるということが、恐ろしく不思議だった。
何せ死体の体温しか知らないのだ。あたし達は。
「……」
くぐもった煙を吐いた。煙の味もわからないくらいに、五感が鈍っている。けれど煙を吸って、吐いて、その一連の動作を自覚するだけで、棺桶に入ったあの男を見た瞬間の感情が曖昧になる。
これが背筋が凍る、ということなのだろうか。
首のところを、ざわざわしたよくわからないモノが駆け上がっていくみたいな、気色の悪い感覚。そして一瞬で時が止まったみたいに、思考が回らなくなる。時の止まったあの男を、追いかけようとでもするかのような。
無様な最期だった、と記憶している。
いつも黒々とした、鴉のような服を着ていたのが印象的で、そのくせ肌だけは病的なまでに白かった。
辛気臭い。生前、彼の姿を見る度、そう罵った。
そんな減らず口とは裏腹に、案外傍にいる時間は長かった。辛気臭いと気軽に貶せてしまえたからこそ、一緒にいても、苦痛を感じなかったのだ。
「あんた、その癖っ毛直したら?」
そうせっついたのは、そう遠くない過去のこと。
「なんで。嫌い?」
「そういうわけじゃないけど。みっともない」
「ひっでー」
「会った時からずっとじゃない。真っ黒で辛気臭いし」
「濡れ鴉色って呼べよ。そういうの意識してんだから」
「なんで黒なの?」
「カッコイイだろ」
けたけたとよく笑うのを、今でもよく覚えている。
そういえば今も、あの男が賞賛していた色を纏っている。髪も、服も、ぞっとするくらい、訪れる者が皆同じように黒を身に纏っている。
当の本人、ただ一人だけが、真逆の白を着せられて。
「白ってのは大っ嫌いなんだよ。汚れが目立つから」
「黒なら、目立たないって?」
「そうそう。人を寄せ付けないようで、全てを包む包容力があるんだ。カッコイイだろ」
「色負けしてるわ」
「お前はいっつも失礼だな」
白い煙が、空へ消えていく。
無様な最期だった。
とりとめのない会話が、ゆっくりと、走馬灯のように蘇る。あの男の代わりに見ているみたいだった。
「子供が欲しいなあ」
「子供? 誰と」
「誰でもいい。子供が欲しい」
「あんたじゃ教育に悪いわ」
「うるせえな。生きてた証って、たまに無性に欲しくなるんだよ」
「生きてた証?」
「せっかく生まれたんだからさ。こうなっちまったけど、何かを残していきたいじゃん? 死んだら、存在自体がなかったことにされるんだし」
「……」
「いっつも思うんだよな。仕事の度に。こいつらは、俺らが殺したって誰かが泣いたり、弔ったりしてくれるのに、俺たちは何なんだろうってな」
「何って、殺し屋じゃないの」
「そうなんだけどさ。わかんなくなるんだよな。あいつらの命を奪う俺らが搾取する側なのか、それとも弔いがあるあいつらが俺らから搾取してんのか。なあ、どう思う?」
どうって、言われても。
「考えたことないわ、そんなこと」
生きてた証。
どこかでそうなるような気もしていたし、どこかでそうならない期待もしていた。殺しても死なない。生前そう思わせるように振る舞っていた彼は、この世界には似合わず、誰かの子供を庇って死んだ。
そんなに欲しかったのか、と思ったけれど、あの男の性格を考えれば、ただの気まぐれの可能性もある。ただの気まぐれで外へ出て、ただの気まぐれで子供を助ける。そんな曖昧な男だった。
「あんたは、何だったのかしら」
身近だった時間は。消えてなくなった存在は。記憶に残る言葉は。すべて、なんだったのだろう。
無様だったと笑ってはいても、自分だって他人事ですむかどうか。身寄りもなく、親しい人間がいないという点では、あの男とそう大差ないのだ。
「似た者同士ね、わたしたち」
子供ではなく、恋人だとか、伴侶だとか言っていれば、何かが変わったかもしれないのに。
結果は、無様な男の肉塊を1つ生んだだけだ。
焼かれて、骨になって、それの何処に彼の望んだ証があるのだろう。
暗闇の中で死んだ人間は、暗闇の中で焼かれて、存在自体も闇に消える。彼の存在なんて最初からなかったみたいに、秘密裏に遺体を回収されて、翌日にはゴミと一緒に焼かれる。
彼の弔い。参列者は、あたし一人しかいなかった。焼却炉の前で、一人、煙草をふかしながら、彼の末路を見届けている。関係者には、奇特だと笑われた。変わっていると笑われた。あたしも、彼と同じ、仲間外れだった。
「あたしね。あんたの生きてた証とやらになってあげても良かったわ」
誰も気にも留めない。知らぬ間に消えてしまう、カラスの亡骸。
あたしはただ、子供みたいにそこに縋っているだけに過ぎない。
炎に包まれて尽き果てるまで、あたしはただ、そこに突っ立っていた。
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