答え合わせ~退廃~
「人だ」
「生物だ」
「ならば」
「腐り落ちろ」
ルラとルリは、再度アリシアの中に吸い込まれていった。
そして、器となった退廃の少女が、その名に相応しい最凶の能力を惜しみなくぶち撒ける。
あっという間に退廃の空気に飲み込まれてしまったタイマーちゃんだが、その身が腐敗することはない。アリシアでは、人造人間を倒すことはできないのだ。
「何故だ」
「何故止まらない?」
「腐れ」
「死ね」
「止まれ」
「止めて」
ようやくそのことに気付いたルラとルリは、慌ててアリシアから飛び出して、二人のタイマーちゃんから離れるために後方へと飛翔した。
二人の判断は悪くない。むしろ善い選択であると言える。ただ、決心するのが遅すぎた。
もうそこは、タイマーちゃんの攻撃範囲内だ。
「はあっ!」
「やあっ!」
武器を用いない実力勝負。タイマーちゃんはの最も鋭き刃は、その拳だった。
顔の真ん中に拳を受けたルラルリコンビは、望み通り後ろへと吹き飛んでいった。
「さーて、くるわよ……」
「ここからは、タイマーちゃんの時間じゃ!」
すんでのところで意識を保っているルラとルリを、タイマーちゃんの影が覆う。
「ずっと遠いところから、あなた達の行いを見ていました。ですが、一つだけ理解できないことがあったんです」
タイマーちゃんが、隣に立つ自分と視線を交わらせる。どうやら、それだけで意志は疎通したらしく、二人はこくりと頷いて同時に口を開いた。
「「どうしてそんなことをするんですか?」」
ルラとルリよりも揃った息で、纏まった声で、タイマーちゃんはそう質問した。
「誰かが憎い。復讐をしたい……その気持ちは、正直理解できます」
「ですが、選んだ手段がいけない。だって、アリシアさん? は関係のない人じゃないですか!」
「復讐は復讐を呼ぶだけだと、私は知っています。だから、言ってしまえばあなた達の行為そのものが悪いことです」
「そこに無関係の人間を巻き込んだとあれば……言うまでもありませんよね?」
同じ頭脳を持っているからこそできる芸当。ここまでの意見の一致は、ルラとルリには到底真似できない領域まで達しているだろう。
「それが気に食わなかった。故に私は、あなた方の前に立ち塞がりました」
「対抗するためではなく、手を差し伸べるために、です。私に──私達に、その怨嗟を晴らすお手伝いをさせてはもらえないでしょうか?」
二人の
「あ……あ……」
「理解……不能……」
言葉を発した後に、ルラとルリは意識を失った。
この都市で見る夕日は、これで何度目だろう。
まだ数える程しか見上げていないはずなのだが、アタシにはそれが、一ヶ月にも一年にも感じられた。
それは、濃厚で密度の高い日々を送ったからだろうか。それとも、多くの仲間達と出会えたからだろうか。
太陽は自分のことで頭がいっぱいらしく、アタシの問い掛けには何も答えてはくれなかった。
「愛染りり」
「りが一つ足りないわよ」
このやり取りも、とても懐かしく思える。
前の世界では毎日『り』の数論争を繰り広げていたというのに……アタシ達も、こちらの世界にきて変わったということか。
「本当にお疲れ様。無事、今日も同じ夕日を見上げることができたわね」
ツキアカリ荘の二階──アタシの隣に立つ芹架が、アタシと同様の景色を見つめながら 物思いに耽っていた。
「ありがと。でも、お疲れなのは芹架の方なんじゃない? 最後なんて、突然あいつが出てきたし」
「有栖川由良のことね。あの女がおかしなことを仕出かすのには、もう慣れたわ。生前からずっとそうだったもの」
「あはは……」
大して交流をしてこなかった芹架にすら、由良の破天荒さは伝わっているようだ。
まあ、有栖川由良という人間の影響力は相当のものだから、芹架にまで飛び火していても不思議なことではない。由良は、対岸の火事どころか対岸まで火事にしてしまう作家なのだから。
「あっ、そうだ!」
由良のことを話している場合ではなかった。アタシは、アタシのことを芹架に伝えなくてはならない。
「芹架、ごめんなさい……二重の意味で」
「突然どうしたのよ。あなたが謝るなんて前代未聞よ」
言われてみれば、アタシは芹架に頭を下げたことがないかもしれない。いつも、うやむやのまま放置していた気がする。
……いや、そもそも芹架がちょっかいを出してくるのがいけないのであってアタシは──今は関係のないことだ。無駄に体力を消費するのは止しておこう。
「その、あのね! 失望が……その……」
ああ、事前に言葉を纏めておいたのに!
どうしてアタシは、いつも本番になると口籠ってしまうのだ!?
自分が憎い! すぐに逃げてしまう弱さが嫌いだ!
