世界征服

 ツキアカリ荘前の道に、向かい合う人々がいた。

 彼女らの周りには、心配そうに見守る者、微塵も危機感を抱いていない者など、様々な人と感情が渦巻いていた。

「ここには、回復魔術が使える人がいないように見えるけれど……本当にやる気なの?」

 中央で向かい合うアタシが、対戦相手に最後の逃げ道を用意してやる。

「問題ない。雪木葉らを傷付けることはないし、傷付けられることもないからの」

「……言うじゃないの」

 あくまでも、対峙の姿勢を崩す気はないようだ。ならば、実際に戦って教えてやるしかあるまい。

 戦闘のルールは単純明快だ。先に相手を倒すまたは降参させた方の勝ち。

 ただし、一つだけ追加ルールがある。作品のストックを持ち込んではいけない──それはつまり、絵師と作家の実力勝負を行うということ。その場で書いて、描いて、相手を圧倒する。言うなれば、クリエイターとしての力量を測る戦いというわけだ。

 このルールは、先制攻撃を仕掛けた方が有利となる。何故なら、攻撃を受けた側は創作活動に集中できなくなるからだ。

 由良クラスになれば、回避運動をしながら執筆をするという荒業もできないことはないのだろう。だが、それでも作業効率は幾分か低下するはずだ。

 由良が攻撃を仕掛けてくる前に、一気に畳み掛ける。二人掛かりで攻められるアタシ達だからこそできる芸当だ。

 アタシは、ペアを組む芹架と同じ気持ちを抱けるように慎重に言葉を選んで、意思の疏通を図る。

「芹架。こっちの世界にきてから、二人で色々なことをしたわよね」

「わざわざ言及する程のことはしていないように思えるけれど……まあ、前世の何倍も長い時間を同じ空間で過ごしたことは事実ね」

 ……回りくどい肯定だこと。

「あ、アタシ達の挑戦は、最終的にほとんど実を結んできたわよね?」

「無謀と挑戦を同義と推定するならそうなるわね」

「あーもう! 気合の入る決め台詞を叫んでやろうとしているんだから、素直に付き合いなさいよね!」

「愛染りりりが、気合の入りそうな台詞を叫ぼうとしていると思ったからわざわざふざけてやっているのよ」

 こいつはいつもいつも……!

「……お主ら、大丈夫か? 何なら、先に二人で対決してくれても構わんぞ?」

 対戦相手ゆらに同情されてしまった!?

「心配は無用よ! こうなった時用の台詞も用意してあるから!」

「わざわざ考えてきたの? 本当にあなたは子供のままね、愛染ままま」

「人違いですっ!」

 芹架のせいで、何だかこっちまで不安になってきた。アタシ達は、本当に由良に勝てるのだろうか……

「気を取り直して……噛み合わないアタシ達だからこそ、誰にも想像できない作品を生み出すことができるのよ!」

「作品なんて──」

「さあ、いくわよ芹架!」

 前言撤回! どんな言葉を並べても、芹架と交わることなんてできやしない。

 だったら、もうそれでいい。平行線だからこそできることをやればいいだけだ。

「話は終わったようじゃな? ヴィヒレア、開始の合図を頼むぞ!」

 由良に頼まれたヴィヒレアが、高く上げた右手を勢いよく下げながら言う。

「始め!」

 それを合図に、戦いの火蓋が切られた。

 アタシは、手間取ることなくスケッチブックを開いてイラストを描き始める。

「ちょ、何よそれ……!?」

 世界改竄をやっていた芹架が、由良を見る目を大きく見開きながらそんな言葉を漏らした。

 ちらりと由良の方に視線を向けてみる。蠢く右手はキーボードを叩き、左手は流れるように線を引いている。

「世界改竄と世界創造を同時にやっているってわけ!?」

 由良の世界創造には、スケッチブックという大地が存在しない。その代わり、空気中という空間がその役割を担っていた。

 家に電飾を付けていくように、光り輝く線が真の意味での世界に形を作っていく。

「異世界でもハイスペックを貫いているってわけね……!」

 それでも、アタシは負けたりしない。最初に行動するのは、このアタシだ!

「ジュリアン!」

 由良を威圧するために、大きな声を発しながらページを一枚切り離す。

 描き出したのは、妨害が得意な能力者ジュリアンだ。

「ちっ……流石に速いのぉ!」

 由良の世界創造は、まだ六割程度しか完成していない。世界改竄が気掛かりだが、こちらが優勢であることはまず間違いないだろう。

「糸なりナイフなりで邪魔してやりなさい、ジュリアン!」

「小賢しい悪党みたいな扱いをしないでもらえますかねぇ!」

 四本の短刀を投げ、由良の後方にその切っ先を突き刺す。

 それからジュリアンは、結ばれたマナの糸を短くして対象の背後に回り込んだ。すかさずナイフを引き抜いて、身体を捻り、由良に糸を巻き付ける。

 読めない動きに続いて放たれる死角からの拘束。本来は、縛った後にナイフで相手の首筋を裂くという技なのだが、アタシが『邪魔をしろ』という命令を下したためにその動作は省略されたようだ。

 ──時間は稼いだ。もう準備はできているのだろう、芹架?

