終焉の世界に革命を

 一面を闇に覆われた空間で、何故か視認できるもの──それは、愛染雪木葉、光坂芹架、女神という三名の人間……と神だった。

 聖母のような優しい微笑みを浮かべた女神は、その容姿に合致した声色で話し始める。

「お久しぶりですね。愛染雪木葉さん、光坂芹架さん──」

 まるで、会うのを心待ちにしていたかのような──上京した子供が帰省してきた時の母親みたいな温かな声で、女神はアタシ達を迎え入れた。

「女神……!? 一体、何がどうなっているのよ!?」

 反面、子どもはいつだって冷静だ。

 常に両親を疑い、世界を疑い、自分を疑って生きている。

「私達は、退廃の少女アリシアと交戦していたはずよ。愛染りりりが何をしたのかは知らないけれど、こんなところで歓談を楽しんでいる余裕なんてないわ」

「──女神の間は、あなた達の世界の何倍もゆっくりとした時が流れています。なので、慌てる必要なんてありませんよ」

 女神の言葉を授かったアタシは途端に安心して、全身に込めていた力をふっと抜いた。

「して、一体全体何が起きているっていうの?」

 この空間についての疑問は、ある程度晴らすことができた。しかし、まだ本題は解決していない。

 アタシ達が、どうしてまたここに帰ってきてしまったのか。その理由を、何としても聞き出さなければならない。

 女神は答える。

「あなたが望んだからです」

 神というか、人間以上の存在は、どうも話が通じにくい節がある。

 魔法少女のマスコットも、世界最強の旅人も、質問したことだけを答えて、助けを求めてもヒントしか与えてくれない。

 アタシも創造主の端くれではあるから慣れっこだけれど、実際にやられると少し腹が立つ。

「……真っ黒のページを捲ったことは、何か関係あるの?」

 そんなやつには、懇切丁寧に一から十まで説明してやればいい。聞かれたことしか答えないというのは、裏を返せば聞かれたことは答えてくれるという意味なのだから。

「あのイラストが、引き金となりました」

 やはり、闇の絵が具現化したということだったか。

「アタシ達は、いつになったら戻れるの?」

「あなたが望んだ時にです」

 皆のところに戻る方法も教えてもらえたことだし、もう女神は放置でいいだろう。

 先程からムスッとしている芹架を、何とかしてやらねば。

「時間はたっぷりあるようだし、ゆっくりしていきましょ、芹架?」

「よくもまあ簡単に馴染んだものね。私が命を懸けて守ったものが僅かな命だったなんて、皮肉にも程があるわ」

「人間、時間さえあれば何かができるものよ」

 アタシが、何もない空間で発言すべき内容ではなかったと気付いたのは、全てを言い終えた後だった。

 芹架は大きな溜め息を吐いてから、諦めたように座り込んだ。

「はぁ、暇ね」

「そ、そうね……」

「パソコンとかないかしら? 執筆でもして、時間を潰したいんだけれど」

「貴重な時間を潰すつもり!?」

 もっと、やるべきこととかあるだろうに。アリシアを倒す方法を考えるとか──

「……いいこと閃いちゃった」

「マッドサイエンティストも正気に戻ってしまいそうな程悪い笑みを浮かべながら、愛染りりりは何を思い付いたというの?」

「いや、そこまで悪い顔はしていなかったと思うけれど……」

 一度の咳払いを挟んで、スケッチブックとペンを──世界創造の能力を、芹架に手渡す。

「……どういうつもり?」

 訝しげな瞳でこちらを見てくる芹架に、アタシの考えを伝える。

「執筆は、パソコンでやらなければいけないわけじゃないでしょ?」

「紙とペンでの執筆……そんなことをしたのは、愛染りりりと同じ年齢……こほん、小学生以来ね」

「アタシ高校生なんですけれど!?」

「はいはい。で、これがいいことなの? だとしたら、がっかりし過ぎて肩が地面に付いてしまいそうなんだけれど」

 アタシもバカではない。勿論、この話には続きがある。

「読者からの要望よ。退廃の少女アリシアに、終焉の能力に負けない主人公を書いて頂戴」

 芹架は目を丸くした。それから、感心するように、呆れるように微笑した。

「なるほど、そういうことね」

 紙と筆を得た作家は、暴走機関車のようなスピードで文字を記し出した。

 縦に流れる文字の雨は、数分で白の世界を埋め尽くした。

 芹架は次の世界を開いて、また大雨を降らす。誰も悲しませない、恵みの雨を。

 天才小説家光坂芹架の執筆風景は、圧巻の一言だった。

 とても迫力があって、神々しくて……芹架は、本当に新たなる世界を創造しているのだと実感した。

 イラストとして残しておきたい名シーンだったが、全てを芹架に授けてしまったアタシの両手には、何も残っていない。世界に色を与えることができない。ならせめて、心にだけは留めておこう。光坂芹架の、世界を救う物語を。

