異世界のスマホ

 ヴィヒレア達と別れた場所からツキアカリ荘までの道中で、アタシとルタイネが敵と遭遇することはなかった。厳密に言えば会ってはいたのだが、そのどれもが機能を停止しており、相対することがなかったのだ。

 壊れた機械は、崩れた建物──瓦礫の山と何ら変わりない。廃墟好きなわけでもないアタシにとって、それらは見るに値しないただの石ころだった。

「おっ、金髪ツインテとお姫様のお帰りか!」

 小さな円形のお掃除ロボットを踏み付けていたトウカが、右手を挙げてアタシ達の帰還を歓迎した。砕かれたロボットには、レストランで見た死体の魂が宿っているようで、アタシはすぐにそれから視線を逸らした。

「トウカ、あんたこんなところで何をしているのよ?」

「見りゃ分かるだろ、お掃除だよお掃除!」

「お掃除……ってことはやっぱり、このお掃除ロボットはただのお掃除ロボットじゃないってこと?」

 トウカは、飄々とした態度を崩さずに返答をする。

「いや、お掃除ロボットとしてはまさに最新型だ。こいつらが通った後には、ペンペン草さえ残っちゃいねぇだろ? 別に不潔でもねぇ植物を汚物と判断するようなやつなんだから、人間なんてゴミ以下さ」

 何となくだが、状況を把握出来てきた。

「つまり、このロボットも敵ってわけ?」

「ご名答! ツキアカリ荘が倒さなければならない相手が、二つに増えたってことさ!」

 ゾンビやアリシアだけでも手一杯だと言うのに、神はまだアタシに試練を課してくるというのか。過度な摂取は毒であり、悪でしかない。その辺を、もう少し理解してから神という役職に就職してもらいたいものだ。

「ところで、ツキアカリ荘は大丈夫なんですの?」

 今いる場所は、ツキアカリ荘のすぐ近くにあった。こんなところまで魔の手が迫って来ているのだから、きっと建物周辺でも戦闘が行われているのだろう。

 ちらりと、ツキアカリ荘のある方角を見る。やはり、そちらにも息を引き取った鉄の残骸が転がっていた。

「大丈夫か大丈夫じゃないかと聞かれれば、大丈夫ではない。だが、あの二人がいる限りは大丈夫だろうよ」

 トウカは、まるですぐ隣にイネンと芹架がいるかのように語った。

「芹架は元気? もしかして、戦っているの?」

「双方元気だし、戦っているよ。ところで、りりりちゃんは芹架ちゃんの魔術について何か知っていることはあるか?」

 どうしてそんなことを──ああ、そう言えば、芹架の魔術はこの世界には存在しないオリジナルのものだった。神の著した文献にすら記載されていない魔術を使う者に、興味を抱くのは当然と言えば当然か。

「芹架らしい、色々とぶっ飛んだ魔術ってことくらいは知っているわね」

「そう、それなんだよ。あんな大魔術、並の家系では使えっこないよなー。きっと名門出身だぜ、芹架ちゃんは」

 一流大卒という情報は流れていたが、家が名門といった旨の話は聞かない。

 執筆の腕は確かなので、もしかしたら自分で光坂家の名声を上げていくかもしれないと、適当に芹架の未来を予測してみる。

「その話はもういい。答えてくれてありがとな、りりりちゃん。ここはもう片付いたから、さっさと戻って援護なり菓子パなりしようぜ!」

「お菓子パーティをするの……」

「楽しそうですわね」

 トウカを拾ったアタシとルタイネは、当初の目的を果たすために、石と鉄の道を歩み始めた。


 ツキアカリ荘の周りは、世紀末のように荒れに荒れていた。あるところには焦げ跡が、またあるところには、溶けきっていない氷の道が……どう考えても、どう見ても、犯人は芹架だとすぐに分かった。

