死屍累々の腕

 口から血液を吐き出しているというのに、激痛に顔を歪めているというのに、httpの目と口は笑顔を絶やしはしなかった。

「さあ、死屍累々の舞踏会を始めましょう──」

 httpの両腕の周りに、散在していた機械の破片達が集っていく。それらは、クジラ程の大きさをした獣のような腕を形成した。

 破損物達は、竜巻に巻き込まれているかのように回転を続けていた。

「たかが一般人に、私程のエリートが追い詰められてしまうなんて……世の中、何が起こるか分からないものね。ね」

「一体、何が起こったと言うの……?」

 さしもの光坂芹架先生も、この事態までは把握できていなかったのか。

「新しくしただけよ。何もかもを……自分の身体をもね。ね」

 身体を新しくする……? あのピエロとかいう道化と戦った時に、そんな能力は使われなかったはずだ。

「もしかして、気付いていなかったの? あはっ、滑稽ね! ね!」

 思い出せ。アタシにはヒントが与えられていたはずだ。

 本当に、ピエロは能力を発動しなかったのか? あの戦闘で、何か変わったことは起きなかったか?

「カミラの盾……!」

 そうだ。カミラの盾を流れるマナが、赤から透明に変色したのだ。あれは、盾から伸びる腕がピエロに攻撃された時に起きたはず。

 ──ピエロの能力が見えてきた。

 彼は、自分の能力は“斬新”なものだと紹介した。アタシはそれを、ピエロが己の能力を際立って新しいものだと自慢しているのだと解釈していた。しかし、それは勘違いだった。

 ピエロは、奇術師にあるまじき行為──種明かしをしていたのだ。つまり、“斬新”とは、“斬ったものを新しくする”能力だったのだ!

 このかいめいは、もう一つのなぞを解き明かす道標となった。

 鉄の馬が、形を変えたとルタイネは話してくれた。あれも、恐らくはピエロの仕業だったのだ。

「まあ、今更知識を付けたところで無意味よ。どうせここで死んじゃうんだもの! もの!」

 巨大な腕が振り上げられる。日が暮れたかのように、アタシ達を影が覆う。

 ……このままではまずい。一刻も早く、壊す或いは躱す術を考えなくては。

 芹架とジュリアンの魔術で吹き飛ばす……ためには時間が足りなすぎる。

 マテリアーテルは決定打に欠けるし、カミラはもうストック切れだ。

 ──ダメだ、破壊する手段は一つとしてない。となると、全力で走って回避するしかないか!

 他の皆も同じ考えだったようで、アタシ達は蜘蛛の子を散らすように散開した。

「きゃっ!」

 逃げ遅れたルタイネとまだ動けないヴィヒレアを、ジュリアンがマナの糸で引き寄せる。素晴らしい判断力……流石はあいつの書いた小説の登場人物だ。

 彼のおかげで、とりあえずは脅威を乗り切ることができた。だが、次も上手くいくとは限らない。

 激しい暴風と衝撃の中で、ジュリアンがアタシに策の提供を求めてくる。

「おい、どうすんだお嬢ちゃん! このままじゃ、全員お陀仏だぞ!」

「どうするったって……!」

「考える余裕なんて、与えるわけないわ! わ!」

 今度は薙ぎ払い!?

 ……目測だが、僅かにhttpの腕よりも部屋の方が大きい。彼女までの距離が開いてしまうのは痛いところだが、後退するしかない。

「くそっ、埒が明かないな……! ここらで一発、戦場を掻き回してやるか!」

 ジュリアンは、天井にナイフを刺し──マナの糸を繋げて高く跳躍した。それから、蜘蛛のようにぶら下がってhttpによる広範囲攻撃を避けた。

「ジュリアン、どうする気なの!?」

「俺のことはよーく理解しているだろ?」

「……ええ、その通りよ!」

 アタシは彼を知っている。ジュリアンとアタシは初対面だけれど、アタシとジュリアンは何度も会っていたのだから。

「さーて、どこまで保つかな?」

 ジュリアンは、マナに繋がれたナイフを巧みに操ってhttpの頭上まで前進した。

「ちょこまかと鬱陶しい男ね! ね!」

「おっと!」

 羽虫を払うように振り上げられた手のひらを、下降することによって回避するジュリアン。彼は、着地と同時にhttpへとナイフを投擲した。

「当たるわけないわ! わ!」

 もう片方の手に弾き飛ばされたナイフは、マナとの癒着を止めて単騎で壁へと突撃していった。

「まだまだァ!」

 httpの手が戻ってくる前に、ジュリアンはもう一つのナイフも放り投げた。彼女の身体は、遠心力によって一時的に固定されてしまっている。よって、これを回避することはできない。

