彼女には剣なんていらない
アタシはカミラを知っているが、カミラはアタシを知らない。アタシが、アタシを作った神の顔を見たことがないのと同じ理由だ。
では、自分のことを認知していない相手に、まずするべきことは何だろうか。答えは自己紹介だ。
「アタシは愛染りりり」
「ボクはカミラ。名乗らずともキミはボクのことを知っているみたいだけれど、一応教えておくね」
カミラは、盾を流れるマナを腕のように射出し、ルタイネに迫るゾンビを捕らえながらそう名乗った。次にカミラが取る行動は、マナの腕を盾の中に戻すというものだ。俊足の帰還に巻き込まれた対象は、その身体を鉄の塊に直撃させる。飛び降り自殺の要領で、ゾンビは爆ぜたトマトのようになるのだ。
とどの詰まり、彼女には剣なんて不要だった。その盾さえあれば、人間など虫けら同然。蚊を潰すのと同じことだ。
カミラによって成された、人並み外れた破壊力を目の当たりにしたルタイネは、恍惚の声を漏らす。
「素晴らしい能力ですわ……!」
アイツの考えた能力なのだから、感動して当然だ。己が褒められているわけではないのに、何故かアタシは自分のことのように誇らしげになった。
「大体の状況は掴めた。ボクは、蠢く腐乱死体で朱の川を作ればいいんでしょ?」
「ええ!」
コクリと頷いてやると、カミラは横向きになったグリップを縦にし、それを引いた。彼女が手を離すと、グリップは自ら元いた場所へと戻っていって、また寝転んだ。
「紅き刃葉に流れる血 《メイプル・ヴェイン》」
地球の血管を映し出すかのように、カミラの盾から赤いマナが地面に龍脈を彩る。繋がる先は数多のゾンビ達。彼らの影を上塗りしたマナは突然隆起して、股から頭までを一直線に貫いた。傷跡から噴出する血液が、盾のマナの色を更に濃くしていく。
「このマナが、最初は透明だったなんて誰が信じてくれるんだろう──ボクですら無理だよ」
「そんな設定もあったわね……」
アタシは完全に失念していたが、アイツは今でも覚えているのだろうか……
とまれかくまれ、生ける屍はこれで全員機能を停止した。阿鼻叫喚の地獄絵図が広がってはいるが、もう命のやり取りはしなくてもいいだろう。
「まさか、りりりさんが召喚術師だったとは思いもよりませんでした。この殲滅力は、頼もしい限りですよ本当」
二人の子供を抱きかかえながら、ヴィヒレアがこちらまで戻ってきた。
「気絶しちゃったの?」
脱力しながら目を瞑った二人を見て、アタシはそう考えた。相当怖い思いをしたのだ、意識を戦略的撤退させてしまっても無理はない。
「気絶させました」
「……ん?」
「手刀をしゅとーんってしました」
うーむ、笑うべきなのか怒るべきなのか……
さりとて、その判断が誤りであるとは一概には言えない。針山地獄で血の池地獄な戦闘シーンは、当然十八禁だ。二桁にも達していない齢の者にとっては、刺激が強すぎる。ちなみに、アタシは十六歳なので、本来はしゅとーんされなければならない立場にある。
「何か締まらないけれど、これで制圧は完了ね。ルタイネ、他の人が避難した場所とかって分かる?」
ルタイネは、考える時間など不要と即答した。
「四階のレストランに逃げ込んでいるはずですわ」
見た限り、アキハバラ中央病院は四階建てなので、避難した者は最上階にいるということになる。ゾンビ達は下から攻めてきているため、当然の判断と言えよう。偶然か必然か、避難先がレストランというのも実にいい。長期戦において最も危惧すべき事柄は──最も強大な敵は、戦車でも毒ガスでもなく飢餓なのだから。
「では、この子供達も連れて四階を目指すとしましょう」
「あのー」
苛立ちを隠せないでいるのはカミラだ。
「勝手に話が進んでいるみたいだけれど、ボクはどうすればいいわけ? 何をすれば喜んでくれるの?」
鮮血色の瞳が、ゆらりと揺れる。
「アタシ達の護衛をして頂戴。一緒に行動して、適宜戦闘を行ってくれればそれでいいから」
「……分かった。ご褒美を忘れないでよね」
真面目クールで甘えん坊。これが、カミラの属性だ。言い換えれば、素直クーデレとなる。過酷溢れる過去を持ち、第三部のラスボスとして君臨したという闇の面も、このキャラクターの人気の秘訣だろう。これで銀髪だったらどうなっていたことやらと、今でも常々思う時がある。
「カミラとのお喋りはこの辺にして、そろそろ人命救助に向かいますか!」
エスカレーターの階段を使って、アタシ達は避難先であるレストラン前までやって来た。ディスプレイには、パスタやステーキなどを精巧に再現した食品サンプルが並べられており、こんな状況でなければ、一度皆で食べに来たいと思えた。
「本日のケーキバイキング……」
