その名はタイマー

「どうしてあなたがここにいるんですの……?」

 何故、アリシアは病院の外に出たのか。せっかく外出したというのに、病院いえの方を目指して歩いてきたその理由は?

「簡単なことよ──」

 魂が抜けるように、意識が具現化したかのように、アリシアから二つの人影が顔を見せた。

「あ、あなた達は……!?」

 生気を宿した緑の瞳に映る彼らは、以前ヴィヒレアが捨て去った少年少女と瓜二つの風貌をしていた。

「ククク……」

「あはは!」

 男らしく、女らしく笑う二人の背中から、黒き羽が出現した。それらはまるで、彼らではなくアリシアから生えてきているような──

「殺人者だ」

「殺人者よ」

「ルラ達を殺した」

「ルリ達を殺したわ」

「お前のせいで」

「あなたのせいで」

「骨が砕けた」

「肉が抉れた」

「内蔵が飛び出た」

「血管が破れた」

「痛かった」

「辛かった」

「死にたくなった」

「死にたくなかった」

「どうして?」

「どうして?」

「どうして僕達を殺したの?」

「どうして私達を殺したの?」

「殺人者の名は」

「ヴィヒレア」

「ヴィヒレアは」

「殺人者」

「ククク……」

「あはは!」

 二つしかないはずなのに、二人しかいないはずなのに、上下左右前後問わず至るところから憎悪と恥辱に塗れた黒一色の声が聞こえてきた気がした。

 嫌悪しか感じない不愉快極まりない戯言に、わざわざ耳を貸してやる必要はない。そう伝えようと、当事者ヴィヒレアの方を振り向いたアタシの目に飛び込んできたものは、予想だにしない光景だった。

「止めて……止めてください……」

 感情とは無縁だと思っていたヴィヒレアが、その声に酷く怯えていたのだ。両手で耳を塞いで、座り込んで、頭を垂れて、涙を流して──必死に、恐怖から逃れることだけに尽力していたのだ。

 今までの彼女だったら、即座に彼らの首を跳ねにいっていただろう。だが、今の彼女はどうだ。彼女をこんな姿にしてしまった責任は、誰にある?

「──アタシが倒すわ」

 ヴィヒレアは、対エリートファイター戦で隠してきた技のようなものを見せた。第二楽章【舞踏】という名の能力を用いてからと言うもの、ヴィヒレアの目には力強い輝きが宿っていた。

 あの時は疑問にこそ思えど、その回答を求めようとまでは考えていなかった。だから、今更ではあるが思慮を巡らせてもらう。

 まず、強大な力を持つ者が、その能力をひた隠しにする理由を考えろ。手の内を明かしたくないから。何かデメリットがあるから。

 新参者であるアタシ達ですら信用しきるようなヴィヒレアが、前者を行う理由はどこにもない。信頼できる仲間に隠し事をする必要はないし、それ以外の相手は能力でも何でも使って口封じをしてしまえばいいのだから。

 つまり、アタシの回答は後者だ。第二楽章【舞踏】には、『感情を取り戻す』というデメリットがある。

 本来なら、それは喜ばしいことなのかもしれない。ところが、死を恐れず、敵に臆さず突っ込むという長所を持ったヴィヒレアにしてみれば、感情を復するという副産物は瑕疵足り得る。

 感情は時に同情を招き、後悔を生む。それを大量に保有しているアタシが言うのだから、過誤はない。

 ……さて、もう頭を回す必要はないだろう。

 ヴィヒレアに欠点を与えてしまったのは弱いアタシであり、その十字架を背負うのもまたアタシだ。

 それだけを理解していれば、後は知力をもマナに変換するだけ!

「この魔術で敗れられることを光栄に思いなさい?」

 時計の数字と同じ数だけ描かれた、大きさも見た目も異なる魔法陣。その描き込み量は他の追随を許さない程多く、安定した速さを手に入れたアタシでさえもかなりの時間を使ってしまう完全にして究極のイラスト。

 それは、神を含む超常の更に外をいく絶対の魔術。

「ワールド・オブザーバー!」

 この魔術の中で動けるのは──動いているように振る舞えるのは、他でもないアタシだけだ。

「時間軸の超越によって、擬似的な時間停止を齎す魔術……腐る程描かされたから、今ではもう完璧に再現できるわねー」

 時間停止という言葉を使用したが、厳密に言えば時間は動いたままだ。この状態は、謂わば読者の立場に相当する。

 アタシが望まなければ、文字を読み進めなければ、それ以上物語が進行することはなくなる。それはつまり、アタシが望むものだけを動かすことができるという意味も孕んでいる。故に、アタシは移動することができる。加えて、アタシがナイフを投げればそれは飛んでいき、また、好きなところで止めることだってできるわけだ。

