欲張り円卓セット
ほんの数分前までいた場所だというのに、何故か病院のフロアはとても懐かしく感じられた。
院内にも院外にもゾンビの気配はなく、もしかしたらアタシは、今まで夢を見ていたのではないかという錯覚に苛まれてしまう。
しかし、それは防衛本能以外の何ものでもない。
傷だらけの二人が、それを直接的に伝えてくれているのだ。
「御手洗院長!?」
動く御手洗を見て、ルタイネは驚愕の声を上げた。
意識が朦朧としているのか、はたまた身体が思うように動かないのか……御手洗は、ゆっくりとした動きで声のした方を振り向いて言った。
「ルタイネか。無事でよかった……」
「無事でよかったって……あなたは、一体何を言っているんですの!? 何をしようとしているんですの!?」
ルタイネが疑問に思うのも無理はない。凹んだ壁に埋め込まれていた御手洗が、生きていることが不思議に思えるような傷を負った医者が、ヴァーレのすぐ側にいるのだから。
御手洗の手には、液体の入った一本の瓶が握られていた。
「患者がいるんだ。僕が助けてあげないと、彼女は死んでしまう」
「死んでしまう──いいえ、いいえ! ヴァーレお姉様は、既に亡くなっていますわ!」
大勢の人間を殺した医者の言葉を信じろと言われても、そう安々と頭を縦に振ることなどできるはずもない。ルタイネは、心身をズタズタにしてしまいそうな程悲痛な声で、虚ろな目をした医者に現実を叩き付けた。
「……そうか。それならそれで構わない。ルタイネは、ルタイネの思った通りにすればいい。果たしたい目標を果たせばいい」
「わたくしの目標……はっ、httpさんの追跡!」
「ちょっと、ルタイネ!?」
ルタイネは、一足先にアキハバラ中央病院を飛び出した。彼女は、一度も後ろを振り返らなかった。
後を追い掛けたアタシ達を待っていたのは、鉄の馬に跨がった勇ましい姿の黄衣の姫だった。
「わたくしと鉄の馬だったら、まだ追い付けると思いますわ! さあ、早く乗ってくださいまし!」
「待ってよルタイネ! 乗れって言われても、それ、最大二人乗りでしょ!?」
「気合です! その気になれば、四人くらいは余裕で乗れますわ!」
根性論なんて、根拠のない出任せだ。
「彼女、ハンドルを握ると性格が変わる人間なのかもしれないわね」
「現実にそんな人っているの!?」
とは言うものの、無理にでも乗り込まなければhttpに逃げられてしまうのもまた事実。根性論以外の方法が、何かあればいいのだが……
「世界創造でサイドカーを描いたらどう?」
「名案だとは思うけれど……アタシ、サイドカーがどんな構造をしているのか知らないわよ?」
「流石に、あの作家でもサイドカーのイラストまでは強要してこなかったか……」
「逆に、あんたはどうなのよ? 世界改竄だったら、詳しく知らなくても出せるんじゃないの?」
現に、芹架はアタシのために寝間着を用意してくれた。あの力があれば、サイドカーなんて余裕で出現させられるはずだ。
そのはずだったのだが、予想に反して、芹架は首を横に振った。
「世界改竄には、二つの能力がある。一つは、私が日頃から行っている、自分の作品に登場した力を具現化させること。そしてもう一つは、不安要素──起こり得るかもしれないことを起こす能力よ」
「それが、あの恥ずかしい服を作り出した能力でしょ?」
「それはそうなんだけれど、あの時と今とでは状況が大きく異なっているわ。タンスの奥に昔の服があることはあっても、目の前に突然サイドカーが現れることはないでしょう?」
「……要は、できないってことね?」
残念なことに、芹架は頷いてしまった。
「振り出しか……」
やはり、直感を頼りにサイドカーを描くしかないか……そう思って、アタシがスケッチブックを開いた瞬間、別の空間へと繋がっている穴が四つも開かれた。
「ヴィヒレア……?」
彼女がそこから取り出したのは、二本の剣と白銀に輝く金属製の盾、それと、グレイプニルだった。
ヴィヒレアは盾の前面を上にして、その上に横にした二本の剣を置いた。それらは何故か、座りの悪い向き──鍔が下になるように配置されている。
「支えておいてください」
言われた通りにしていると、ヴィヒレアはグレイプニルを用いて盾と剣を縛り上げた。
剣先と柄の部分をキツく縛られた剣は、ちょっとやそっとの衝撃では外れないくらいガッチリと固定されている。
「よいしょっと」
それをひっくり返したヴィヒレアは、余ったグレイプニルを握ったままルタイネの後ろに座った。
……ヴィヒレアは、何がしたかったのだろう? 組み立てられた謎の物体が意味するものとは?
芹架と並んで首を傾げていると、業を煮やしたヴィヒレアが催促の言葉を述べてきた。
「即席のサイドカーです。早く乗ってください!」
「サイドカー!?」
確かに、遠目から見たらソリのように見えなくもない。
だがしかし、この硬くて障害物の多い道路を、これで走れるかと言われると……
「エクスカリバーとアロンダイト、ガラハッドの盾で作った至高の逸品です。多少の障害ではびくともしませんよ」
「まさかの欲張り円卓セット!?」
「時間がなかったので。いえ、時間がないのです。私が臨機応変に調整するので、二人は安心して乗車してください」
安全装置のないジェットコースターのような乗り物だけれど、もたもたしているとhttpに逃げられてしまう。ワガママなことを言っている場合ではない……か。
「信じるわよ、ヴィヒレア」
「やれやれ。私達も、壊れるところまで壊れてきたわね」
覚悟を決めたアタシ達は、絶叫マシンよりも叫ぶこと間違いなしのアトラクションに乗車した。
「いきますわよー!」
開幕からフルスロットルのルタイネ。ああ、既に生きた心地がしない……
「芹架、死ぬ気で世界改竄をしなさい! アタシも、転倒に備えて世界創造を発動させるから!」
「焼け石に水のような気がするけど、とりあえず承知したわ!」
比較的簡単に描けて、絶大な見返りをもたらすもの……クラウド・ウォール!
