白き衣を纏いし王子様
悪に染まるのが夢だった。
皆で夜遅くまで騒いで、バカやって……やかましくバイクを乗り回すのが夢だった。
とどの詰まり、
世間の目という名のインクにも染まらず、完全なる闇にも抗う。何色でもない
ヴァルは、よく
まだ綺麗だった頃のアキハバラの道を、まるで神にでもなったかのように、堂々と駆け抜けていたのだ。
当然、両親には叱られた。血の繋がっていないメイド達にも、怒鳴られて、抱き締められて、心配させた。
自慢ではないが、
幼い頃からいい子ちゃんの皮を被せられて、身の回りにあった悪属性を持つものは、徹底的に排除させられていたのだ。
当時は、
両親は言った。「もう二度と娘に関わるんじゃない」と。
ヴァルは、高らかに否定した。盛大に、ひけらかすように、己の行いを正当化した。
憤慨する家族をよそに、
それからというもの、
鉄の馬に乗るのは勿論のこと、買い食いをしたり、ヴァルの大袈裟な魔術に感動したりと、お屋敷に閉じ込められていた時には考えもしなかった刺激が、ここには沢山あった。
──今から一年前に、アキハバラで大火災が発生した。
あの惨劇は、火の海なんて生易しいものではない。地中から、地獄がよじ登ってきたと
その時も、
押し寄せる炎の津波から、鉄の馬は一所懸命逃走した。
なのに、
前からも、火が迫ってきていたのだ。
背水の陣──背炎の陣の状況に陥った時、ヴァルはとんでもないことをしでかした。
それは──
これは、自分が覚悟を決める前に見たヴァーレの過去の映像だった。
わたくしことルタイネの能力は、近くにいる人の過去を視ること。
一見便利そうにも見えるこの能力だが、実は絶望的なまでに実用性がない。
まず、この能力が発動すると、保有しているマナが完全に枯渇してしまう。つまり、マナ消費量が一〇〇%ということだ。
次の欠点は、発動が自動だということ。
自分のマナが満タンになったと同時に、能力が発動してしまうのだ。
最後の弱点は、対象を選べないことにある。『近くにいる』に分類される人の中から、ランダムに対象が選ばれてしまうのだ。
今回は、ヴァーレが当選したようで、脳内には彼女の過去が、最も大切にしている記憶が放映された。
ヴァーレが選ばれたのは、きっと偶然なのだろう。そう分かってはいても、これは必然であったと思えてしまう。
我が姉ヴァル。彼女は、ヴァーレという少女と過ごした時間を、嬉しそうに話してくれた。
「お姉様……」
いつか、ヴァーレに会った時に、そう呼びたいと思っていた。
きっかけは、ヴァルの些細な一言だったけれど、それはこの胸の内で大きく膨れ上がってしまっていた。
「ありがとう、ルタイネ。あなたのおかげよ」
目の前に佇んでいる白い少女を、強く睨む。
少女は、怖じ気付く気配もなく、ご機嫌な様子で会話を続けた。
「あなたのおかげで、ツキアカリ荘の場所が特定できたわ」
「……どういうことですの?」
ロリポップキャンディを口から出して、退廃の少女と並んで歩いていた少年が、苛立ちながらその回答をする。
「お前の持っていたスマホは、位置情報がオンになっていたんだよ」
位置情報……? そんな話、一言も聞いていない。
「あなたはツキアカリ荘に逃げ、あろうことか滞在してしまった。してしまったから、あそこの連中は全滅するのよ」
過程をすっ飛ばした大胆な解説ではあったが、それは同時に、驚く程簡潔な説明でもあった。
その単純な話は、あまり頭がよくない自分にも考えを及ばせた。気付きたくなかった事実に、気付かされてしまった。
「そんな、まさか……!」
このスマホの所有者は、御手洗院長だ。加えて、ツキアカリ荘を訪ねるよう指示したのも彼だった。
スマホの着信音で、離れていた意識が中へと戻ってきた。
画面に表示されていたのは、誰よりも信頼していた人の名前だった。
目の前に爆弾がいることも忘れて、わたくしは通話を繋げた。
「嘘、嘘ですわよね、御手洗院長!?」
何がとは言わなかったし、彼が聞いてくることもなかった。話は、伝わっていたのだ。
『その様子だと、もうアリシアから僕のことを聞かされたんだね? ならば答えよう。真であると』
「そんな……!」
『僕は、最初から君を利用していたんだ。君が僕のところを──アキハバラ中央病院に避難してきた時から』