「……完成よ」

 額から汗を垂らしながら、芹架は満足げにスケッチブックを閉じた。

「お手並み拝見ね」

 早速読ませてもらおうと、スケッチブックに触れる。だが、芹架は決してスケッチブックを離そうとはしなかった。

「……何しているのよ?」

「……読むの?」

「当たり前じゃない」

 全国の三桁万人に物語を読ませた作家が、今更何を恥ずかしがっているのだろう。

「アリシアを倒す能力がほしかったんでしょう? だったら、別に読まなくたっていいじゃない!」

「あのね、小説っていうのは、誰かに読まれた瞬間に作品へと昇華するのよ。非公開のままだと、ただの妄想日記に過ぎないわ」

「そ、それはそうだけれど……これ、私のナマよ?」

 ……また誤解されそうな言い方を。

「生原稿ね! 早く読ませなさいよバカ!」

 頑なな芹架からスケッチブックをひったくり、彼女の世界に目を通す。


 ゆっくり流れる時の中で、長い時間を掛けて作り出された一つの作品。その内容は、一人の読者のためだけに書かれたものだった。

 魔導師アスベルは、この世に数名しかいない魔導書を著すことができる人物だった。

 見聞を広めるために世界を旅していた彼が今回訪れた場所は、無法で荒廃したイースという町だった。

 空すらも灰色に染め上げるイースには、常にゾンビが徘徊していた。

 人を襲う彼らに対抗するために、町の周囲には騎士団が集まっていた。

 騎士は町の中にも闊歩しており、ゾンビを見るや否や、彼らに斬りかかった。

 死んだゾンビの身体を担ぎ上げた騎士は、旅人であるアスベルに笑顔を向けて話し掛けた。

「ようこそイースへ。ゆっくりしていくといい」

  アスベルは戦慄した。何とかして、イースに平和を取り戻してやらねば。

 騎士が警備する宿の部屋を取ったアスベルは、人間達に聞き込みをし、死の町を作り上げた原因を探った。

 その結果、イースを恐怖に染め上げているのは、アリツィアという少女であると判明した。

 人を腐敗させ、思考をコントロールするという不思議な能力を持った彼女は、その力を、権力を用いてイースを支配していた。

 アリツィアに立ち向かう騎士も少なからず存在したが、彼らが勝利を手にすることは一度もなかった。

 強者の集いである騎士ですら敵わない──もはや、かのじょを破壊することは不可能だった。

 アスベルは、必死になってアリツィアを倒すための魔術を開発した。

 しかし、その作業はすぐに難航することになる。

 アスベルの有するあらゆる知識を使っても、アリツィアの能力には到底及ばなかったのだ。

 この町を救うことはできないのか──アスベルは、せめて記憶の中だけでもイースを生かしてあげようと、景色を見て回ることにした。

 美しかったであろう家々、美を失った水の神の像、盗みを働くために、元気よく駆け回る子供達……こんなものでも、ないよりはマシだ。

 一通り歩き終えたアスベルは、イースの中央にある広場で休憩することにした。

 薄汚れた木のベンチに座り込み、死の目前まで差し迫った町の様子と、己の無力さに肩を落とす。

 そんなアスベルに、無邪気な声が話し掛けてきた。

「どうしたの、お兄さん?」

 声の主は、アスベルよりも二回りくらい若い──十代前半くらいの幼い少女だった。

 自分のことをフレイヤと名乗った少女は、旅人に興味があるのか、アスベルに様々なことを問い掛けてきた。

 どうして旅をしようと思ったのか。訪れた中で、一番美しかったのはどの町か。危険はなかったのか。イースの現状をどう思うか……

 アスベルは、全てを正直に話した。勿論、イースが最も終焉に近い町であることも。

 フレイヤは、少しだけ寂しそうな顔をしたけれど、すぐに元気な女の子らしい笑顔を浮かべ直した。

 アスベルはフレイヤの優しさに、悲しみに寄り添うために、自分が行おうとしていることも語った。それが、実行できないでいる事実も含めて。

 フレイヤには、アスベルが何を悩んでいるのかが理解できなかった。

「一つひとつが弱いのなら、いっぱい重ねて発動させればいいんじゃん」

 アスベルの頭は真っ白になった。全てを白紙に戻したのだ。

 詠唱が一つでないといけないなんてルールはない。魔術を一つずつ発動させなければいけないなんて決まりもない。

 複数の詠唱を繋げて、一つの大きな力に変えればよかったのだ。

 まさか、己の凝り固まった先入観と経験談が枷となっていただなんて、思いもよらなかった。

 ずっと柔軟に綴ってきた魔術が、実はダイヤモンドのように硬いものだったとは知らなかった。

 アスベルがフレイヤに感謝の言葉を述べると、彼女は「絶対にイースを救ってね!」と明るく発言した。

 フレイヤはまだ希望を捨てていない。だったら、僕はそれを守ると誓おう。奪われないように、奪われるよりも先に、僕がフレイヤを、イースを救う。

 不屈の決意を胸に秘め、アスベルはすぐに宿へと戻った。

 筆を手に取り、忘れないうちに必要な魔術を重ね合わせる。

「ようやく完成した……!」

 三つの詠唱に呼応して、三の魔術が一度に発動する。前代未聞の特大魔術が今、命を授かった。