などと自己嫌悪している間にも、芹架は言葉の意味をしっかり把握してくれていた。
「ああ、そのことね。失望したわ、愛染雪木葉ってやつ」
「もー、二度も言わなくていいでしょ!」
頬を膨らませるアタシを見て、芹架はクスクスと笑ってみせた。
「一つは私を失望させたことに対する謝罪として、もう一つは何?」
「……理由、考えても分かんなかった」
「……そう」
芹架は怒らなかった。笑いもしなかった。
最初からこの展開を予測していたように、挙動も声も落ち着きを保ち続けていた。
「“殺されても仕方がない命はあるかもしれません。ですが、殺されて当然の命は一つもありません”」
脳にできたかさぶたが、勢いよく引き剥がされた。
芹架が読み上げたこの台詞を最初に言った人物──それは、タイマーちゃんだった。
「……まさか、作者側であるアタシがキャラクターに教えられる日がくるなんてね──」
これは、ファンに失望されても仕方がない。もしこの世界がSNSだったら、今頃アタシは火だるまになるくらい炎上してしまっていたのだろう。
だってあの時、アタシは『httpは死んで当然の人間だった』というニュアンスを含んだ言葉を口にしてしまったのだから。
「ありがとう、芹架。アタシをアタシに留めてくれて」
「ありがとう……か。ええ、どういたしまして」
芹架が、拳を
なのでアタシは、握った手を
ぶつかり合う手と手。その中には、温かいものが沢山詰められていた。
「えへへ!」
「うふふっ……」
趣味も年齢も違うけれど、アタシ達はこんなにも仲良しで、こんなにも気が合う存在だった。
「もうよいか、お二人さん?」
互いの顔を見合わせて笑っていると、不意に階段の方から聞き慣れた懐かしい声が聞こえてきた。
「由良!」
「晩ご飯ができる前に、今回の件の答え合わせをしてしまおう」
意味がよく分からない言葉に誘われて、アタシと芹架は集会所を訪れることになった。
集会所に集まっていたのは、ヴィヒレアとルタイネ、拘束されたアリシアとヤエの四人だった。
ヴァーレとイネンは、一命を取り留めた御手洗の治療を受けるべく、アキハバラ中央病院にいる。
御手洗に二人を預けるのは不安だったが、どうやら、鉄の馬に轢かれた衝撃で頭を打ってしまったらしく……イネンを病院に連れていった時に彼と話をしたのだが、あまりの変わりように驚愕した。
物理的に改心した御手洗だったら、仲間を任せてもいいだろう──この発言をしたのは、彼に最も苦しめられたはずのルタイネだった。
さて、敵味方入り交じる混沌とした空間がここにはあるのだが、ただ一人、いなければならないのに姿が見えない人物がいる。
「トウカはまだ……?」
アキハバラ中央病院を制圧する任務以来、彼の所在が分からなくなっている。イネン曰く、トウカに電話を掛けても誰も出てはくれないのだとか。
「……彼はいませんが、答え合わせを始めるとしましょう」
ヴィヒレアの宣言により、最後の大仕事が開始される。
最初に唇を開いたのは、我らが由良だった。
「さて、ワシらが話さなければならないことは幾つもある。それをリスト化して持ってきたので、まずは一読してもらいたい」
テーブルの上に置かれた紙には、箇条書きにされた『語るべきもの』がずらずらと並べられていた。
「順番に拘りはないのじゃが、面倒じゃし上から潰していくとしよう」
由良は、一番上に書かれた『アリシアの能力について』という項目を指差した。
「いきなり私なのね……」
疲労を隠しきれていないアリシアが、弱々しい声を発する。
「うむ。眠いようじゃが、ワシの話を聞けばすぐに覚醒するじゃろう」
『ワシ』とか『~じゃが』とか言っちゃう人間の話なんて、眠らせる系の上級魔術に匹敵しそうなものだが、大丈夫なのだろうか。
「ワシは、雪木葉達が奮闘している間に、単独でアリシアの能力を分析していたのじゃ。それで、判明したことがある」
「それは、私自身も知らないことなの?」
「アリシアが、自分の能力のことを把握していないというんだったらそうなるな」
「……聞かせてもらおうじゃない」
由良が、歯を見せて笑う。
「アリシアの能力は、触れた生物を急速に老化させるという効果を持っている。それによって完全に腐敗してしまった生物のことを、ツキアカリ荘はゾンビと名付けた」
今のところ、驚くべき要素はない。
「さて。諸君らは、何故ゾンビが人間を襲っていたと考える?」
「仲間を増やすためとか、食べるためじゃないの?」
「中には、そういった意志を持ったやつも混じっていたかもしれんな。じゃが、どうもそうではない個体もいるようなんじゃ」
由良は、空気の上に何かを打ち込むような動作をした。すると、テーブル上に置かれた紙の下に、束ねられた資料が出現した。
「世界改竄……!?」
芹架は、声が裏返る程驚愕しながら、目の前で起きた超常現象の名を呼んだ。
「厳密に言えば別の能力なのじゃが……まあ、大まかに言えばそうなるの。それより、大事なのは中身じゃ。早く読むがいい」
由良が出現させた資料には、捕獲したゾンビに実施した実験とその結果についてが書かれていた。
アタシは、特に興味もなかったので適当に流し読みをするつもりでいた。だが、そんなアタシの目にすら留まってしまう文章が、そこには記載されていた。
