鉄の馬

 集会所の外では、先に出た三人がアタシを待ってくれていた。その中の緑の子が、今何をすべきなのか、未来に何をすべきなのかを導いてくれる。

「各員、戦闘に向けての準備を始めてください。四半刻後、ツキアカリ荘の看板前に集合です」

 全員それぞれの部屋に──ルタイネはヴァーレに続いて、扉の向こう側へと消えていった。さて、アタシも準備に取り掛からなくては。と言っても、アタシの場合はスケッチブックとペンを手に取れば、もう準備万端だ。残りの時間は、髪に櫛を入れたり心を落ち着かせたりするのに使うとしよう。

「……しばらくお別れね」

 ベッドに座り込みながら、ペンタブを、パソコンを、部屋の全体を見回し、アタシは感慨深く思った。そう長い間帰って来れないわけでもないのに、何故か酷く寂しい思いに囚われてしまったのだ。

 ……このままじゃいけない。両の頬を叩き、気合を入れる。救助する側が、弱気になんてなっていてはいけない。アタシは堂々としていればいいのだ。

「……よし」

 心は、ようやく泣き止んでくれた。宥めたお返しなのか、ふと、とある案が頭の中に浮かび上がってくる。名案と名付けていいそれを、アタシは嬉々として実行に移した。


 集合時間の五分前に、部屋を出る。二階からは、ヴィヒレアの姿だけが確認できた。彼女は、誰かと会話している様子もなく、アタシを待っている雰囲気でもない。ここから推測するに、まだヴァーレとルタイネは部屋の中にいるのだろう。最後は嫌なので、早速ヴィヒレアの元に向かうとしよう。

 鉄の階段を下り、コンクリートを蹴って、土を踏む。踏まれども踏まれども、雑草はしぶとく葉を伸ばす。

「りりりさん」

 ヴィヒレアは、光を知らない碧眼の中にアタシを閉じ込めた。そこに映るアタシは、やっぱり不安を色濃く残していた。

「ヴィヒレアは、武器とか持たないの?」

 集会所にいた時と寸分違わない格好をしているヴィヒレアに、アタシは疑問を投げ掛けた。

「ええ、持ちませんよ。そういうりりりさんは、スケッチブックで何をしようと言うのですか?」

「スケッチブックはアタシの武器よ。ゾンビも退廃の少女も、これさえあればイチコロよ!」

「ああ、それは失礼しました。とても心強いです」

 アタシは、丸腰のヴィヒレアをとても心細く思っているが……

「ちょっとヴィヒレア、何よこれ!」

 他に話すことも思い浮かばなかったし、ヴィヒレアの戦闘スタイルでも聞いておくかと思った矢先、最後のメンバーが、時間ギリギリに集合してきた。その顔は般若のようで、ヴィヒレアを狩らんとする覇気を宿していた。手に握るは、鉄の馬のハンドルで、それにはサイドカーが装備されていた。

「これじゃあ、自慢の速度ががた落ちじゃないの!」

 だから、ヴァーレはヴィヒレアに怒りを募らせていたのか。

「お、落ち着いてくださいまし……!」

 汗だか涙だかで顔を濡らしながら、ルタイネは必死にヴァーレの温度を下げようと試みていた。だが、それも所詮は焼け石に水だった。

 勝手に、鉄の馬を改造したヴィヒレアの言い分はこうだ。

「それでも、人が走るよりかは速度が出ます。ヴァーレさん一人で突っ込むよりも、四人で駆け付けた方が、断然効率はいいですよね?」

「だからって、こんな……!」

「私は、ヴァーレさんと鉄の馬を信じているのです。その技術も、速度も全部」

 ヴァーレは、見えていなかったものが見える快感を孕んだ、驚愕の表情を見せた。その仮面は一瞬で剥がれ落ち、すぐに次のものが装着される。

「ふ、ふん! 今回だけは、重りを付けて走ってあげなくもないわ!」

「でも、そのさいどかあって一人乗りじゃありませんの……?」

 ルタイネの指摘はもっともだった。一つの座席と運転席に対し、こちらは四人だ。とてもじゃないが、乗れたものではない。

「二人乗りすればいいじゃないですか」

「そうよね?」

 ヴィヒレアとヴァーレは、不思議そうな目でルタイネを見ていた。

「……いやいや、不思議なのはそっちだから!」

「運転席にアタシ、ニケツでルタイネ、サイドカーにりりりとヴィヒレア……何が不満なの? もしかして、アタシとニケツしたいの?」

「もうそれでいいです!」

 どうせ、アキハバラに警察はいない。いたとしても、既に人のルールの外にいる。正当な理由があれば、多少のルール違反くらいは許容してもいいだろう。仮に、この世界がアニメだったら、右下に『絶対に真似しないでください』と書かれたテロップが表示されるだろうが、生憎ここは三次元。テロップ使いなどというヘンテコな能力者でもいない限り、そんなものは表示されない。

「じゃ、早く乗りなさい」

 座るヴァーレの括れた腰に、ルタイネの細腕が絡み付く。

「りりりさん、持ち手は絶対に離さないでくださいね?」

「何よ、ビビっているの?」

「……まあ、私も死にたくはないので」

 身体に武器を刺したまま歩けるくせに、変なところで臆病な子だ。サイドカー付きのバイクなんて、出ても空中ブランコくらいの速度だろうに。

「さてと……」

 黒く低い壁を跨いで、赤い背凭れに背中を付ける。低反発で、高級感のある触り心地だ。

「あの、私の座るスペースを空けてください」

「あっ、ごめん。ついうっかり」

 何せ、サイドカーの二人乗りなんて未経験だ。このメンバーの中にそんな珍行動を取った人もいないだろうし、勝手が分からなくても仕方がない。今となっては、その勝手とやらも理解したので、アタシは、ヴィヒレアのための空間を作った。