 httpの顔目掛けて飛翔していたジュリアンのナイフが、彼女と接触した──いや。

「……化物染みてやがるな」

 httpは、ナイフを咥えながら歯を見せて笑っていた。

 次の瞬間には、薄い鉄の板が木っ端微塵に砕け散っていた。

「狙う場所が悪かったわね! わね!」

「ぐっ……! 次だ次ィ!」

 ジュリアンは、一気に五つのナイフを投げた。

「はぁっ!」

 それらは、既にニュートラルの位置まで戻ってきていた腕によって吹き飛んでいった。

「……何?」

 不可思議な現象でも目の当たりにしてしまったのだろうか。httpは、飛んでいったナイフを、その軌道をじっと見つめていた。

「俺のナイフは特別製でね。マナの吸収率が極めて高いんだ」

 明らかに力が働いていない方向へと進路を変えたナイフ達が、息を揃えて青い輝きを放ち始めた。

「魔術の発動条件は、何も詠唱だけじゃない。わざわざ魔法陣を描いてやるのも一つの手だ!」

 六芒星を描く点と点が、線によって結ばれていく。そして、その中央にいるのはhttpと名乗る少女だ。

「しっかりその身で受け止めろよ──スピカ!!」

 六つの先端から、導火線のように高濃度のマナが流れ出ていく。それらが全て繋がると、一気に中央に向かって収束を始めた。

 ──爆発も爆音もない、それこそ、星が瞬いているだけのような光を放ち、スピカは姿を消した。

 呆気ない終わり方だが、決して魔術が失敗に終わったわけではない。スピカという魔術は、最初からこういうものだったのだ。

「濃度の高いマナの圧力、熱、そして光……それらが一点に集まることで、いかなる防壁をも崩してしまう力となる──」

「何よ芹架。あんたもなかなかの読者じゃない!」

「ばっ……! こんな理論、すぐに声の大きい理系さんに否定されるに決まっていると思って覚えていただけよ! 叩かれて炎上した時に、その内容を覚えていなかったら全力で楽しめないでしょう!?」

「ドン引きレベルのクソ読者ね、あんた!?」

 こんな読者は嫌だランキングがあったら、いい順位までいきそうな悪質さだ。

「本人の前で切り札を批判するのは止めてくれないかな、お嬢さん方!! 俺もすっげー不安になってきたんだけれど!」

「安心して、ジュリアン。マナがいい感じに作用しているだけよ」

「マジ!? マナって奥が深いんだな!」

「私を無視するなっての! っての!」

「まだピンピンしているじゃない!?」

 スピカを食らって、かすり傷程度で済んでいるなんて普通じゃあり得ないことだ。だってこれは、王都の城を一撃で陥落させる程の威力を持っているはずなのだから──!

「ピンピン状態に戻ったと表現するのが正しいかしら! かしら!」

「戻ったってことは、またピエロの仕業か……! 面倒な相手ね!」

「ちょっと待て! そのピエロってやつは、斬った相手を新しくする能力者なんだろ? ということは、そいつもスピカの効果範囲の中にいたってことだよな!?」

「それもあるけれど、斬新の能力で傷を癒やすことができるって点も不自然じゃない?」

 傷を負った状態は、即ち古くなった状態だと判断されているのか……?

