授けられた電脳

 女神に帰還を伝えると、一瞬だけ世界が光に包まれた。

 眩しさに目を閉じたのも束の間、アタシ達は別の空間──アリシアの部屋の中へと帰ってきていた。

「りりりさん……?」

 何の前触れもなくスケッチブックを開き始めたアタシを見て、ルタイネが小さく呟いた。

「いくわよ、芹架!」

 ルタイネに、言葉を返している時間はない。芹架が合図を送ってくるよりも先に、アタシは魔導書の描かれた用紙を空中へと放り投げていた。

 出現と同時に、自動で開かれるページ。それが止まると同時に、手を添えてやる。

「二節目は私に任せなさい!」

 隣まで移動してきた芹架が、緑の表紙をした魔導書に触れる。

「了解! 救済の時来たれり。響く鐘は女神の抱擁である──」

 最後の文字を言い終えるか言い終えないかといった時に、芹架は二節目の詠唱を開始した。

「浄化の風来たれり。喧騒は活力、静謐は浄化を与える──」

 だからアタシも、二人で一つの単語を音読しているように三節目を繋げた。

「生命の種来たれり。生まれたるは平和。安寧。未来。希望に満ちた花園が、今大地を覆う──」

 残された時間は僅か。きっと二秒も残っていないだろう。だが、それだけあれば十分だ!

「「祝福 《ブレッシング》──!」」

 鐘、風、花……『終焉の世界に革命を』に書かれていたのと同じ変化が、現実世界でも起こった。後は、アリシアの能力が封じられていれば完璧だ。

 波紋を残していた透明な盾が、跡形もなく消え去った。

 恐怖からか、ルタイネが目をぎゅっと瞑って首を引っ込めていた。

 しかし、彼女の身体が老いに蝕まれることはなかった。

「──何をしたのよ?」

 がくりと膝を付き、アリシアが絶望を口にした。その声色は、彼女に押し潰された花のように弱々しかった。

「これで終わりよ、退廃の少女」

 生きた心地がしなかったが、どうやらアタシは生きているらしい。芹架も、ヴィヒレアもルタイネも、皆息をしていたのだ。勿論“皆”には、アリシアだって含まれている。だってアタシ達は、アリシアを倒すための魔術で、アリツィアを倒した魔術で、アリシアを倒さずに、アリシアに勝ることができたのだから。

「あは、あはははは……!!」

 両手で顔を鷲掴みにしながら、アリシアは狂気の笑い声を上げた。

「あーっはっはっは!!」

 心の底から発せられた、とても大きな声だった。永遠に残り続けてもおかしくない、そんな笑い声だった。なのに世界は、それすらも完全に消してしまった。虚しさだけを残して。

「くだらない、くだらない、くだらない……私って、こんなにちっぽけな存在だったのね」

「……何がちっぽけよ。皆、あんたのことを見ていたじゃない。恐怖の眼差しだったけれどね」

「その私がちっぽけだって話をしているのよ、人間」

 それから、アリシアは何度か吹き出していた。自分自身を嘲笑っていたのだろう。

「奥へと進みなさい。そこにhttpがいるわ」

「http……?」

「今回の黒幕。あなた達の敵よ……楽しみね。私に勝ったあなた達が、私以上に退廃的な死を迎えるなんて──」

「お生憎様。アタシ達は、生きてここを出るわよ」

 たとえ相手がどれ程の悪人だろうと、アタシ達は負けたりしない。この勢いを保ったまま、黒幕だって倒してやる。

「だから、ほら──」

 アタシは、アリシアに手を差し伸べた。

 愚かで、意味不明な行動だったと、自分でも思う。周りだって、完全に言葉を失ってしまっている。でも、アタシはこの行動を後悔していない。正しかったって今でも信じている。

