道化の奇術師

 祈りが届いたとは思っていないが、アリシアはアキハバラ中央病院内に留まったままだった。

 このため、アタシ達は戦力の補給──体力の回復に専念することができた。

「皆揃ったわね」

 人一倍気合の入っているヴァーレが、昨日に引き続いて指揮を執るようだ。

「心配する必要はないわ。アタシが指示した通りに動けば、この作戦は必ず成功する」

「油断は禁物だぜ、ヴァーレちゃん。相手はあの退廃の少女だ」

「油断しちゃいけないのは、アタシじゃなくて皆の方なんだけれど……まあ、忠告ありがとう、トウカ」

「どう致しまして、騎士様」

 集中しているのか、それとも気が緩んでいるのか。どちらにせよ、これ以上の雑談は行われなかった。

 しばしの沈黙の後、それを裂くようにヴァーレが叫ぶ。

「死ぬことは許さないわ! 少しでも危険を感じたなら、すぐに撤退し、連絡を入れること! 作戦開始!!」

 火蓋は切られた。戦士達は持ち場への移動を始め、交戦の用意を進める。

「二人は、まだスマホを持っていないんだったわよね?」

「それを入手するために、ここにきたんだもの」

「じゃあ、アタシが走らないといけなくなった時には、二人はツキアカリ荘に戻りなさい。お客様には、気持ちよく帰ってもらいたいし」

 そのためには、アタシ達の生存だけではなく、ツキアカリ荘の全員が生き延びなければならない。ヴァーレは、そのことに気が付いているのだろうか。

「指揮官様のご命令とあらば、従わないわけにはいかないわね。愛染りりりもそう思うでしょう?」

「ええ、アタシも異論はないわ」

「……いい子でいてくれてありがとね」

「本当のいい子は、ツキアカリ荘の大家さんなんじゃないの?」

 勿論、こんな事態でも顔一つ見せない大家に対する皮肉だ。しかし、部屋に閉じ籠もることが、必ずしも悪であるとは限らないのもまた事実だった。

 ヴァーレの信念的には、今となってはどこよりも安全なツキアカリ荘の中にいてもらった方が、きっと戦いもやりやすいだろう。お客様自ら危険を冒されるなんて、もてなす側からしたら堪ったものではない。

「大家は、いい子なんかじゃないわよ。会ってみれば分かるわ」

「どうすれば会えるのかしら?」

「……うん、無理ね」

 筋金入りの引き籠もりが持つ意志は、そうでないものと比べて強固なことが多い。少なくともアイツは、ギネス級の頑固さをしていた。動かざること山の如しだ。

 芹架達と一緒に他愛のない話をしていると、突然ヴァーレのスマホが唸り声を上げた。

 ヴァーレがそれを手に取り、画面に触れると、そこからイネンの声が聞こえてきた。

 その声は希望を纏っており、絶望を呈していた。

『ヴァーレか? アリシアが動き始めた! このままでは、ルタイネが目標地点びょういんとは違う場所で鉢合わせすることになるぞ!」

「このタイミングで!? イネンは、そのまま監視を続けて! 少し様子見をするわ!」

 スマホとヴァーレの声を聞いて、アタシは芹架に質問をする。

「ねぇ、芹架はこの状況をどう見る?」

「ラノベみたいなタイミングで、事態が進行したと感じたわ」

「アタシ達は、誰かのシナリオの上を歩かされている可能性があるわね」

「その誰かが、私でないことは確かよ」

 ナイス作家ジョーク。芹架が神の立場となったら、アタシを酷い目に遭わせるだけの誰得小説を書き上げることだろう。

 正反対であるアタシと芹架の意見が合致してしまったので、その可能性は限りなくゼロに近付いてしまったわけだが、万に一つの確率でこれが杞憂である場合も存在しないわけではない。

