新生と終焉

 二度のノックの後、トウカは集会所へと続く扉を開けた。

「おお、トウカじゃないか!」

 アイマスクを装着したままのイネンが、仲間との再開を喜びながら出迎えてくれた。

「新人の二人もいるようだな。無事で何よりだ」

 はっきり言って、異様な光景だった。

 見えないはずのものが見えていることも、地球外生命体又は近未来のアンドロイドのようにも見えるアイマスクも、手放しで受け入れられるものではない。

 なのに、トウカは微塵も驚きを見せなかった。まるでそれが、日常であるかのような、いつもそこにあるものであるかのような、華麗なスルーっぷりだ。

「お前も生きていたんだな、イネン。芹架ちゃんも一緒か?」

 イネンは身体を傾けて、部屋の奥を指差した。

「絶賛アイマスク中だ」

「それは何より」

 トウカの言う通り、先に集会所を訪れる案に間違いはなかったようだ。

「ほら、三人も上がれ上がれ。一緒にアイマスクワールドを楽しもうじゃないか」

 強引に中へと引き摺り込まれたアタシを待ち受けていたのは、休息中の作家だった。

 イネンの話は聞いていたので、ここに彼女がいることは分かっていた。それでも、アタシは奇妙なまでに興奮を感じた。

「いいご身分ね、芹架?」

 懐かしい声に肩を跳ねさせ、アイマスクをずり下げる。お化けでも見ているように見開かれた瞳は、真っ直ぐにこちらを見ていた。

 それから、芹架は口を開いた。

「愛染りりりりりり……!?」

「『り』が三つ程多いわね……」

 これはいつものやり取り、もう慣れっこだ。

 どうせ、次は『り』を二つにしてくる。だからアタシは──

「え──?」

 不意を突かれた。虚を突かれた。

 芹架の突撃は、きっちりアタシのきゅうしょを捉えていた。

 痛みさえ感じてしまう程力強い包容。もう二度と離さないという、強い意志を感じる包容。

 優しく髪を撫でる手は温かく、酷く落ち着きを感じさせた。

「もう、会えないかと思ったわ……」

 死地に赴いたわけでもないのに、大袈裟な人だ。

 でも、それに呆然とするアタシではない。

 流れくる喜びを、飛び切りの温もりを、子供の立場であるアタシが、大人のように静かに見守る。

「はっ……!?」

 芹架の呼吸が止まったのも束の間、彼女はすぐにアタシから離れた。

「愛染りり、まだ生きていたのね。さっさとトラックに跳ねられて、異世界転生でもしたらどうかしら?」

「……もうしてるわよ光坂芹架。後『り』が一つ少ないわ」

「面白いジョークね! ところで、アキハバラ中央病院はどうだった? 胸とか診察してもらった?」

「胸は関係ないでしょーが!」

 動揺していても、煽ることは怠らない。それでこそ光坂芹架だ……などと思ってしまうところを見るに、アタシもかなり麻痺してきているようだ。

 胸ではなく、心理だとか脳だとかを見てもらった方がいいかもしれない。

「アキハバラ中央病院には、ゾンビが大量に湧いていたわ。その詳細を話すために、アタシは今ここにいるのよ」

「そう、それは大変だったわね、愛染雪木葉雪木葉」

「……いや、その間違いはおかしいでしょ!?」

 芹架のボケは、明らかに成長している。今のアタシでは、とてもじゃないが対処しきれない。

「早速だけれど、雪木葉愛染。その詳細とやらを、私にも聞かせてもらえないかしら? それとも、皆が揃ってからの方がいい?」

「先に話していろって言われているし、すぐにでも始めるわよ」

 様子が変な芹架に調子を狂わされこそしたが、与えられた仕事はきっちりとこなしてみせよう。

 前回、ヴィヒレアが立っていた場所──テーブルを挟んだ奥の側に立つ。

「皆、静かにして!」

 こういった目立つ行いは、得意な方ではないのだが……状況が状況なので、尽力はしてみるが、どこまでやれるかは自分自身でも少し心配だった。

 とりあえず、静寂は手にできた。後は、物語を綴るように話すだけだ。

「アキハバラ中央病院──」

「ただいま帰りましたー」

「おっ、やっているやっている!」

 仕事帰りのサラリーマンのような二人が、空気も読まずにのこのことやってきた。

「トウカ、後で散らかした玩具を片付けておいてよね! 走りにくいったらありゃしないわ!」

