絵師の能力

 血液の模様を滲ませた緑の絨毯、破壊を免れた木製のテーブル。背凭れがないという不親切なビニールの椅子……ゾンビの侵入があったと見て間違いない光景ではあったが、内装は予想していたよりもずっと綺麗だった。

「ゾンビの姿は見受けられませんね」

 ヴィヒレアの言う通り、少なくとも、アタシの視界の内には生物と呼べるものは生息していなかった。

「上ですわ!」

 ルタイネは、クラーク博士のように二階を指差した。

 肌の色こそ白に変色しているものの、見た目自体は人間とほとんど変わらない。彼らにも髪はあり、顔があり、上半身と続いて下半身が伸びているのだ。ここが病院というのもあって、彼は重い病に侵された患者だと言われれば、きっとアタシは疑心を捨ててしまうだろう。

「一点に向かって歩いているようね……」

 突き出された腕は、どれも右方を向いていた。

「行ってみましょう」

 ヴィヒレアが、前方五〇メートル程先にあるクロスを描くエスカレーターの方へと駆け出した。アタシとルタイネも、その後に続く。近付いたことによって、動く階段が既にただの階段となっていることを知った。もう、下るエスカレーターだと思って歩いて行ったら上るものだった、などと悩まされることもない。

「結構な数ですので、油断だけはしないでくださいね」

 ゾンビの数も行動も、バーゲンセールに群がるおば様そのもの。となると、向かう先にあるのはお買い得商品だ。ここで言うならば、きっとそれは人間ということになるだろう。

 二階に上がると同時に、ヴィヒレアは異空間から穂が五つに分かれた槍のようなものを取り出した。モカの能力も似たようなものであったと記憶しているが、あちらと比べて、ヴィヒレアのは小回りが利きそうだと感じた。

「行ってらっしゃい、ブリューナク」

 ちり紙をゴミ箱に捨てるように、ヴィヒレアはブリューナクと名付けられた武器をすぐ側に投擲した。すると、ブリューナクは泳ぐマグロのように猪突猛進ならぬ鮪突猛進した。ブリューナクは、ゾンビに接近すると同時に進路を変更し、次々と獲物の身体に風穴を開けていった。ジグザグに曲がる軌道は、まさに稲妻そのものだった。

 切り倒された雑草が如く、ゾンビが動かなくなっていく。それと同時に、遮られていた風景が、隠されていた真実が明るみになっていった。

「お子様が二人、襲われていますわ!」

 ゾンビの足の隙間からは、二つの小さな顔が覗いていた。より若い女の子は涙を流し、年上であろう男の子は、少女を庇う素振りを見せている。その程度の防御など、赤子の手を捻るように破られてしまう──簡単過ぎる問題を、アタシ達は一瞬で解いた。

「ヴィヒレア、もう一度ブリューナクを投げて!」

「あー……それがですねー、私のブリューナクはプロトタイプでして。投げたら投げっぱなしなのですよ」

「嘘でしょ!?」

 こうなったら、アタシも戦うしかない。モカとの戦いの後に購入したバッグからスケッチブックを取り出し、一枚だけ紙を破り捨てる。そう、あらかじめ、使えそうなものを描いておいたのだ。上手くいくかは、やってみるまで分からない。ただ、もし成功したら、それはアタシの大きな武器となる。

「具現化しなさいっ!」

 この言葉は、命令であり願望でもあった。思いよ届け、神へと届け。宙を舞う画用紙は消え、構えるアタシの左手にグレートソードが出現した。

「重っ……!」

 マテリアーテルが棒くらいの重量しかなかったので、大剣を描いたら凄まじいアドバンテージになるのではないかと推測していたのだが、現実はそこまで甘くなかったようだ。片手持ちという、グレートソードの概念を覆せているだけでも儲けものと考えるべきか。しかしながら、二リットルのペットボトル二本分に相当するものを一つの腕で振るうのは少々苦しいものがある。本当は、グレートソードの双剣という奇天烈な行動をするつもりだったが、それは諦めよう。