「派手に暴れたみたいね、あの作家……」

「そりゃもう凄かったぜ? エネミーの殲滅よりも先に、ツキアカリ荘が逝っちまうかと思ったもん」

 威力が高過ぎるのも、また問題というわけか。

 アタシはまだ試していないけれど、もし『人造人間異世界に行く』に登場する魔術を使用することになったら、一度このことを思い出すとしよう。

「お二人の姿は見えませんわね」

「もう部屋に戻っているか、或いは灰になったかってところじゃない?」

「は、灰!?」

 力加減や座標の計算を間違えて自分に……流石に、芹架を舐めすぎか。

「徘徊している変質者ロボットもいないようだし、二人を見付けて集会所に集まるとしますか」

「ヴィヒレアちゃんとヴァーレちゃんがいないようだが?」

「二人は、諸事情によって遅刻よ。先に議論を済ませておくよう頼まれているの」

 トウカは、「なるほどなるほど」と呟き、集会の開催時刻の目処を付けていた。

「今から十五分後に集合でいいか? こっちの二人は俺が責任を持って探しておくから、イエローガールズは今のうちに身体を休めておきな」

「遂に一纏めにしてきやがったわね……まあ、休む時間があるのはいいことだわ」

 たかが十五分、されど十五分。大事なのは、時間じゃなくてトウカの心遣いだ。

「そいじゃ、また後で」

 トウカは、右の手を振りながら去っていった。相変わらず、もう片方の手はポッケの中だ。

「ルタイネって、自分の部屋を持っていたかしら? もしよかったら、アタシの部屋に来る?」

「ありがとうございます! ですが、わたくしは塀の前でお二人の帰りを待たせて戴きますわ」

 ……いい子だ。そんな姿を見せられたら、アタシも休むに休めないではないか。

 太陽の光に照らされるルタイネは、光の主よりもずっと輝いて見えた。

「やれやれ……」

 アタシは、塀を背凭れにして、その場に座り込んだ。

「りりりさん!?」

「アタシも、ここで待つわ。絵を描いていれば、退屈しのぎにはなるし」

「そうではありません! はしたないですわー!」

「そこ!?」

 ルタイネは、アタシの腋の下に手を入れて、子供を抱っこする形で身体を持ち上げてきた。

「淑女足るもの、どんな時も油断を見せてはいけませんわ! シートを持ってきますので、あなたはそこで反省してくださいまし!」

「あ、はい……」

 ……怒りのツボがよく分からない少女だ。

 憤怒を纏ってなお繊細な足取りで歩くルタイネの背中を見送りながら、アタシはやるせない気持ちと戦っていた。


 落胆しながら、二枚の新聞紙を手にしたルタイネが戻ってきた。どうやら、シートは見付けられなかったらしい。彼女はそれを横に並べて、アタシに座るよう命令──懇願した。

 別に新聞紙だろうとシートだろうとどっちでもよかったアタシは、感謝の言葉を言って、そこに着席した。

 ルタイネは、アタシと隣り合う位置に腰を下ろし、大きな溜め息を吐いた。

 気まずい雰囲気を薄れさせるために、アタシはキャラクターのイラストを描き始めた。まずは、頑張ってくれたカミラからだ。

 キャラクターは、顔を描いている時が一番楽しい。この子は、アタシにどんな表情を見せてくれるのだろう。何を思っているのだろう。

 アイツの言葉を借りるならば、『アタシのイラストは生きている』。思った以上になって、思い通りにならなくて。それが、何よりも楽しかった。

 サインのように手早くカミラを描き終えたアタシは、大きく伸びをした。その時、ルタイネが、俯き加減で何かに触れていたことに気が付いた。

「ルタイネ、それってスマホ?」

 ルタイネが触っていたのは、見慣れたはずの新鮮なものだった。金色の長方形の中には液晶があり、そこには画像が、文字が表示されていた。

「そうですわ。御手洗院長に戴きましたの」

「そう言えば、院長ってあの病院にいた?」

