エピローグはプロローグと共に
出る時にはいなかった虚無感を引き連れて、アタシはまた集会所の中へと戻ってきていた。
心なしか、空気が重く感じられる。これはきっと、アタシが沈んだ気持ちでいるからそう感じるだけの錯覚に過ぎないのだろう。
「当然ながら、二人に戦ってもらったことには理由がある」
思い耽る芹架のことも、呆然としているアタシのことすらも無視して、由良はそう切り出した。
「その主となるものが、力量を計測することじゃ」
「で、どうだったの?」
結果なんてどうだっていい。アタシは、さっさと話を終わらせてもらおうと適当な言葉を並べて由良に尋ねた。
「……まずは、雪木葉の結果から報告するとしようかの」
語る由良の表情は暗い。目は口程にものを言うとは言い得て妙だ。
「速度、正確性、そして実用性は申し分ない。流石、ワシが認めたイラストレーターなだけある」
最初からズバッと批評されるものだと思っていたが、そこまで悪い評価は下されていないようだ。今のところは、だが。
「じゃが……雪木葉、お主は先入観を盲信し過ぎている。プロのイラストレーターなんじゃから、もっと柔軟な発想力を持て」
「柔軟な発想力……ね」
自分では沢山持っていると思っていたものを、自分よりも偉い人から否定される。この気持ちは、些か胸に響く。
「安心するのじゃ。既に、解決の糸口は用意してある」
「何がアタシの蜘蛛の糸になってくれるわけ? さっさと見せなさいよ」
「ふっふっふ……そう慌てるでない。先に、芹架の診断を済ませてからじゃ」
名前を呼ばれた芹架は、俯き加減だった頭部を上げて由良をじっと見つめていた。
どんなことを言われようとも、自分はそれを受け入れる──その瞳には、まるで弁慶のように固い意志が宿っていた。
「光坂芹架──お前に才能はない。止めたら? 小説家」
予想だにしなかった率直過ぎる批評に、アタシはの時は五秒程停止した。
このままずっと止まっていればよかった。そう思えてくるくらい、アタシの腸は煮えくり返っていた。
「由良、あんたね──!」
由良に飛び掛かろうとするアタシの肩に、芹架の柔らかい手が置かれる。
「あなたと再会してから、ずっとそうなんじゃないかって考えていたわ。そうであることを、思い出してしまったわ」
売り上げも、知名度も、ファンの数すらも、何一つとして芹架が由良に勝っているところはない。でも、それは過去の話だ。今もそうであるとは限らない。
「私はただの一発屋。たまたま、処女作がウケただけ。運がよかっただけ」
「違うでしょ、芹架! もっと、自分の才能に自信を──」
「違わないのよ、愛染雪木葉さん。あなたは知らないでしょうけれど、私の二作目は一巻打ち切りに終わったの」
「そんな……!?」
──そんなはずはない。だって、あの光坂芹架の作った物語なのだから。アタシの応援する人が創った世界なのだから──それが、未完のまま永久に時間停止させられてしまうなんてことは絶対にあり得ない!