置かれた看板に書かれた文字と、描かれたファンシーなイラスト。ほのぼのするこの芸術作品も、今は心を抉る凶器だ。これを書いた人が、今もどこかで生きていますように──そう願わずにはいられなかった。
「シャッターが閉まっているけれど、まだケーキバイキングはやっているのかな?」
「流石にやっていないと思うわよ、カミラさん……」
「ふぅん、それは残念」
「残念です」
感情が希薄な人物が二人に増えると、こちらの負担も二倍になるのか……! ツッコミによる過労死だけはしないように、ここからは調整をしていかねばなるまい。
「これ、鍵とか閉まっているのかしら?」
穴があっても入れない。つまり、施錠されていた。
「ルタイネ、ここに対応した鍵とかって持っている?」
「わたくしは、ここに避難していた一般人ですので。そういった関係者権限は持ち合わせていませんわ。お役に立てなくて、本当にごめんなさい……」
「せ、責めているわけではないから! 聞いただけだから!」
ちんたらしていると、アタシの胃にも鍵穴が空いてしまいそうだ。
「閉まった扉。鍵未所持。はい、壊しましょう」
「誰に同意したのよあんた!?」
ヴィヒレアは、右手に持っていた子供を左の腋に挟み込んだ。そして、手ぶらとなった右の手にハンマーを握り締めた。
「ハンマーでぶち破るつもり!?」
「そうですよ。せーのっ、どーん」
先生と園児のように、掛け声に合わせて耳を痛くする爆音が響き渡った。シャッターは大きく凹みながら外れ、その役目を終えた。
「ありがとうございます、ミョルニル」
「アタシそれ知っているんですけれど!? 神話の武器よね、それ!?」
「──の、プロトタイプです。常にカイロのように熱いのと、充電に使える程度の電気しか放てないのが欠点ですね」
遭難した時に重宝しそうな神話武器だ。
「ともあれ、中に入れるようになりました。お腹も空いてきましたし、ここらで食事でもご馳走して──」
先にレストラン内へと侵入したヴィヒレアは、文字通り言葉を失った。
「どうしたのよ──」
心配して駆け寄ろうとしたアタシの鼻が、反射的に空気を拒み始めた。
止めても感じる鉄の臭いと、今まで嗅いだことのない、とにかく不快な腐臭。誰かがシュールストレミングを頼んだのではない。言うなれば、人間がシュールストレミングとなっていた。
「そんな……そんなぁ!!」
ヴィヒレアが声を失い、アタシが鼻を塞ぐというただごとではない事態を察したルタイネが、続いて中に入ってきていた。彼女は、無残にも全滅してしまっていたかつての仲間達の姿を見て、悲鳴にも似た声でそう発言した。
「うっ……おえ……!」
四つん這いになり、嘔吐するルタイネ。背中を擦っても擦っても、彼女の口からは、哀しみの塊が吐き出され続けた。
「りりりさん、今すぐここを出ましょう。いつこの子達が目覚めるかも分かりませんし、ルタイネさんも限界です」
「いい判断ね。ただし、アタシも限界よ」
嗚咽を漏らすルタイネに肩を貸してやり、アタシ達は再び廊下へと戻ってきた。
「嫌だ……嫌だ……!」
同じ言葉を繰り返すだけのオルゴールとなってしまったルタイネに、アタシは何と声を掛けてあげればいいのだろう。何を言えば、この子の心を癒せるのだろう……ただの
「愛染りりり……だっけ。キミ、ボクのことをどのくらい知っているの?」
「突然何よ? 大体のことは、教えてもらっているはずだけれど……」
「じゃ、ボクの考えていることが分かるよね?」
この状況下に置かれたら、カミラがどんな行動を取るか。この子に猟奇的な趣味は無いし、興味本位で突撃するような性格もしていない……まさか!
「ビビっと来た感じだね。ほら、行くよ」
カミラは、アタシの頭部を軽く叩いて立ち上がるように──もう一度、現場に向かうように促してきた。
「ロードヘロー殺人事件で、探偵役をやっていたわね……」
「うん。独学だけれど、ボクにはそういった才能があるからね」
医学的な知識と、優れた観察眼。確かに、カミラが実況見分を行えば、細部まで状況を把握可能かもしれない。しかし、それに何故アタシが付き合わねばならないのか。
「ボクを呼び出したのはキミなんでしょ? だったら、キミはボクに付き合う義務がある」
……いや、無い。けれども、アタシが側にいた方がいいというのだったら、神らに従おう。今後のためにも、ルタイネのためにも、今は彼らの死因を知っておきたい。
「死なば諸共ってことね」
「諸共、生きるための行動だよ」
アタシは、真実を見るために現実と向き合う覚悟を決めた。
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