 ルタイネは否定した。

「いいえ。人間の方にもゾンビの方にも、院長の姿はありませんでしたわ」

 アキハバラ中央病院には、もうどこにも安全圏がない。上手く逃げられていればいいのだが……

「連絡は取れないの?」

「何度もやっているんですけれど、繋がらないんですの……きゃっ!」

 突然、スマホが寒気を訴え出した。懐かしい震動を続ける機械の画面は、非通知からの通話を知らせている。

「も、もしもし?」

 得体の知れない相手に、ルタイネは恐る恐る話し掛ける。

『ルタイネ……ルタイネかい!?』

 優しい男の人の声が聞こえたと思ったら、急にルタイネがお腹から声を発した。

「御手洗院長!?」

 ほう、この人が御手洗先生なのか。思っていた通り、根っからの善人といった雰囲気だ。

『ああ、よかった……!』

「わたくしも……わたくしも嬉しいですわ!」

『そのことは、またいつかじっくりと話をしよう。突然で済まないが、ルタイネ……病院に来ていたのか?』

 相手に顔は見えていないのに、ルタイネは大袈裟なまでに視線を泳がせながら、ボソッとこう返答した。

「だって、皆さんのことが心配でしたもの……」

『……その気持ちは、素直に嬉しい。だが、僕は君にツキアカリ荘の住民に助けを求めてほしいとは言ったが、帰ってこいとは言わなかった。ここが、危険だと知っていたからだ』

 ルタイネの身を案じて、御手洗は彼女を逃した。その後、逃した相手が帰ってきたら、アタシでも怒っていたかもしれない。でも、そんな感情よりも、優先されるべきものがあるはずだ。

『だが、ルタイネが無事で本当によかった』

 全身全霊の安堵の声。ルタイネは、こんなにも愛されているのか。この子は、こんなにも嬉しそうに笑えるのか。

「院長は、今どこにいらっしゃいますの?」

『病院の地下だ。ここにはまだ、ゾンビが侵入してきていないんだよ。だから、有り合わせの薬品で、あのゾンビを撃退出来そうな薬を作っているんだ』

「有能過ぎる!」

 思わず、渾身のツッコミを炸裂させてしまった。アタシは両手で口元を押さえ、ついでに熱くなった頬を隠した。

『今の声は?』

 くっ、向こうにも聞こえていたか……!

「愛染りりりさんですわ。ツキアカリ荘で出会った、大切なお友達ですの!」

「ルタイネ……」

 大切なお友達──仕事柄、性格柄、アタシには友達と呼べる人が──友達と呼んでくれる人が、ほとんどいなかった。だから、ルタイネに認めてもらえたことは、感涙に値する喜びだった。

 ルタイネがお日様のようなのは、何も見た目だけではない。心も──むしろ、心の方が暖かい。

『そうか、友達か! 大事にするんだよ、ルタイネ!』

「はい!」

 それから二人は、何度か言葉を交わらせた後に通話を終了した。

 再び静寂が訪れてから二分後、ご機嫌なルタイネと、嫌な気はしないアタシのところに、トウカが一人で戻ってきた。

「芹架達はどうしたの?」

 トウカは、後頭部を掻きながら情けない声で述べる。

「ダメだ、どこにもいねぇ。もう集会所に集まってんじゃねーの?」

「何の目的があってあの部屋に入るのよ……」

「だが、調べていないのはツキアカリ荘だけだ。集会所を見て、いなかったら部屋を訪ねようぜ」

 トウカは、一歩も止まることなくアタシ達の横を通り過ぎていった。

「普通、部屋にいなかったら集会所を覗くんじゃないの?」

「効率重視だ。集会所の方が、どちらかと遭遇する確率が高い。後、りりりちゃんの着替えを覗きたい」

「それっぽい確率論に免じて、後半部分は聞かなかったことにしておいてあげるわ」

 新聞を畳んで、アタシとルタイネもトウカの後に続くことにした。

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