「俺がやんの!?」

「話、どこまで進みましたか?」

「……今始めたところよ!」


 ヴィヒレアの懇切丁寧な解説の末、アキハバラ中央病院の情報が、待機組の皆の中にも入っていった。そのお返しとして渡されたものは、次のような内容だった。

 突如、お掃除ロボットがツキアカリ荘を襲った。

 彼らは、人間を見ると我を忘れて襲いかかってくるらしく、何かの目的を持って向かってくるゾンビとは比にならない程手強い相手のようだった。

「ゾンビに並ぶ勢力──第三勢力の登場というわけですか」

 腐乱死体、人間、機械。過去と今と未来の三つ巴の戦場が、ここアキハバラに展開されたということか。

「ロボットとアリシアの登場によって、この都市からは安全圏が消え失せたと見て間違いなさそうだな……」

 イネンは、悲しそうにそう呟いた。

「冷戦も、潮時かもしれないわね……」

 ヴァーレが、拳をぎゅっと握り締める。

「発生源不明のロボットと、退廃の少女。先に、どちらを潰すべきか……」

「同時に潰すって考えはないのかい、イネンさんよぉ?」

「なくはない……が、そうすると、リスクが大きくなりすぎるだろう。犠牲者だって出るかもしれない」

 絞り出された『犠牲者』という言葉。その重みは相当なもので、アタシの心は、一気に最下層まで沈められてしまった。

「そもそも、退廃の少女って倒せるの?」

 いつも通りの平坦な口調で、芹架は核心を突くような質問を投げ掛けた。

 アリシアの生物を老化させる能力は、自身を中心に広がっている。それはつまり、人間のアタシ達では近付くことすらままならないということだ。

 アリシアに触れる前にゾンビ化、もしくは塵にされてしまう──カミラの消失を目の当たりにしたアタシには、その恐ろしさが手に取るように分かる。

「遠距離攻撃、とか?」

 トウカが、横目でイネンをチラ見しながらボソッと呟いた。

 その発言は、まるで未来からやってきたかのように、アタシ達をある未来へ導こうとしているかのように、適切で的確なものだった。

「俺の能力は透視。それと、スナイパーライフルの扱いには自身がある」

 ここで、ようやくイネンに感じていた違和感を払拭することができた。

 イネンには、最初からアイマスクなんて見えていなかった。アイマスクは、初めからイネンの視界を遮っていなかったのだ。

「つまり、アリシアの位置さえ分かれば、イネンが彼女を討ってくれるわけね?」

 アタシの問い掛けに、イネンは大きく頷いた。

 ここまでの自信を見せられてしまうと、彼には期待せざるを得ない。

「じゃあ、私達はこれから、核の核みたいな女を探しにいかなければならないということね?」

 芹架は、『核の核だなんて上手いこと言ったわね、私!』という感じのドヤ顔をこちらに向けてきているが、正直、アタシには全然伝わっていない。それこそ、伝言ゲームのように。

 いつでも爆発することができる核爆弾に近付く……という意味が割と当てはまっている気がするので、もうこれでいいだろう。

「危険は伴うでしょうね。見付かれば即死なんでしょ?」

「でしたら、その役はわたくしが担いますわ!」

「ルタイネ……?」

 訝しげに、ヴァーレがルタイネを見る。

 無能力者即ち最弱のルタイネが、能力者ですら対処に困るアリシアに接近するなど愚の骨頂だ。それに、この黄衣は目立ちすぎる。

 この時点で、どう考えてもルタイネにこの役は適任ではない。

 さて、ルタイネは、この逆境をどう跳ね除けてくるのか。

「わたくしは、彼女と面識がありますわ」

「ちょ、そんな話、聞いていないわよ!?」

「少し前まで、わたくしは重い病を患っていましたの。お屋敷のドクターでは治せない程の病を。だから、神の手を持つと噂されていた御手洗という名の医者に全てを託すことにしました。その時に、収容されていた彼女とお話したんですの」 

 収容──患者に使うには、些か物騒過ぎる単語だ。

 つまり、アリシアは──

「人間兵器──コードネームは“退廃の少女”。余りに危険な能力を持つ彼女は、決して外に出られないように……そして、決して人を近付けさせないように、アキハバラ中央病院の地下に閉じ込められていました」