 その事実が嬉しくて、感動して、アスベルはベッドの上で転げ回った。その直後、部屋の扉が、吹き飛びそうな勢いで開かれた。

「アリツィアが動き始めた……!」

 飛び起きたアスベルの耳に、衝撃的な言葉が飛び込んでくる。

「場所は──中央広場だ!」

 風よりも早く走った。時よりも先に向かった。それでも、アスベルは間に合わなかった。

 アリツィアの目の前に立っていたフレイヤは、瞳から涙を流しながら、それでもなお笑いながら、アスベルに言葉を託した。

「イースを……救って……!」

 次の瞬間、フレイヤの意識は失われた。

 素敵な笑顔だけでなく、言葉すらもなくしたフレイヤの姿を見て、アスベルは血が出る程唇を噛み締めた。

 鷹のようにアリツィアを睨み、マナの力で浮遊させた三冊の魔導書を開く。

 孔雀の羽のような広がりを見せながら捲れる紙は、とあるページでぴたりと静止した。

「救済の時来たれり。響く鐘は女神の抱擁である──」

 死霊をあるべき姿に変え、生物の傷を癒す魔術。

「浄化の風来たれり。喧騒は活力、静謐は浄化を与える──」

 毒などの生物に仇なす物質を浄め、効力を失わせる魔術。

「生命の種来たれり。生まれたるは平和。安寧。未来。希望に満ちた花園が、今大地を覆う──」

 人を、空気を、大地を豊かにし、幸福を与える神格魔術。

 これら三種の魔術により、イースは鐘の音と、暖かな風と、咲き誇る花に包まれた。

 同時に、血痕やゾンビ、アリツィアの能力は、善なる存在に押し潰されてしまった。

 そう。この魔術は、ここまでで一つなのだ。ここまでやって、初めて終わりを迎えるのだ。

 だから、最後にはその名を呼んであげなければならない。

「祝福 《ブレッシング》──!」

 こうして、アスベルは見事アリツィアの魔の手からイースを守り抜いたのだった。

 大切なものと引き換えに。


 アタシの読解力で把握できた内容は、こんな感じだ。

「……どうだった?」

 拾われたばかりの子犬のような顔で、芹架はそう質問してきた。

「……完璧よ!」

 いくら光坂芹架先生と言えど、ほんの数時間でここまでの作品を仕上げてくるとは思わなかった。

 文字数も構成も、短編小説のコンテストに応募していい水準まで達している。

 そして何より、是非ともイラストを描かせていただきたいと心の底から思った。

 静かに胸を撫で下ろした芹架は、大の字で横になった。

「ここまで不安定な状態で執筆をしたのは初めてよ。もう二度としたくないわね」

「本当にお疲れ様。ところで、この作品の名前は何なの?」

 読者ができただけでは、まだ完全な作品とは言えない。神による命名が行われてこその小説だ。

「そうね……『終焉の世界に革命を』──なんてどうかしら?」

 世紀末な終焉の町イースを訪れた旅人アスベル。彼が、イースの支配者であるアリツィアを倒す物語……

「そのままじゃない……でも、この作品には、それでいいのかもしれないわね」

「でしょう? それじゃ、早速魔導書を描いてもらおうかしら」

「……え?」

「どうしてそこで惚けた顔をするのよ。アリシアを倒すためには、三冊の魔導書が必要に決まっているじゃない」

 ……ごもっともだ。

「世界創造に細かい設定を反映するためには、補足説明が必要なんだったわよね?」

 以前描いた家と世界樹の絵が具現化しなかった原因の一つがこれだ。

 間取りのない家はただの箱であり、世界樹はただの木。そこに、マテリアーテルのような設定を書き加えて、初めて召喚することができる。

 対して、ただの箱や木を出現させる方法は至ってシンプルだ。描いてページを破る。たった二つの工程で終了する。

 では、何故あの時、家が箱として、世界樹が木として登場しなかったのか。その理由は、もう一つの原因にあった。

 描いたイラストが、世界創造を発動させた場所よりも大きな面積を有していた場合、その効力は失われる。

 家と世界樹が、世界樹の内部より巨大なことは明白だ。故に、小さなマテリアーテルだけが外の空気を吸うことができた。

「この魔導書、実は深ーい設定があるのよー」

「……嫌な予感が」

「イラストレーターの愛染りりりさんも、一本くらい小説を書いてみたいわよね?」

「設定で小説一本分!?」

 流石に詰め込みすぎだ! 現存する魔導書ですら、そこまでの思いは込められていないと声を大にして言える!

「アリシアを倒したいんでしょう?」

「……それはそうだけれど」

「ふふ、だったら諦めなさい」

 そよ風のような時の流れの中で、永遠にも思える時間を使って設定を書き込む作業……アタシは、小説家の大変さと狂気を身を以て感じることとなった。

「──ところでこの魔術、汎用性低すぎない? 設定が緻密過ぎて、もう二度と使えない可能性が高いと思うんだけれど」

「心配ご無用。あなたが書いた設定のほとんどが不要なものだから」

「……謀ったな、外道め!!」

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