「……何よ?」

 警戒されるのも無理はない。判断を先送りにする気持ちも理解できる。むしろ、アリシアの方がまともだ。

「アタシ達の勇姿を、その目に焼き付けなさいって言っているのよ」

「……私を舐めないで」

 アリシアはアタシの手を払って、自分だけの力で立ち上がった。

「あなた達とは相容れない。関わらない。携わらない。永遠に分かり合わないわ」

「そう。それもまた、一つの考え方ね」

「でも──」

 フラレてしまった手を、引っ込めた手を、アリシアはギュッと握り締めてきた。

「ああ、温かい……これが、人間の温もりなのね──」

「……主導権を握りたい派の人間なわけね」

 不意を突かれたせいで、顔が紅潮してしまった。少し悔しい。

「って、あんた、オンオフができる能力を持っているんでしょ? だったら、人の手くらいいつでも握る機会があったんじゃ……?」

「触れられたとして、私に触れたいと思う人間なんて存在していると思う? 私は、近付くだけで時を進めてしまう能力者。退廃とまで呼ばれた少女なのよ?」

 ああ、そういうことか。その発想はなかった。

「でも、あんたは──アリシアは人間だわ。人間同士の触れ合いは普通のことでしょ?」

「……一度、脳を調べてもらった方がいいわね。いい病院を知っているわ」

「それって、アキハバラ中央病院って名前?」

 アリシアは、音もなく笑った。

「檻の向こうに隠し扉があるわ。さっさと勝つなり負けるなりしてきなさい」

 言われなくとも、そうするつもりだったよ。

 アタシは、視線をアリシアから他の三人へと移してこう発言する。

「お待たせ。それじゃ、決着を付けにいきましょうか」


 檻の中に立つと、壁に一本の縦筋が入って、自動ドアのように横へと滑っていった。

 開かれた世界には照明と呼べる光はなく、あるのは機械が放つ薄暗い輝きだけだった。

 その空間へと足を踏み入れると、ドアはすぐに壁となった。

「ようこそ、httpちゃんの素敵な研究所へ──!」

 スポットライトが、龍を模した巨大なロボットに腰掛ける少女を照らす。

「こうして、直接顔を見合わせるのは初めてよね! よね!」

 癖のある話し方から察するに、httpが黒幕であるというアリシアの言葉に間違いはなさそうだ。

「でもざんねーん。この初めてが、お前らの最後よ! よ!」

 パイロットが被っている、ビーグル犬のような帽子から覗く鮮やかな水色の髪。イルミネーションのように輝いている紅の瞳は活力に満ちており、とても大きい。

 驚いたのは、彼女の見た目だった。幼い喋り方をしていたので、きっと小学生くらいの子供なのだろうと勝手に思っていたのだが、httpの肉体は、どう見ても同年代くらいの成長をしていた。もしかしたら、アタシよりも発育がいいかもしれない。

 だがしかし、この人の前ではアタシとhttpの間に大きな差など存在していないのだった。

「子供が調子に乗ると、痛い目に遭うわよ」

 光坂芹架。容姿を含めた全てのステータスが高水準という神様に愛された人物の名前だ。彼女については、もう語る必要はないだろう。

「誰が子供かしら!? かしら!? 私はもう十八なのよ! なのよ!」

「まさかの年上!?」

 十八歳にもなってこの喋り方!? と、ダイレクトにツッコむのは無粋というものだ。聡明なアタシは、その辺をよく理解している。だから、遠回しに指摘するのだ。本題を隠して、あわよくば気付いてもらえたらいいなという程度に留めておくのがいい。

「……愛染りりり、今回ばかりはあなたに同情するわ」

「止めて! 余計に悲しくなるから!」

 芹架の気まずそうな瞳が、容赦なくアタシの心を抉ってくる。

「二人共、もうお話は十分でしょう。さっさとあの子を倒して、パーティしましょうよパーティ」

「……もしかして、ウキウキしているの?」

 視線を横に逸らすヴィヒレア。

 表情こそないが、彼女は案外分かりやすい性格をしているのかもしれない。

「ちょっと! http様を無視して話を進めないでくれるかしら!? かしら!?」

「全く進んでいないと思いますわ……」

「雑魚に話す権利はないわ! わ! 死にたくなければ大人しくしていることね! ね!」

 酷い言われようをされて、ルタイネはその場で縮こまってしまった。

 可哀想に、後で何か描いてあげるからね……

「で、http様は一体どれ程面白い話をしてくれるのかしら? わざわざ開和に割って入ってきたのだから、当然楽しませてくれるのよね? くっだらない内容だったら即燃やすから、熟考するように」

 芹架が、世界改竄を発動させた。こいつ、本気で燃やす気だ……

 httpは、上がりに上がったハードルに臆することなく、ドヤ顔を浮かべ続けている。

「いいわ、私の策謀を話してあげる。寝返りたくなったら、いつでも名乗り出なさいよね! よね!」

「誰もあなたの味方になんてならないわよ」

「言葉を選びなさい、一般人。もう御手洗から聞いていると思うけれど、昔、アキハバラで大火災が起きたのよ。のよ」

 病院の地下にいた能力者に爆発物を仕掛けて、一斉に爆破させたという話か。

「それを引き起こしたのは、他でもないこのhttp様なの! なの!」

 アタシ達が黙り込んでいると、httpは続きを語り始めた。

「爆弾を作ったのは私。御手洗に命令を下したのも私。何でそんなことをしたのかって? お金になるからよ! よ!」

「どうして、アキハバラの住民を殺めればお金が手に入るのですか?」

 ヴィヒレアの強く握られた拳からは、血液が流れ出していた。きっと、手のひらには傷一つ付いていないのだろう。だが、彼女が今にもhttpに飛び掛かりそうな状態であることはアタシにも何となく理解できた。

 httpは、落ち着いた口調で質問に答える。

「電脳都市アキハバラ──ここには、文明の機器が沢山あるわ。中でも、画期的な最新機器であるスマホは需要が高い。高価故に普及率はまだ低いけれど、どうせ持つなら最新型の方がいいでしょう? でしょう?」