風景が無数の線のように見える世界で、アタシは形あるものを描き出す。
それを描き終えた少し後、とうとうその時がやってきた。
突然の急停車に、ヴィヒレアの対応は間に合わなかった。
羽もないのに宙を征く身体を一所懸命に動かして、すんでのところでクラウド・ウォールを出現させる。
「ぐえっ!」
顔面からダイブしたアタシを、柔らかい雲が支えてくれる。
アタシは、クラウド・ウォールを描いておいてよかったと安堵すると同時に、もし描いていなかったらどうなっていたのだろうという恐怖心に苛まれた。
「何とか生き延びることができたみたいね──ひゃんっ!?」
生を実感したのも束の間、アタシは服の中を異物が這い回っていることに気が付いて思わず悲鳴を上げてしまった。
その異物は虫のように小さくなく、ウナギのように長細くもなく、でも、それらと同じようにウネウネと動いていた。
何が動いているのか──そんな問答は、する必要がなかった。
何故ならそれは、アタシの腕の先に付いているものと同様の形をしていたのだから。
だからアタシは考えた。その手が、どこに繋がっているのかと。誰の手が、アタシの胸を掴んでいるのかと。
「っ……芹架ぁ!」
犯人は、アタシがこちらの世界で最もよく知る人物だった。
「もごもご……あら?」
「やっ……手を動かすなぁっ!」
当人も、たった今自分がとんでもないことを仕出かしているということに気が付いたのだろう。本来なら、それを咎めるべきではなかったのだろうが、生憎、こちらにそんな余裕はない。
「これはこれは……ふひひひ……」
芹架は、ゲスい笑い声を上げながら意図的に手を暴れさせ始めた。
「ちょ、やめっ……!」
「素晴らしきラッキースケベ。笑いと手が止まらないわ。わざわざ、世界を改竄させただけのことはあるわね」
「あんた、まさか……!」
「そう、その通りよ! だって、世界改竄にはこの程度のことしかできなかったんですもの!」
「自慢することかぁ!」
兎にも角にも、この淫獣をどうにかせねば。
「こんなところでそんな恥ずかしいことをするなんて……ハレンチですわー!」
「アタシには、ルタイネが目を隠しているようで実は指の隙間からこっちを見ている風に見えますけれどね!」
ついでに言うと、顔も真っ赤だ。
「そろそろ飽きてきたので言わせていただきますが、今は茶番をしている場合ではありませんよ。前方を見てみてください」
そう言えば、ルタイネの急停車によってこのような状況に陥ってしまったのだった。その原因を作った存在とはいかなるものなのか。
「あれは……!」
アスファルトの上に倒れ込んでいた人物──それは、先程までアタシ達と相見えていたhttpだった。
彼女はピクリとも動かず、静かに血の池を作り出していた。
「そんなっ……!?」
そこに何があるのかまでは把握できていなかったのであろうルタイネが、目を見開きながら息を呑む。
直後、ヴィヒレアのスマホが賑やかな音楽を奏でた。
「もしもし?」
『俺だ、イネンだ』
「イネン!?」
彼は、ヤエの能力によって音信不通になっていたはず。てっきり、ダメージを負って撤退していたのだと思っていたが……
『その場所にいるのなら、もう語る必要もないんだろうが……敵対勢力と思われる人間を撃ち抜いた』
「……よく、彼女が敵であると分かりましたね」
『超人的な速度で、人がいないはずのアキハバラ中央病院から飛び出してくる人間なんて限られているだろう? 見知らぬ顔なら十中八九敵だ』
……言わんとすることは理解できるが、それは少々短絡的思考過ぎるだろう。
『まあ何だ、結果オーライってことで勘弁してくれ』
過程はともかく、結果が最良のものであることに間違いはない。イネンは、きちんと仕事を遂行したのだ。
「お説教は後でするとして……今まで何をしていたのですか?」
『何もしていない。あえて言うなら、気絶していた』
「……銃弾を受けて、その程度のダメージしか負っていないと?」
『あー……話してもいいんだが、長くなるぞ?』
「だったら今晩にでも聞きます」というヴィヒレアの発言を最後に、この話は終わりを迎えた。
通話を終了させたヴィヒレアは、httpの容態を確かめるために倒れる彼女のところへと寄っていった。
「……息はありませんが、そもそもの話、彼女が呼吸という行為を行っていたのかどうかが分からない以上、結論は導き出せませんね」
ヴィヒレアは、黄金色に輝く鞘のようなものをhttpの胴体に置いた。すると、すぐに血液の源泉には蓋がされて、倒れるhttpの身体は綺麗な姿となった。
「それって……」
「エクスカリバーの鞘です。あらゆる傷を防ぎ、治す効果を持っているのですよ」
優しく、寂しい笑みでhttpを見つめるヴィヒレア。
彼女は、鞘を別の空間へと戻した後にスッと立ち上がって言った。
「……誰かきます」
一変して険しくなったその目が指し示す先──そこには、退廃と呼ばれた少女がいた。
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