「雪木葉、お主は周りが見えていない。一つの世界しか見ようとしていない。そのままでは、じきに腐ってしまうぞ?」
「何よ……何よ何よ! 芹架には才能があるし、アタシも落ちぶれたりしない! 周りが見えていないのは由良の方なんじゃないの!?」
聞き分けのないアタシに、どんな言葉を投げ掛けようか──困った顔をした由良からは、そんな感情が流れ出ていた。
結局、由良が声を発することはなかった。先に、芹架が口を開いたからだ。
「反論してくれてとても嬉しかったけれど、それが現実なのよ、愛染雪木葉」
叱るでもなく、叫ぶわけでもなく、落ち着いた口調で、芹架はアタシを説得した。いや、彼女はただ、真実を告げただけなのかもしれない。その本当の言葉に、アタシが諭されただけなのかもしれない。
頭が冷えたアタシは、浮かせていた腰を下ろして縮こまった。
それは、ワイワイ騒ぐのを止めたのであって、芹架に小説家の才能がないと認めたわけではなかった。
由良が、小さく溜め息を吐く。彼女程の人間でも、動揺と安堵をするのだ。生前の彼女しか知らないアタシは、初めて由良に人間らしさというものを垣間見た気がした。
「後が怖くなってきたので、芹架の話はここで切り上げさせてもらうぞ。ラストはいよいよ、お主らの今後について語らせてもらう」
「私達の今後……?」
芹架は首を傾げ、由良は首を縦に振った。
「これは、成長には欠かせない重要なことなのじゃ。しかと聞き届けよ」
由良の視線と交差する。曲がることを知らないその瞳はとても眩しく、アタシは目を左に逸らしてしまった。
「雪木葉──お主には、元いた世界に帰ってもらう」
「ん……?」
知能の問題だろうか。アタシには、由良の発言の意味がまるで理解できなかった。
「そこで、見るべきものを見てくるがよい」
「ちょ、ちょっと待ってよ! どういうこと!? 由良は何を言っているの!?」
元いた世界というものは、確かに存在する。だが、それは死という概念によって遮られた、手の届かない領域にあるはずだ。
魔王を倒すとか、今の世界を平和にするとか、何かがトリガーとなって女神に帰してもらえる日がくるかもしれない。でも、ただの異世界転生者である由良に、そんな権限はないはずだ。
だから、アタシは由良の考えを聞く必要がある。彼女の説明を待つ必要がある。
「詳しくは語らぬが、ワシは異世界転生者を転生前の世界に帰すことができる。その力を用いて、雪木葉を転送する……これなら分かるか?」
「仮に、その話が真実なんだとしたら──あんた、超バチ当たりよね……」
よくも悪くも、女神は死者に復活のチャンスを与えた。異世界に転生させられるという条件付きで。
これまた善悪は当人に委ねられるが、異世界転生というデメリットだけを無力化して、生き返るという最高のメリットだけを享受するのは女神に殺されても文句は言えない悪行だ。
「生前の時点で、ワシは地獄に堕ちる運命じゃ。だったら、とことん悪さをしてやろうと思ってなぁ……」
「生前の時点で地獄旅行が確定していたのなら、第二の人生でそれを帳消しにするくらいの善行をしなさいよ……」
「一理あるがそれだけじゃ。善いことだけをする人生など、楽しくも何ともない。ワシは、物語の主人公ではないからの」
……こんなやつが主人公の物語なんて、興味本位以外では読みたくない。
「とにかく、ワシには雪木葉を転移させる力がある。お主のためにも、一度戻った方がいい」
「アタシのためにもって……前世の世界に、アタシに足りない何かがあるってこと?」
由良は、二秒近くの沈黙の後に肯定を口にした。
「……そうじゃな、そういうことになる」
「……もう一度、こっちに帰ってくることはできるの?」
「ないわけではない。が、ワシの口からは語れぬ」
それを探す旅でもあるというわけか。
少しずつだが、目標が見えてきた。
「雪木葉が、イラストレーターとして──能力者としてもっと強くなりたいのなら、ワシの言う通りにするべきじゃろう」
絵師としての技量を、世界創造の精度を高めるということは、今のアタシが目指すべき標だ。元の世界に戻ることが、一番の近道になるというのなら。この劣等感を払拭できるというのなら──!!