怖がるわたくしの頭を撫でてくれたことも、涙を拭ってくれたことも、温かいスープを用意してくれたことも……全ては、わたくしを信用させるためだけに用意された台本だったと、彼は言うのだろうか。
『全ては夢のため。願望のため。アリシアを檻から解き放ったのも、それが理由だよ』
思えば、病院の関係者以外に、病院の地下に閉じ込められていたアリシアを解放できる人間はいない。関係者以外立ち入り禁止の地下に、入ることはできないのだ。
アリシアが地に出たのは──都市にゾンビが徘徊し始めたのは、大火災の後。
あの事故は丑三つ時に発生したため、医者も大勢亡くなった。
仮に生き延びられたとしても、アリシアに出会ったら最後だ。
火災の被害が少ない即ち、建物が建物として機能している地域にあって、長らく安全圏と呼ばれていた場所。加えて、退廃の少女を解放できるところ。そんなの、アキハバラ中央病院しかないではないか。
──こんな穴だらけの謎、冷静になれば、一瞬でも御手洗院長を疑っていれば、すぐにでも気が付くことができたはずだ。
そうしなかったのは、自分が素直過ぎたからだ。
──ヴァルならきっと、もっと上手くやれていた。
考えてはいけないことを、わたくしは考えてしまっていた。
『アリシア、ルタイネを連れてきてくれ』
「私に命令をしないでもらえるかしら?」
御手洗院長に歯向かいながらも、アリシアと少年はこちらへと近付いてくる。
差し伸べられるは白でも黒でもない、灰色の手。この手は、天国から伸びているのか、はたまた地獄へと誘うのか……
裏があったとはいえ、ここまで面倒を見てくれた御手洗院長と、味方であることは間違いないけれど、出会って間もないツキアカリ荘。
後者を選ぶべきだと分かっていても、この脳は悩み、腕はアリシアの手に触れようとしていた。
結末から述べると、わたくしは思い留まることができた。
右方上空から飛来する小さな小さな弾丸が、アリシアの脳天目掛けて直進する。
着弾するよりも先に、これがイネンの放ったスナイパーライフルの弾であることを頭脳は理解していた。
そして、ルタイネはルタイネにこう囁いた。
信じるべきなのはツキアカリ荘だ、と。
「読めてんだよ!」
長い黒髪の少年は、ニッと笑ってアリシアと銃弾の間に割って入った。次の瞬間、少年に鉄の塊が直撃した。
「撃っていいのは、撃たれる覚悟のあるやつだけだぜ?」
とあるハードボイルド小説の探偵が言った台詞を、少年はここぞというタイミングで言い放った。
わたくしは、瞬きをした。光や音に驚いたからではなく、ただ、いつもやっていることをやったまでだ。
そんな僅かな時間の間に、一体何が起きたのだろう。天地でもひっくり返ったのだろうか。いや、ひっくり返ったのは銃弾だ。少年の方に先を向けていた鉛弾が、鏡の世界のように背中合わせの向きになっていたのだ。
弾丸は走る。
──数秒の間、辺りは静寂に支配された。
「さて、気を取り直して、黄色いお姫様をお城へとご案内して差し上げましょう──」
この一発以降、次の攻撃が飛んでくることはなかった。
院内は、とても静かだった。患者がマナーを守っているからではなく、人がわたくしと御手洗院長しかいなかったからだ。
御手洗院長は、柱にわたくしの身体を縛り付けて、自分は椅子に座って無糖のコーヒーを堪能していた。
喉を鳴らし、一気に全部のコーヒーを飲み干した御手洗院長は、口の横から流れる茶色い液体を真っ白な袖で拭って言った。
「こうして対面するのは、あの日以来だね」
あの日とは、わたくしが発信機として利用された日のことを指す。
「君は真面目で正直だったから、利用するのはとても簡単だったよ」
やっぱり、わたくしはこの人に騙されていたのか。
今は、この状況よりもその事実が本当に悲しかった。とても悔しかった。
「しかし、あいつらもあいつらだよ。黄色は危険信号だというのに、こうも安々と受け入れてしまうとは。愚かにも程がある」
「……あの人達のことを悪く言うのは止めてくださいまし」
「情が移ったかい? それは悲しいことだ。何故なら僕らは、これからツキアカリ荘の住民を殺してしまわないといけないのだから」
「どうして、生き残った人間同士で争うんですの?」
排除すべき敵は、人間ではないだろう。人間が人間を殺して何になる? ただでさえ、大火災で多くの命が失われてしまったのに、この人はまだ……!