「ピエロを甘く見てもらっては困るわね! ふざけた男だけれど、実力だけは本物よ──」

 httpの口癖が──最後の数文字を繰り返す癖が、物理的にキャンセルされた。

「──では、私も甘く見ないでください」

 肉が裂ける音が、血が吹き出る音が、内臓が地面に落ちる音が、静かな世界に刺激を与えた。

 httpの頭部をがっちりと掴んだヴィヒレアは、数え切れない程の時空の歪みから、同数の武器を手の前に撃ち放っていた。

 次の瞬間には、愉快に動いていた唇も、荒く呼吸をしていた鼻も、得意気に笑っていた目も全てを操作していた脳も、等しく肉片となっていた。

 司令塔を失った胴体は、ドミノのように後ろへと倒れ込んだ。その際、首元から幾分かの血液が噴出する、極めて不快な音が鳴った。

「ヴィヒレア……?」

 顔、腕を、服を紅に染めた緑の少女が、首を回してこちらを向いた。

「どうしましたか、りりりさん?」

 その後、ヴィヒレアは全身でアタシと対面してきた。

 ヴィヒレアは、続きを話そうとしないアタシを不思議そうに見つめながら、手に残ったhttpの毛髪を取っては捨てている。

「これで、災厄は去りましたね」

 光を宿した瞳が、にっこりと微笑んだ。

 ずっと、無表情のままだったヴィヒレアが、人を殺して笑顔を浮かべた。

「りりりさん、芹架さん、それにルタイネさんも。ツキアカリ荘のために命を懸けてくれたこと、本当に感謝しています。ありがとうございました」

 人間なのに、機械よりも機械的に下げられる頭。再び上げられた顔は、人間よりも人間らしい笑顔を纏ったままだ。

 ずっと行動を共にしてきた仲間に抱く感情じゃないけれど、ずっと信じてきた友達に感じる思い出はなかったけれど、アタシは彼女に、今までに感じたことのない程の恐怖心を抱いていた。

「どうして、殺したの……?」

 くれぐれも刺激しないように、恐る恐る尋ねてみる。

「いっぱい殺されたからです。いっぱい殺されると思ったからです」

 ヴィヒレアは、透き通った瞳でアタシを見ていた。

「どうせ、誰かがやらねばならなかったことなのです。だったら、私がその十字架を背負った方がいい」

「……お嬢ちゃん、あの子は本当に人間なのかい?」

 激しい戦場を潜り抜け、幾多の死を目の当たりにしてきたジュリアンが、震えながらアタシにそう問い掛けてきた。

 ──そんなことを尋ねられても、答えに悩んでしまうだけだ。

 煎じ詰めれば、アタシはヴィヒレアのことが何一つ分からなくなってしまっていた。

「ともかく、これでもう戦う理由はなくなりました。ツキアカリ荘に帰るとしましょう」

 ヴィヒレアが近付いてくる。こちら側に出口があるのだから、至極当然のことだ。

「──ないで」

「何です?」

「それ以上、その子に近付かないで!!」

 芹架が、世界改竄を発動させながら大きな声で絶叫した。

 ヴィヒレアは、困惑しながらも静止した。

「確かに、少々手荒な真似をしてしまいました。ですが、別にこの手をあなた達にも向けようだなんて微塵も思っていないのですが……」

「いいわ、ヴィヒレア。一緒に帰りましょう」

「愛染りりり……!?」

「驚いたけれど、今でも震えは止まらないけれど、それでもヴィヒレアは、間違ったことはしていないでしょ? 悪の行いはしていないでしょ? httpは、惨殺されて当然のことをしたんだもの……」

 そう、これは正義の鉄槌。平和のための犠牲。必要悪。

 絶対そうだ。そうに違いない。そうに決まっている。

「……失望したわ、愛染雪木葉」

「え──?」

 今まで感じたどんな思いよりも大きな感情が、アタシの心を苛んだ。

 芹架は、世界改竄を止めて出口の方へと歩き始めた。

「ちょ、どういうことよ、芹架……?」

 彼女に近付くのが、途端に怖くなった。この手で触れるのが、急に恐ろしく感じられた。次は何を言われるのだろう。アタシの何がいけなかったのだろう。アタシは、芹架に嫌われてしまったのだろうか──?

 嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ! アタシを嫌わないで! 離れていかないで! そんな目で見ないで! 無視しないで拒否しないで受け入れてアタシを見て拒絶しないで愛して抱き締めて微笑みかけて──!

「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」

 許して。許してほしいの。許してください。

 芹架、芹架、芹架……!!

「っ……!? 皆さん、まだ終わっていませんわ!」

「httpちゃん、第三形態~!」

 最低最悪な瞬間に、眠っていた鉄龍が眼を開けた。

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