「“雷麦畑で──”」

「“当人は気付いていなかった。己の能力に、誤字ほころびがあったということを──”」

 由良が、小説の文章を音読するかのような発言をした。その直後、芹架の周りに集中していた大気中のマナが、爆発する風船のように飛び散っていった。

「何ですって!?」

 アタシ達には、その理由を考える時間すら与えられなかった。

 由良のもう片方の手が、ピタリと止まったのだ。

「そしてこちらも完成じゃ」

 由良の人差し指に弾かれたイラストから、アタシもよく知る人造人間の少女が飛び出してきた。

「タイマーちゃん……? いえ、服装が少し違うような……?」

 より豪華に、更に可憐に──

「お主は知らんのじゃったなあ、雪木葉。タイマーちゃんは──覚醒したんじゃよ」

「覚……醒……?」

 タイマーちゃんが、マナの糸を手刀で両断する。

 再び自由の身となった由良は、休むことなくせっせと能力しごとを再開した。

「雪木葉、お主の死後もあの世界さくひんは続いておったのじゃよ。ワシが、世界を創造し続けていたのじゃ!」

 もしかして、それが過労死の理由──?

「さあ、形勢逆転じゃ。思っていたよりも早かったのぉ……タイマーちゃん、仕事じゃ」

「意味のない戦いは好きではないんですが……致し方ありませんね」

 タイマーちゃんはまず、目で追うのがやっとの速度でジュリアンに接近した。

 動体視力に優れた彼は、その動きを完全に見て理解していたようで、後ろにナイフを投擲して急速な後退を試みた。だが、何も触れていないはずのマナの糸は、ぷつりと身体を切り離してしまった。

「な──!?」

 ジュリアンが振り返ろうとした瞬間、彼の全身は見たかったところの更に後方まで座標を移動していた。

 タイマーちゃんの突き攻撃が炸裂していたのだ。

 ジュリアンは接地し、大地を転がった。その勢いが止まる時、彼の肉体は光の粒となって消滅した。

「な、何なのよ……!?」

 タイマーちゃんは、異世界の住民にも見劣りしない程強い人間だった。肩を並べられる程度の強さだったのだ。

 しかし、今目の前にいるその人は、騎士も魔術師も越えた域にまで到達しているように窺える。それは、肩を並べるという言葉では済まされない程の成長だった。

 アタシがいない間に、世界はどう変化してしまったのだろう? 人々は、どこまで強くなったのだろう?

 作者の一人であるアタシがそれを理解できていない現実に、身体が振動を起こし始める。

「降参してください」

 タイマーちゃんが、生みの親に牙を剥く。

「……それはできないわ」

 その歯は鋭く、触れただけで肉体が穿たれてしまいそうだった。でも、そんな恐怖の対象を前にしても、アタシは諦めるわけにはいかなかった。

「私はあなたを傷付けたくはない」

「知らないわ、そんなこと」

 タイマーちゃんは、皮膚が裂け、血が滲む程強く下唇を噛み締めた。

「降参してください!」

「しない!」

 ペンを持ち直し、スケッチブックに黒いインクで線を引いていく。

 早く、上手く、正しく。一切のミスは許されない。僅かな迷いも見せてはいけない。納期に間に合うように、世界を創造しろ──!

 大地を駆けていたタイマーちゃんが、足を止めて拳を構えた。それは、彼女がアタシに届く距離まで接近しているということを意味していた。

 イラストは──まだ完成していない!

 悔しいが、アタシは間に合わなかったようだ。夢を、理想を、叶えることができなかったみたいだ。

「“泡沫の門”!」

 アタシの目に映る世界が、水面のように波紋を広げた。

 タイマーちゃんの拳は、アタシの鼻先まで届いている。でも、それ以上は近付いてこなかった。

「──光坂芹架!」

 芹架が、アタシを守ってくれた! アタシは、いつだって一人じゃない。光栄なことに、頼れる仲間がいつも側にいてくれたのだ!

 いける! 勝てる! 今のうちに、タイマーちゃんを描き上げて──

「──私じゃないわ」

「え──?」

 だって、ちゃんとここに泡沫の門があるではないか。アタシを、タイマーちゃんの攻撃から救ってくれたじゃないか。

「私じゃないのよ……!」

 繰り返される否定の言葉。

 芹架が嘘を吐くことで利益を被る場面でも、それを強調する必要性も見当たらない。ということは、本当に芹架は泡沫の門を発動させていない……?

「じゃあ、誰が──」

 答えなんて、聞くまでもなかった。

 この場にいる能力者で、世界改竄を使える者は二人しかいなかったのだから。

「世界改竄と世界創造──作り替えと作り出す能力……それはもはや、世の理全てがワシの思うがままと言っても過言ではないじゃろう。故にワシはこう名付けた──世界征服、とな」

「世界……征服……」

 にやりと笑うその顔が、芹架のものにも劣らない強固な盾が、タイマーちゃんが、ここにある全てが、アタシの闘志を完全に鎮火した。

「……降参します」

 屈辱も恥辱もない。無だけを感じながら、アタシは地に付く足を呆然と眺めていた。

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