 この魔術の唯一欠点を挙げるとするなら、アリシアの能力や毒の霧といった大気中に散布されるタイプの能力を受けてしまうという点を推させてもらう。

 自分の肉体の移動という言葉には、自分の周りを流れる空気の移動という意味も含まれている。

 つまり、アタシがワールド・オブザーバーによってアリシアの能力の適応範囲内に侵入したら、たちまちゾンビ化してしまうというわけだ。

 しかしながら、今はアリシアの能力に怯える必要がない。そのため、次のようなことも行える。

「マテリアーテル──はもうストックがないから、病院で使った大剣でも召喚しますかぁ」

 不相応な武器を両手で持って、アリシアの側まで移動する。彼女の上で固まる男女に、それを振り下ろすためだ。

 容易く接近に成功したアタシは、予定通り、大剣を高く振り上げた。

「アリシアの能力を開花させた」

「飛び道具は全て叩き落とす」

「魔術も」

「弓矢も」

 その途端、二人組アリシアは能力を発動させた。

「やば──」

 人間の反射神経など高が知れている。危険を察知したところで、今更攻撃を避けられるはずもなかった。

 音も色すらも発することなく、まるで幻想であるかのように、生物特効の異能力がアタシを飲み込む未来が視えた。

「詰めが甘過ぎるのじゃ、お前は」

 アタシは生きていた。生きていたけれど、死んでもおかしくないと思った。

 脳にまで届く鼓動の音。鼻は呼吸を忘れていて、口の中は既に干ばつしている。全身からは、血の気と気力が完全に撤退していて、アタシはもう立つことすらできない状態となっていた。

 それでも、こんな状態でも、アタシは口を動かさずにはいられなかった。声を出さずにはいられなかった。目の前にいる王子様の名を──

有栖川由良ありすがわゆら──!?」

 大ヒットライトノベル『人造人間異世界に行く』の著者であり、アタシの義理の姉でもある人物が──生者であるはずの天才作家が、何で異世界にいるのだろう。どうしてアタシの眼前にいるのだろう。

 これはきっと幻だ、とアタシの脳が判断する。そう決め付けていく。

 これは走馬灯──或いは、死人に与えられた神からの贈り物だ。

 何であれ、こいつの前で逝けることは非常に喜ばしい。アタシの死に様を、あんたの美しい世界に反映してくれればそれでいい。

 それだけで、アタシは幸せだ──

「待て待て。誰の許可を得て死のうとしておるのじゃ?」

 眠るよりも安らかに瞼を閉じたアタシに、由良はそうツッコミを入れた。

「目を開けよ、雪木葉。お前はまだ生きておる」

 そう言えば、手にも足にも痛みや痺れを感じない。急速に腐敗するという感覚は味わったことがないが、些か変化がなさすぎる気がする。

 嫌な予感を感じながらも、言われた通りゆっくりと瞳を開くことにする。

「……どうしてあなたがここにいるのよ?」

 やはり実在していた由良に、アタシはそのような質問を投げ掛けた。

「お前達と同じじゃ。わしも死んだんじゃよ」

「ずっと家に籠って執筆をしていたあんたは、一体何に殺されたって言うのよ?」

「はっはっは! 考えるまでもなかろう──過労じゃよ!」

 ……やはりか。

 有栖川由良は、毎月一冊以上の小説を書き上げることで有名な作家だ。筆の早さはさることながら、一日に十八時間という執筆時間が化け物染みている。

 作家本人はそれでもやっていけていたようなのだが、彼女に携わる周囲の人々もそうであるとは限らない。

 『これを描き上げたら死んでやる』という妄言を吐き続けるイラストレーター。学校の授業を睡眠の時間にしてしまうイラストレーター。泣いても命乞いをしてもリテイクを宣告されて、絶対にぎゃふんと言わせてやるとヤケクソになるイラストレーター……愛染雪木葉イラストレーターは、いつも尊敬半分殺意半分で仕事をこなしていた。

 地獄を見ていたのは、何も相棒アタシだけじゃない。出版社や編集者のお尻は常に燃えており、彼らが日に日に痩せていく様を、アタシはただ見ていることしかできなかった。恐らく、彼らの観察日記を付けていたら、朝顔よりも充実したものが完成していただろう。

 それ程までに働き者で超人的な由良を殺せるものなど限られている。

 過労、飢餓、身内からの殺害……これくらいしか、彼女を殺めることはできないとアタシは踏んでいる。

 中でも一番確率が高かったのが、実際の死因にもなった過労だった。

「──と、楽しくお喋りをしている場合ではなさそうじゃな」

「おかしな話し方とか、色々指摘したいところはあるんだけれどね」

 アタシはまだ生きている。だから、やれることはある。やるべきことがある。まずは手始めに、ルラとルリを倒してみせる!

「滑稽だね」

「惨めだわ」

「人間じゃ」

「退廃の少女には勝てない」

「……ふむ。確かに、ワシらではその小娘には勝てないじゃろうな」

 何か勝算があるから現れたのではなかったのか!?

 何かの冗談だと思いたい台詞を吐いた由良の顔を見上げる。

 ──ああ、由良が笑っている。自信に満ち溢れている──だったら大丈夫だ。

「じゃが──人造人間ならどうかの?」

 いつも通りスケッチブックを開いて、いつもやっているように一枚だけページを破る。

 その隣で、由良が人差し指で何かを弾くような動作をしていた。

「──さあ、時間を進めよう 《ページをめくろう》」

 静まり返っていた時間は音を、光を、動きを思い出し、再びこの世全ての存在にそれらを分け与えた。

「「タイマーちゃん!」」

 アタシと由良が完成させた最高傑作。誰よりも繊細で、誰よりも美しい人造人間。その名はタイマー。彼女は──異世界を救う英雄だ!

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