 とは言え、確証がないことに変わりない。

 それに、変に不安を与えると、円滑な作戦実行に支障を来すかもしれない。今は踊らされておこう。

「ヴァーレ、作戦に変更はある?」

「……待機地点を数メートル前進させるわ」

「りょーかい」

 行けども行けども代わり映えしない風景を横目に、アタシ達三人は、二〇メートル程前に進んだ。

「ビルとビルの間って、とても魅力的だと思わない?」

 同じような景色にも、異なる部分は存在する。

 人間には全く同じものなど作れはしないので、当然のことだ。

 芹架は、その部分──人によって作られた人の手が入らない空間を見つめながら、アタシにそんなことを聞いてきた。

「何よ芹架、藪から棒に」

「人通りがなく、薄汚い。おまけに暗いあの隙間に、愛染りりりが一人で入っていったら……ああ、十八禁小説が書けそうだわ!」

「くっだらない話をするんじゃないわよ、バーカ」

 アタシと芹架のやり取りを聞いていたヴァーレは、溜め込んでいた緊張を全て吐き出して笑った。

「ぷっ、あははは! これが俗に言う夫婦漫才ってやつなのね!」

「夫婦でも漫才でもないんですけれど!?」

「ご、ごめんごめん。でも、面白かったのは本当よ」

 ヴァーレは、笑い過ぎて流れてきた涙を指で拭った。

「お笑い話はそこまでよ」

「芹架が持ち掛けてきた話なんですけれどね!?」

「静かに。ただじっと、魅惑の空間を睨み付けていなさい」

 ふざけているのかとも思ったが、どうも違うらしい。

 真剣に、ただ真っ直ぐに、芹架はその地点を見ていた。

「……どうして気付かれてしまったのでしょう」

「人……!?」

 黒のシルクハット、満面の笑みを続ける顔、それに燕尾服。白の手袋に握られた杖……背の高い彼を一言で表現するとしたら、奇術師とアタシは述べる。

「ワタクシはピエロ。道化にございます」

 ピエロは帽子を脱ぎ、足を揃えてお辞儀をした。

 それから、シルクハットを被り直して、両手を大きく横に伸ばして次のように発言した。

「今宵のお客様は、美しい百合の花三輪! 不束者ではありますが、このピエロめが精一杯愉しませて差し上げましょう!」

「今は朝よ?」

「ピエロの格好をしていないじゃない」

「今はそれどころじゃないから、後にしてもらえない?」

 ヴァーレ、芹架、アタシに正論を述べられたピエロは、困ったように笑顔を強張らせた。

 如何なる時でも笑顔を守り続けている点は、道化を自称しているだけはある。

「最初のマジックは人体切断! このステッキに仕込まれた刃にて、可憐な花を摘み取ってみせましょう!」

 ステッキから細い牙を露出させたピエロは、それを振り回して己の技術をひけらかした。

「ワタクシの能力は斬新ですよ?」

 ……あっ、これから戦闘が始まるのか。

「芹架、ヴァーレ、準備はいい?」

「能力的に、準備はこれからよ、愛染りりり。でも、準備はできているわ」

「閉所での戦闘は超苦手なのよねー……どうにかして、アタシが走りやすいところにあの男を移動させて頂戴」

「……また難しいことを」

 芹架もヴァーレも、即効性のある能力者ではない。だから、アタシがその尻拭いをする必要がある。

「カミラ、アタシ達を守ることを優先しつつ、あの男を牽制して!」

 今の状況は、ゲームで言えば、魔法使い二人を前線に出しているに等しい。こんな時に優先してすべきことは、守りを固めることだろう。

「過労死しちゃうよー……」

 苦言を呈しながらも、カミラは召喚に応じた。

「あ、でもボク、病院で死んじゃったような……」

 ……前回の召喚時の記憶も、ちゃんと保有しているらしい。

 さて、次のフェーズに移行しよう。

 守りを固められたならば、次は攻めだ。

 正直、素人がやっていいことではないと思うのだが、パーティがパーティなので、アタシが前線で戦わなければならない。

「聖剣マテリアーテル!」

 ここでは、一撃の重さよりも取り回しの容易さを重視する。となれば、活躍するのは、一般的な剣の形状をしたマテリアーテルだ。

 豊富な属性変化によって、様々な環境に対応することができる汎用性特化の聖剣は、困ったらこれといった一品に仕上がっている。

 今回は芹架の援護が期待できるため、アタシは時間稼ぎを行えばいい。そんな時には青のカードリッジだ!