「この都市の地下には、退廃の少女アリシアがいる──アキハバラにおいて、この都市伝説は周知の事実ですね」

 だから、ツキアカリ荘の住民はアリシアのことを熟知していたのか。

「その時に、わたくしは仲良く……とまでは、とても言えませんが、知り合い程度にはなっていましたの」

「つまり、自分ならば生かしてもらえるかもしれない、と?」

 ルタイネは、否定しなかった。

アタシが言っておいて何だけれど、流石に戦を舐めすぎているわね、ルタイネは」

「頑固な騎士様相手に、お姫様はどんな説得をする? 俺を頼ってくれてもいいんだけれどなーチラッチラッ」

 ルタイネは俯き、黙り込んだ。しかしそれは、諦めからくる行動ではなかった。頭を整理するために、考えを纏めるために、黄衣の姫君は自分と向き合った。

 そして、導き出された答えが、考え抜かれた発言がこれだ。

「ヴァーレさん、今度は外の道を二人乗りしましょう」

 ヴァーレは目を見開き、すぐに微笑みの形に変えた。

「約束よ。破ったら、アタシがルタイネを殺してやるんだから──!」

「ふふっ……これは、守る他ありませんわね」

 ルタイネは、生きて帰ってくると言った。ヴァーレは、死んだら殺してやると念を押した。

 ……何と美しい会話だろう。不穏で不謹慎なやり取りを、アタシはとても穏やかな気分で見守った。

「アリシアの所在確認のために、ルタイネを囮として派遣するわ。異論は認めないんだから!」

 ヴァーレは、ルタイネにアキハバラ中央病院まで歩いて戻るよう取り決めた。

 ただし、トウカを護衛に付けることが条件だ。

「俺は、離れたところの物陰からお姫様を覗き見ていればいいんだな?」

「言い方が気に食わないけれど、そういうことになるわね」

 続けてヴァーレは、ツキアカリ荘の北方にある崩壊していないビルの上にイネンを配置した。

「笑っちゃうくらい使いづらい、透視の能力の使い所よ! ここから、病院までの全てのルートを見通して頂戴!」

「任せておけ。敵の動向もトウカの奇行も、全て俺が見下ろしてやる」

「俺、奇行に走る前提なの?」

アタシは、悪路を越えたところで待機しておくわ。いつでもトウカを始末できるようにね!」

「目的を見失っているじゃねーか! もしもの時に駆けつけられるよう待機していろ!」

 ……やっぱり、トウカってこういう役回りだったのか。

「新人二人はアタシの護衛よ。一番危険で一番重要な主人公ポジションにいるのがアタシなんだから、当然よね?」

「だったら、ヴィヒレアを側近にすればいいんじゃない? 見たところ、お二人は私と愛染りりりの関係に近いようだし?」

「普通に知り合いって言いなさいよね……」

 ヴァーレは、右手の人差指を振って、

「酷い言い方になるけれど、新人にこのツキアカリ荘を任せるわけにはいかない。だったら、ヴィヒレアをここに置いていくしか手は残されていないでしょ?」

「放置プレイですか、いい性癖ですね」

「違うわよ! こほん……今、芹架が言った通り、アタシはヴィヒレアを信頼している。だからこそ、このホームを任せられるってことよ!」

「命の危機を感じたら、大家さんを見捨てて逃げさせてもらいますよ」

「あれ、アタシの見立てが間違っている説ある!? ねぇ、これ間違っている!?」

 信頼しているのかしていないのか、信頼されているのかされていないのか……どこかで見たことのある関係性だが、どこで見たのかまでは思い出せない。きっと何かのアニメとかだろうが。

「ヴィヒレアとは仲良くなれそうね」

「急にどうしたのよ、芹架?」

「いえ、深い意味はないわ」

 ホワイトボードに収まる、アタシ達の未来。ちっぽけだけれど大掛かりな作戦が、ここにはある。

「アリシアが移動する前にケリを付けたいところだけれど、流石に皆疲労してきているわよね……」

 今日一日の出来事を纏めたら、日記帳のページの半分は埋められそうだ。これ程までに濃密で刺激的なイベントは、身体に疲れを齎す。それに気付くヴァーレは、恐らく戦い慣れているのだろう。

「一日休ませてあげたいところだけれど……ごめん、そんな余裕はないわ! 決行予定時刻は、午後十六時よ! 食事とお昼寝の時間は取れるわ!」

「アイマスクタイムも取れるか!?」

「ハーフハーフよ、イネン。あなただけは、食事の時間しか与えられないわ」

「何故だ! 俺はずっと模範的な生活を続けてきたはず……!」

「監視に最適な能力を持ってしまった事実を恨むのね! イネンには、アキハバラ中央病院もとい退廃の少女アリシアの監視を命じるわ!」

「何だって──って、それ普通にアイマスクタイムじゃないか。ツンデレだな、ヴァーレは」

「え、ああ、そうね……?」

 アイマスクが絡むと、途端におかしくなってしまうイネンに困惑の表情を見せるヴァーレ。

 ツンデレと称された彼女だが、存外その二つ名は的を射ているとアタシは思う。

「もし、まだアリシアが院内にいて、しかも外に出てくる気配がなかったら、作戦の決行日時を遅らせることにするわ。最長で明日の朝までね」

 嫌なことを先送りにしているだけなのに、タイミング次第では飴を与えられた風に錯覚してしまう。

 納期を、今日の十六時から明日の朝まで延ばしてもいいという福音! この気持は、警報が発令されて学校が休校になった瞬間ととてもよく似ている。

 ああ、神様、仏様、編集部ヴァーレ様……本当にありがとう!

 動くな、絶対に動くなアリシア! フリじゃないぞ! といった、情けない念を送るアタシなのだった。

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