 片手にペットボトル一本。これなら、女子高生にも容易く振り回せる重さだ。

 戦う準備は整った。アタシは、全速力でゾンビ集団へと接近し、長いリーチを活かした一方的な攻撃を繰り出した。

「やあっ!」

 肉を断つ感触は、気持ちいいものではない。命を絶つ瞬間は、後味が悪い。それでもアタシは、剣を振り回すことを止めようとはしなかった。

「なかなかやりますね。では私も」

 ヴィヒレアが次に取り出したのは、己を裂いた巨大なハサミとよく似た形の武器だった。いや、それそのものだった。

「これ、結構切れ味がいいのですよ。今度、木でも切ってみせましょうか」

 二度の跳躍で戦場までやって来たヴィヒレアは、ハサミを振り回してゾンビを殴り出した。

「って、切らないの!?」

 アタシの正論に、ヴィヒレアも正論で答える。

「こっちの方が早いじゃないですか」

 開いて閉じるという動作は、確かに手間が掛かるが……見栄えを意識するとか、それこそ、自慢の切れ味を披露する絶好の機会ではないか。

「……まあ、倒せているみたいだし何でもいっか!」

 流石に無視は出来なくなったのか、ゾンビ達は狩猟対象を子供達から野蛮な二人へと変更した。

「うがぁ!」

 およそ人のものとは思えない声と共に、ゾンビが両手を上げる。今更、そんな隙だらけの攻撃を食らうアタシではない。肩から腰に線を刻み込んでやると、ゾンビは息をするのを止めた。

「リーチの暴力って、残酷よね……」

 扱い難いというデメリットすら超越する、遠くまで届くというメリット。最強の近接武器として、たびたび槍の名前が挙がるのも頷ける。

 さて、何だかんだでゾンビも残り半分だ。疲労による減速はあるが、これだけ体力が残っていれば、完走は不可能ではないだろう。そんな油断を、ゾンビはしっかりと見通していた。

 薙いだ大剣を、腰を曲げて躱したゾンビは、食べてくださいとばかりに身体を広げるアタシに組み付いてきた。

「っ──!」

 腕を引き剥がそうとしたり、蹴ってみたりもしたが、自我のない肉の塊はものともしない。大きな口を開けて、吸血鬼のように首筋目掛けて顔を近付けてくる。

「離せっ、離せぇ!」

 転倒の衝撃で、グレートソードは手中を離れた。加えて、鍛えていたわけでもない少女の力など武器とは呼べない。守るための矛を失ったアタシに残された選択肢は、諦めることだけだった。

 ゾンビの歯が、皮膚に触れた。

「ごめん遊ばせ!」

 しかし、その犬歯が血に塗れることはなかった。

「ルタイネ!?」

 黄色い少女が、ゾンビの顔を蹴り飛ばしたのだ。ゴールネットを揺らすシュートを顔面で受け止めたゾンビは、ルタイネをキッと睨んで立ち上がった。

「ひぃ! わたくしには、時間稼ぎ程度しか出来ませんわ! 早く倒してくださいましー!」

 ゾンビの死んだ瞳には、もうアタシの姿は映っていない。

「ありがと!」

 ルタイネが作ってくれたこの好機を、逃す手はどこにもない!

 アタシには、もう一つ試してみたいことがあった。このインスピレーションを触発したのは、芹架の世界改竄だ。彼女は、自分の作品に登場する魔術を自身も使用していた。同じ女神に授かったギフトだ、アタシにだって出来るはず。いや、今やるのだ!

「そろそろ、本岐を出そうかしら……」

 バッグからスケッチブックを抜き取り、紙を切り離す。植物繊維の集合体は可視光線へと昇華し、可視光線は人を形作る。人の手には、防弾盾の大きさをした丸い鉄の板が握られており、それには赤い魔力が流れていた。

「ああ、美味しい美味しい空気の味がする──」

 切り揃えられた前髪は、髪と顔の境目を明確にし、長い横髪がその輪郭をぼかす。肩まである後ろ髪が少女らしさを象徴し、一本だけ跳ねた寝癖がその個性を引き立たせている。

「賑やかな命の音がする──」

  慈愛と軽蔑に満ちた、温厚で冷酷な鮮血色の瞳は、凄惨な景色を見て何を思うのか。高い鼻は? 小さな口は? 彼女は今、心臓を動かし、息をしてどう感じたのだろう。

「彩り豊かな世界の色が見える──」

 真っ白なワンピースを縁取る黒の華は、少女が今までに受けてきた罰と、これから背負う罪を意味している。これを見たアタシの感想は、『まだ黒くてよかった』だった。

「ボクは今、酷く心を痛めている」

 少女は、並べた二つの綺麗事を一つの本音で塗り潰した。

「お久しぶり。そして初めまして、カミラ」

 朝靄のような儚さと、アイツはこの子を表現した。アイツの思い描くこの子が、本当にこの子で合っているのかはアイツに聞いてみなくちゃ分からない。けれども、アタシが描いたカミラは、間違いなくこのカミラだった。

 奥が透けて見えそうなくらい脆弱な身体と、世界が滅びてしまってもそこにありそうな堅甲な盾のコントラスト──この印象的なシルエットは、大人気キャラクターの座に相応しい。

 カミラは、焦げ茶色の髪をたなびかせながら後ろを──こちらを振り返って言った。

「──誰?」

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