「生き残ったことが、既に誤算なんだよ」
誤算……? 御手洗院長は、何を計算して、間違えたのだろう。
それに、人が生き延びたという、本当だったら喜ぶべきことが誤りとはどういう……?
「いい顔だ、とても探究心に溢れている。そんなルタイネに免じて、全てを話してあげよう」
これから語られる物語は、真実を根本から覆す衝撃的な告白だということを、この時のわたくしはまるで理解していなかった。
「あの大火災は、事故なんかじゃない。正しくは事件だ」
「謎の爆発事故だって、皆言っていたではありませんか!」
「メディアの話を簡単に信じるんじゃない。だって、その筋書きの発信源は僕なんだぞ?」
……頭がこんがらがってきた。
「箱入り娘のルタイネには、少し難しすぎたかな? では、簡単に、分かりやすく教えてあげよう。あの火災を起こしたのは僕だ」
頭は、こんがらがることすら止めてしまった。
「君は、ここアキハバラ中央病院の地下を訪れたことがあるだろう? その時のことを、よーく思い出してみるんだ」
目を閉じ、強引に脳を回転させる。全神経を集中させて、考えることだけを行う。
鉄のタイルが敷き詰められた床、同様の物質で作られた壁。そこには、等間隔で金属の扉があった気がする。
白く塗装された天井には、蛍光灯が幾つも並んでいた。文字通り、無数に並んでいた。
端が見えない程、地下が広かったからだ。アキハバラ中央病院の地下は、この世に存在するどの建物よりも、ずっとずっと大きかったのだ。
その大きさと釣り合う、門のように聳え立つ鉄の扉もあった。
ボタンを押してそこを開くと、一面ガラス張りの部屋に出た。
更にそのガラスの内には鉄格子があって、中に退廃の少女が囚われていた。
この目が見た地下の光景は、それくらいだったはずだ。
「さて、ルタイネ、答え合わせの時間だ。僕が、アキハバラ全体を燃やせたのは何故だと思う?」
床……違う。壁……違う。蛍光灯も、鉄の扉も、ガラスも退廃の少女も違う! 答えはこれだ。
「地下は──電脳都市アキハバラの地中全域に広がっている……?」
御手洗院長は、サーカスを見終えた観客のように大きな拍手をわたくしのためにしてくれた。
「ブラボー! 後は、地下に爆弾となるものを仕掛けるだけでいい。どうやって仕掛けたかって? 簡単なことさ、
彼の話は、何もかもが狂気に満ちていた。本当に、物語を語っているだけであると錯覚してしまうくらいに。そうあってほしいと願ってしまう程に。
「先程も述べたが、このやり方は
アキハバラを徘徊するゾンビは、大火災を生き延びた人間だった。不幸を乗り越えた、幸運なはずの人達だった。過酷を乗り越えて、未来を生きる予定の強者だった。
その中には、子を持つ母がいて、苦労して勝利を勝ち取った若者がいて、そして、
それを、その人達を、この男は──この悪魔は踏み躙ったのだ。
「絶対に……許しませんわ!!」
もう、彼に愛情はなかった。信頼も信用も失った。あるのは、生まれて初めて感じた殺意だけだった。
「今更遅いんだよ、ルタイネ。無力で非力な君には、どうすることもできない。ああ、一つだけ、か弱き乙女にもできることがあったね。王子様がやってくるのを待つという、甘々でメルヘンチックな妄想をさぁ!!」
「妄想じゃないわよ──!」
変形した鉄の馬に跨った、白き衣を纏った王子様が、爆音と共に魔王の城へと突入してきた。
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