「私は、どうしてアキハバラの住民を殺めればお金が手に入るのですかと聞いているのです」

「普及率が低いのは、あくまで底辺な周りの村や町だけ。しかし、高貴なるアキハバラはどうかしら? 今この都市で、まだスマホを持っていないのは部外者の絵描きと物書きだけじゃない! じゃない!」

 httpは、アタシと芹架を順番に指差した。

 どうやら、アタシ達の能力はもう割れてしまっているようだ。こちらは、常に無知の恐怖との戦いを強いられているというのに……!

「部外者共は、こぞってアキハバラにスマホを買いにくる。それはつまり、どういうことなのかしら? ここまで言えば、薄々答えが見えてきたんじゃない? じゃない?」

 スマホは、わざわざ外部から購入しにくる人がいる程アキハバラで普及している。モノを流行らせるためには、流行と呼べるくらいの供給が必要……アキハバラにスマホが溢れ返っているのは、httpの台詞によって明らかとなった。

「答え合わせよ。アキハバラには、バカみたいに売れる商品──スマホが大量に販売されているわ。その種類は様々で、新しいものもあれば型落ちしたものもある。当然、前者の方が高い値段売れるわよね? ね?」

 最新機器──つまり、後に出たスマホの方が高性能なのは当たり前のことであり、その分、価格が向上するのも至って普通のことだ……なのだが、一体全体それとこれとにどんな因果関係が存在しているというのか。

「私は、古きものを新しくする能力者と出会ったの。さすれば、次に取るべき行動は一つよね? よね?」

「スマホを新しくする……ということですの?」

 httpは、盛大な拍手で正解者を讃えた。

「アキハバラに存在する全てのスマホを最新のものとし、それを各国各都市各町各村に売り捌く! 人々は優越感と有能なパートナーを手に入れ、私は多額のお金を手にすることができる……完全完璧の絶対勝利計画だわ! だわ!」

 httpは自分に酔っているのか、はたまたお金に目が眩んでいるのか、蕩けるような顔で、そんな妄想を垂れ流していた。

「……そのために、アキハバラの人々を殺したと?」

「何事も効率が大事なの。 安くて早くて楽な選択肢があったら、誰しもそれを選ぶでしょ? でしょ?」

「ヴィヒレア、止まりなさい!」

 グッと足に力を込めたヴィヒレアを、自分でも驚く程の手際で制止させる。

 httpには、まだ聞くことがあるのだ。気持ちは理解できるが、ヴィヒレアにはもう少し堪えてもらわなければならない。

「あんたは、お金を手に入れて何をするつもりなの?」

「何でもよ! お金があれば、私は何だってできるもの! もの!」

「……貧しい国に寄付とかもするってこと?」

「それが、私のメリットとなるならね。ね」

 ……どこまでも利己的な考えを持った少女だ。

「もう一つ聞かせて。他に方法は思い付かなかったの?」

「現時点ではないわね。多くの人命を捧げただけあって、この手段は破格の効率を誇っているもの。もの」

 ──もう、言葉は不要だ。

 アタシは、暴れ牛から鎖を外すことに決めた。

「ヴィヒ──」

「最後にもう一つ。あなたの仲間は、後何人残っているのかしら?」

 芹架が、httpにそう問い掛けた。

「……アリシアを含めて三人かしら。言っても問題のないことだから答えたけれど、こんなことを聞いて何になるというのかしら? かしら?」

「特に何も。聞いただけよ」

「そう……なら、後は信念をぶつけ合うだけね! ね!」

 httpが指を鳴らすと、照明が次々と点灯して部屋の内装を明確なものとした。

 色を纏うは無数に並べられた液晶やキーボード。青い液体の中に人のようなものが入れられた、巨大な実験道具のようなもの……それらは、まるで魂を宿しているかのようにゆっくりと重い腰を上げ、身体を浮遊させた。

「何よこれ……」

 絶句したアタシに回答するかのように、httpが高らかに宣告する。

「命欲せば与えよう。力望めば授けよう。我に従え、機巧の兵士よ! これが私の、授けられた電脳 《フリーティング・ライフ》!」

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