「いい判断だとは思うけれど、くれぐれも凍らせる場所は考えなさいね?」

「分かっているわよ!」

 目の前で転倒事故を起こされても困るので、ヴァーレを走らせる道だけは凍結させてはいけない。流石のアタシも、その程度のことは理解している。

「準備は整いましたか?」

 ピエロは、律儀にも戦闘準備が終わるのを待っていてくれていたようだ。こいつ、本当に戦う気があるのだろうか……

「バッチリよ。どこからでも掛かってきなさい!」

「左様にございますか。では……」

 ピエロは、細い脚をバネのように使って、イノシシのように突っ込んできた。

「カミラ!」

「はいはーい」

 盾を構えたカミラは、サッとアタシとピエロの間に割って入ってきた。

「おっと、これは危ないですねぇ!」

 素早い判断で、ピエロが攻めるのを止めて後退した。

「守る必要はなくなったから、次は牽制だね」

 カミラは、盾に秘められた赤きマナを伸ばし、それにピエロを襲わせた。

「何ですか、これは!?」

 横に跳躍しながら、ピエロは驚愕と困惑の声を漏らした。

 盾から飛び出る得体の知れない赤い腕──今更だが、この不気味さは敵キャラに相応しいものだとアタシは思った。

「曲がるんだなー、これが」

 腕は腕でも、人間のそれとは勝手が違う。所詮は腕を模したマナなので、方向転換は自由自在なのだ。

「恐ろしい! 恐ろしいですぞぉー!」

 逃げ惑う大の大人を見ていると、何だか悲しい気分になってくる。

「……なーんちゃって、というやつですね」

 子供であるアタシは、大人の悪巧みを微塵も理解できていなかった。

 執筆をする芹架との距離を極限まで詰めたピエロは、鋭く向きを変えて彼女に襲い掛かった。

「“穢れ亡き光よ、道を示せ──光の矢、光の雨 《レイ・レイン》”!」

 対象の頭上に出現した魔法陣から、滝のように光線を降り注がせる初級魔術……その威力とマナの消費量は、初級の名に相応しくない程高い。

「くっ、分が悪いですね……!」

 またもや後退して難を逃れたピエロは、袖に隠した数枚のトランプを芹架目掛けて放った。

「させないわ!」

 すかさずそれを、アタシがマテリアーテルで斬り落とす。

「やるじゃない、愛染りりり!」

「お互い様よ!」

「そしてボクの魔の手が迫るー」

 ピエロの回避方法は、完全に誤算だった。

 迫り来る脅威を、完全に度外視していたからだ。

「やむを得ませんねぇ!」

 ピエロは、ステッキでマナの腕を両断した。腕は二つに分かれ、手のひらの方が消失──しなかった。

 アイツの設定資料には、切り離されたマナは空気中に分散すると書かれていたはずだ。一体どうなっている……!?

「何……これ……?」

 アタシは、設定を無視した攻撃──切っても形を保ち続けるマナの腕に驚いたのではない。マナの腕が、透明になったことに対して目を見開いたのだ。

「五分経過。時間稼ぎはこのくらいでいいでしょう──」

 トリックの種明かしすらせずに、ピエロは影の方へと走り去っていった。

「ボクの努力が、勝利の証が……まっさらになっちゃったんだけれど」

 理由を尋ねられても、そんな目で見られても、アタシには何も答えられない。何も話せることがない。アタシも、カミラと同じ思いを抱いているのだから。

「一度、ボクを帰してくれないかな……」

「……分かったわ。ありがとう、カミラ」

 アタシの許可によって、カミラは座に帰した。

 今から新しく彼女を描くのは難しいため、できればここに留まってほしかったのだが、無理強いはできない。そんな権限は、アタシにはない。

「突然の襲撃に、時間稼ぎという発言……雲行きが怪しくなってきたわね」

 ヴァーレの言う通り、この戦場は何かがおかしい。どこかに見落としがあるのではないか……?

「何の時間を稼いだっていうのかしらね、あの男は」

「そもそも、アタシ達には、あの道化が誰の味方なのかすら分かっていないわ」

「イネンが無反応のうちは、様子見を続けるしかないわ。気を抜かずに、気負わずにいきましょ?」

 流れるばかりの空を見上げ、遠くの、近くの仲間を思う。皆の無事を願う。

 無力な人間にできることなんて、その程度だ。

「あら……?」

 またもや、ヴァーレのスマホが震え始めた。相手はイネンだ。

「どうしたの、イネン?」

『退廃の少女を捕捉した。射撃の許可を乞う』

「許可するわ。確実に仕留めなさい」

『了解。一応伝えておくが、退廃の少女の真横に、十代前半と見られる少年──少女か? が、いる。注意されたい』

 空間が途切れるような音を立てて、通話は終了した。

「ちょっと、イネン!? もう、せっかちなんだから……!」

 退廃の少女の側に人間……?

 そんなところに人がいたら、彼女は能力を発動できなくなるのではないだろうか?

 考えられるのは、能力を発動させる気はないという意思表示。つまり、対談の要請。

 今? どこで? 何の目的があって?

 分からない。アリシアの考えが、まるで読めない。

「……ルタイネを迎えにいくべきじゃない?」

 考えるよりも先に、言葉が漏れた。

 それは、アタシの不安が絶頂に達したということを意味していた。

「同感ね。たとえ何もなかったとしても、何もなかったという事実が手に入るだけで儲けものだわ。今は、作戦の成功よりも、何もなかったという事実がほしい──」

「……だったら、二人はツキアカリ荘に戻りなさい。その行動が、あなた達の意志であると受け取らせてもらうわ」

 横目で、芹架の顔を見る。芹架もまた、アタシを見ていた。

 こうなれば、もう何も言う必要はない。

 アタシと芹架は正反対であると同時に、同じだったから──

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