「内臓には、ほとんど腐敗が見られなかった……!?」
「うむ。簡潔に言うと、アリシアの能力では肉と一部の内臓までしか腐らせることができなかったということじゃな」
「脳の腐敗は五割程度……ってことは、彼らにはずっと意識があったってことですの!?」
「……そうじゃ」
つまり、ゾンビ達は餌としてアタシ達を追っていたのではなく──
「どうも、人を見付けた高揚感と安心感から生まれる行動だったようじゃな。仲間がいた。助けてくれ。彼奴らの呻き声には、そんな意味が込められていたのかもしれぬ」
「嘘、でしょ……?」
命なき者を、あるべき姿に戻してやっているだけだと思っていたのに。そこに罪はないと自分に言い聞かせていたのに。
アタシは、とんでもないことを仕出かしていたのかもしれない。そう気付くのが遅すぎた。
「自分を責めないでください。皆さんは、何も知らなかったのですから。何なら、その戦果を全て私にくださっても構いませんよ。私は……そういう人間なので」
「……ふざけないで。アタシがアタシの意志でやったことを、ヴィヒレアにあげるわけにはいかないわ」
「そうね。それに、ゾンビを殺さなければ死んでいたのはこっちだったかもしれないわけだし」
後悔はある。でも、後悔している時間はない。素直に、正直に罪を受け入れて、いつか、その人達がアタシを許してくれるまで努力を続けよう。人のために働こう。前世でしていたように、悲しませた数よりも多くの人を笑顔にしよう。アタシには──イラストレーターには、それができるはずだ。
「……覚悟は決まったわ。由良、話を続けて」
本当は、まだ怖かったし重圧に押し潰されそうな感覚もあった。けれども、それはアタシの胸の内だけに秘めておくべきだ。少なくとも、解き放つのは今ではない。
「アリシアの能力については、もう語る必要がないじゃろう。効果範囲が広く、ある意味では即死とも言える能力を持ったアリシアを利用し、都市一つを壊滅に追い込んだ不届き者がいた。アリシア──お主が背負うべき十字架は重いが、そう落ち込むでない」
「……他人事だからそんな風に言えるのよ」
「む? 何か言ったか?」
「何でもないわ」
アリシアは今、何を見ているのだろう。悪しき周りの人間だろうか。神から与えられた退廃の贈り物だろうか。それとも、自分自身──?
「そうか──っと。忘れていたわ。最後に……」
由良が急に人差し指を立てたと思ったら、その先に紫色の小さな小さな魔法陣が出現した。
由良はてくてくとアリシアの側まで歩いていき、彼女の白い前髪をかき上げた。
「な、何よ?」
「じっとしておれ」
露わになった額に、由良の人差し指が立てられる。刹那、紫の魔法陣は跡形もなくアリシアの体内に溶けていった。
「な、何をしたのよ!?」
「案ずるな。アリシアが一人の人間として生きていくには必要なことじゃ」
「どういうこと……?」
「興隆の息吹──ワシは、アリシアの能力にそう名前を付けた。じゃから、早速使わせてもらうが……興隆の息吹は、外の世界で生きていくには強すぎる力じゃ。故に、力を封じ込める必要があった」
由良は、アリシアがちゃんと生きていけるように、あえて鎖を付けた……ということだろうか。
「いいか、アリシア。お主はこれから、外の世界で生きていかなければならないのじゃ。外は美しく、とても楽しいところ。反面、汚くて苦しい環境でもある。もし、そんな場面に出会したとしても、決して憤慨してはならぬ。怒りに身を任せて、相手を腐殺してはならぬ。そして、諦めてはならぬ。考えて、感じて、残された力だけでできることを探すがよい」
拘束具を、アリシアの腕から外す由良。
「……言われなくても、私は一人で生きていけるわよ」
自由になっても、暴れようとはしないアリシア。
「あー、分かっとらんのぉ! 一人で生きていかなくてもいいように魔術を施してやったんじゃろうが! お主の能力は並程度まで落ち着いた。ちょっと怒ったくらいでは、手を繋いでくれている者すら腐らんわ!」
由良は、ハイタッチをするかのようにアリシアの手を握った。
「……能力を発動させてみろ」
自殺行為にも似た愚行。退廃の能力が、まさしく興隆の能力に変わる瞬間が、今訪れる。
「ゾンビ化……しない……?」
「これで分かったじゃろ? 退廃の少女が、もうどこにもいないということが──」
アリシアは、満足できるまで、由良の言葉が信じられるまで能力を発動させ続けていた。
だが、残念なことに、天才作家様の身には傷一つ浮かび上がってこなかった。
「ほんと……? 本当に……?」
アリシアの目から、人間のように温かい液体が流れ出た。
「ああ。ああ!」
アリシアが、これは夢でないのかと、真実であるのかと聞くたびに、由良はうんうんと頷き返していた。
「興隆の息吹──悔しいけれど、これ以上のものはないってくらいぴったりの名前ね」
「ええ。私も、少しは見習わないといけないわね」
言葉にはしなかったけれど、アタシは何故か少し誇らしい気持ちになった。
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