「──分かったわ!」
アタシがアタシであるために、誰かのためになれるように、覚悟を決めよう。
何も、今生の別れをするわけではない。大きなデメリットの頭角が見えるわけでもない。
そこまで、自分を追いつめる必要なんてないのだ。
「決まりじゃな」
では次は、芹架の今後について話をするとしよう。
「由良、芹架はどうするべきなの?」
どうせ、由良のことだからそのことについても考えがあるのだろう。
「知らん」
「……え?」
「自分で考えさせろ。ワシは一切関与せぬ」
「酷くない!?」
「それが、大人というものなのじゃ。それが、作家というものなのじゃ」
アタシの時とは打って変わって、由良は非常に淡白な回答しか求めようとしなかった。
だから、アタシが案を導き出すしかなかった。
「だったら、芹架も転移させましょ? 芹架も、それでいいわよね?」
「自分で考えさせろ、とワシは一切申したはずじゃが……聞こえなかったかの?」
由良の威嚇染みた低い声に、アタシの全身はすっかり小さくなってしまった。
「そうよ、愛染雪木葉。私のことは私が決める」
「……じゃあ、もう結論は求めてあるのね?」
芹架が、こくりと頷いてみせる。
……なら、聞かせてもらおうじゃないか。光坂芹架の答えを。歩みたい未来の話を。
「有栖川由良先生──私を弟子にしてください!」
目を見開くアタシ。計画通りと言わんばかりの笑みを浮かべる由良。
アタシの正反対である芹架は、もしかしたら由良とよく似ているのかもしれない。
「小説に、命を懸ける覚悟はあるか?」
芹架が、大きく頷く。
「死んでも責任は取らんぞ?」
少し躊躇って、芹架が頷く。
「そこに自由はない。安寧もない。起きている時も寝ている時も、常に脳内を小説のことでいっぱいにしなければならない。それ以外のことを考える余裕は与えられない。それでも、光坂芹架──お主は受け入れられるか?」
アタシは、自分に課せられた数々の地獄のことを思い出していた。
自信作を破り捨てられた日のこと。悔しくて、紙に透明な絵の具を垂らした夜のこと。一向に終わりが見えない仕事のこと……とても、他の誰かに味わわせたくない死と隣り合わせの毎日。
……ダメだ。頷かせてはいけない。芹架は、由良のことを何も分かっていない。
「芹──」
「受け入れるわ」
遅かった。行動が、決断が。
そのせいで、芹架が底なしの沼に片足を浸けてしまった。
「……決まりじゃな」
もう、後戻りはできない。安全なところで、頑張れと応援することしかできない。
「時間が惜しい。早速準備に取り掛かろう」
重い腰を上げた由良は、部屋によく響く手拍子を二回して、
「ほれ、寝落ちしておる者共も手伝わんか!」
と、ウトウトしていた異世界の人達を叩き起こした。
「んあー? はっ、わたくしとしたことが何とはしたない!?」
「世界がどうとか転移するとか、話が難しすぎて着いていけませんでした」
「俺は起きていたぞ。アイマスクの心地よさに魅了されていただけだ」
囚われた二人組は、いつの間にか目元をアイマスクで覆われていた。
どうやらイネンが布教していたらしく、まんまとその虜となってしまったようだ。
「むにゃむにゃ……」
「ぐーすか」
眠っている人間が、棒読みで「ぐーすか」などと口にするはずもなく……ヤエは狸寝入りをしているようだった。
「そいつらはー……危険じゃし、今回は見逃してやろう。安全なツキアカリ荘の人間は、ワシの部屋──大家の間まで着いてくるのじゃ!」
ぶつぶつと文句を垂れながらも、先導する由良に従うツキアカリ荘の住民達なのだった。
不思議の国へと繋がる扉は、確かに存在した。
大家の部屋は、ツキアカリ荘の奥行きの長さを遥かに越える広さを有していたのだ。
その規模は、ツキアカリ荘全体よりも大きく、様々な機械が配置されていたhttpの部屋に匹敵するものだった──
一行はまず、何の変哲もない普通の狭い通路を渡る。
まず最初に通り掛かるのは、左方の壁に配置された茶色い扉だ。この奥は物置きとなっており、そのまま物を保管したり、ベッドルームに改造したりと色々なことができる面積となっている。
次に近付いてくるのは、右方の扉だ。この奥にはトイレがある。
最後に正面。ずっと見えていたが、距離は三つの扉の中で最も遠い位置にあるそこは、脱衣所へと繋がっている。更にその奥にはお風呂があり、ここもまた、身体に一切不満を感じさせない広々とした空間が用意されている。
さて、逆L字となった通路を曲がると、そこはいよいよリビングルームだ。
由良のことだから、きっと壁一面本棚で埋め尽くされた圧迫感のある書斎となっているのだろうと予想しながら扉を開けてみると、それ以上の狂気がアタシの目の中に飛び込んできた。
「ようこそ、ワシの秘密の部屋へ!」
全体が青白く光った空間には、太いパイプや実験道具らしき機械など、小説家らしからぬ──一般人のそれとは思えない歪な物体がさも当然のように並べられていた。
最も注目すべきなのは、正面に映った数十メートルにも及ぶ時計だろう。どうも現在時刻を指し示しているわけではなさそうなそれは、長短どちらの針も十二の数字を指差していた。
「そのまま前進するのじゃ。時計の真下まで、コケないようにな」
言われた通りにすると、青く平べったい段差のようでステージのような高台がつま先の位置にまで迫ってきた。
「その上に立つのじゃ」
直径二メートル程の丸の上に、身体を持っていく。手順は間違えていないはずなのだが、目に見える変化は訪れてこない。
「これからどうするのよ?」
どこかにあるスイッチを押すのか、何かを念じるのか……この手の機械は、アニメや小説で少なからず見てきた。由良は、どのタイプを選んだのだろう。
「そこでじっとしておれ──一応確認しておくが、こちらの世界でやり残したことはないな? マナを宿したもの──例えば、女神のスケッチブックなどは、ここに置いていくことになるぞ」
やり残し……そういえば!
「モカ……すっかり忘れていたわ」
「ああ、軍の娘か。一応、話は付けておいてやろう」
「モカのことを知っているの!?」
「それなりに、じゃが。まあ、彼女のことで案ずる必要はない。他には?」
他……気になることはフワフワ浮かんでくるが、やり残しはもうないか。
「大丈夫よ」
「うむ、分かった」
由良は、踵を返してパソコンのキーボードのような装置を弄くり始めた。
「りりりさん……」
心配そうに語り掛けてきたのは、黄衣の姫ルタイネだった。
「大丈夫。また会えるわよ」
「……わたくし、もっと強くなりますわ。もう二度と、りりりさんには迷惑を掛けたくありませんから。だから──必ず、またわたくしに会いにきてくださいまし!」
「ええ。約束!」
アタシとルタイネは、笑顔で互いの顔を見つめ合った。
「後始末はこちらに任せておいてくださいね、りりりさん」
「ええ。ヴィヒレアには、いっぱいお世話になったわね」
事の始まりは彼女だった。彼女らしい、とんでもない出会いだったっけ──
「造作もありません。ですが……次回は、もう少し平和な邂逅を望みます」
それにはアタシも同意見だ。
「他の世界……に向かうようだな。信じ難いことだが、納得している自分がここにいる」
「再会した時は、もっといっぱいお話しましょうね、イネン!」
「勿論だとも。そちらの世界でも、アイマスクをよろしく頼むぞ」
「え、ええ……!」
まったく……この男は、どんな時でもアイマスク一筋だ。でも、その真っ直ぐなところがイネンらしさでもある。
「準備は整った。飛ばすぞ!」
タイムリミット間近。残された時間は、彼女のために使いたい。
「芹架……」
同じ星に生まれたのに、このような別れをするなんて……不思議な感覚だ。
「悲しそうな顔をしないの。離れていても、私達はライバルなんだから。しっかりしてほしいわね」
「ふん、減らず口を。次に対面した時は、開いた口が塞がらないようにしてやるわ!」
「楽しみにしているわ」
視界が光に包まれていく。お日様の下でお昼寝をしているみたいだ。
こうして世界は一色に染まって、アタシの意識はどこかへ消え去っていく。
そして、アタシは冬の寒空の下に生み落とされた。
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