「ありがとうございます」

 細心の注意を払いながら、足を車内に入れるヴィヒレア。窮屈ながらも、乗車には成功したみたいだ。

「ヴァーレさん、いつでもどうぞ」

「ひゃっ!?」

 ヴィヒレアに後ろから抱き締められたアタシは、擽ったさと驚きで身体を跳ねさせた。前者はすぐに慣れたが、後者は思春期の少女には刺激が強過ぎたため、心臓がいつもの速度に戻るまでに数秒程の時間を要した。

「それじゃ、行っくわよー!」

 ヴァーレがキーを捻ると、鉄の馬は身体を上下に震わせ、抵抗した。それもすぐに収まって、すぐに小気味好い狼の唸り声のような、重く力強い音を放ち始める。そして第三段階。ヴァーレがハンドルを捻ると、獣の咆哮が響き渡った。動き出す身体は、鳥の飛翔に並ぶ速度となって、立ち塞がる風に目を開けていられなくなる。油断していたら、あっという間に身体を飲まれてしまいそうだ。

「これ、本当に遅くなっているの!?」

 目が景色を認識するよりも速く、鉄の馬は大地を駆けていた。こんな空中ブランコがあったら、満員御礼ただしリピーターはゼロの、名物アトラクションとなれるだろう。

「意識は飛んでいませんし、正直欠伸が出ちゃう速度ですね」

 ここで欠伸なんてしたら、口の中がカピカピになってしまう……じゃなくて、意識が飛ぶのが普通なのか!? これでも速度が落ちているのか!?

「出来るだけ、身体を前に倒しておきなさい! あー、風が気持ちいいわぁ!!」

「的確なアドバイスをありがとうヴァーレ! でもあんた、ちょっと頭のネジが飛んでいると思うわよ!」

「何ですって? 聞こえないわ!」

 惚けている……のではなく、こちらからの声は本当に聞こえていないらしい。この風の壁は、見えずともかなり分厚い。食パン換算すると……ええい! とにかく、声が届かないくらい太いのだ。それに、ヴァーレの側には鉄の馬の絶叫がある。聞こえなくとも仕方がないだろう。幸い、食パン一枚分程度の距離しか離れていないヴィヒレアとは会話ができるので、不安感に襲われることはないが……まあ、わざわざ口内をゾンビのようにしてまで話すこともない。誤って、サイドカーから命を落としてしまわないように集中するとしよう。

「ゾンビ集団の姿が見えてきましたわ!」

 ゾンビに対してか、はたまた鉄の馬の疾走に対してか……ルタイネは、顔を青くしながら、視界に映った光景を文字に起こした。

「どけどけー! ヴァーレ様がお通りよ!」

 相手は、脳まで枯れたゾンビだ。そんな彼らに避けろと言っても、道を開けてくれるはずもない。

「ぶつかるー!!」

 ここまでしっかり握り締めていた命も、もはやここまで。生きるのを諦め始めていたアタシの瞳は、異様な光景を脳へと送り届けていた。

 鉄の馬との距離が半径三メートル程まで近付いたゾンビが、誰一人欠けることなく身体を二つに分断させていたのだ。

「鉄の馬は、ヴァーレのマナを動力源として活用しています」

 上体を斜めにして前方を覗き込みながら、ヴィヒレアは冷静にそんな解説を始めた。

「そこまではいいのですが、彼はどうもじゃじゃ馬みたいで。容量を遥かに越えたマナを奪っていくようです。その溢れたマナが、あの音の刃 《ソニックブーム》なのですよ」

 鉄の馬の速度と音の刃の射程距離の長さによって、ゾンビのコミケ会場は光の速さで閉園を迎えようとしていた。鋼の翼を生やしたグレーのホースは、ただ前を向いて走っているだけ。我が身を引き裂いているのは、あくまでも周りが勝手にやっているだけなのだ。

「ビートを刻んでいくわよー!」

 刻んでいるのは、ビートではなくゾンビだ。視覚的にも聴覚的にも、火を見るよりも明らかなことだ。しかし、ヴァーレには逆に見えているらしく、彼女はとても明るく、アップテンポに、染み渡る確かな鼓動の音をかき鳴らしていた。それは、視覚的にも聴覚的にも、誰が見ても明瞭なことだった。宙を舞うゾンビは、差し詰め紙吹雪といったところか。もしくは、歓喜の舞を踊るファンとか?

「病院目視。ヴァーレさーん! 止まってくださーい!!」

「ちぇっ、いい感じに昂ぶってきたところだっていうのにもうっ!」

 山岳に向かって叫ぶが如く声量で、ヴィヒレアはヴァーレに制止を促した。山彦の返答は文句たらたらで、その不満は行動にも現れていた。

「ぐえっ!」

 急停車&ドリフトによる身体の強打! この衝撃は、ジェットコースターにだって引けを取らない!

「三人は、内部の処理と救出をお願い。アタシは、もうひとっ走りしてくるわ!」

「分かりました。ルタイネさん、案内をお願い出来ますか?」

「も、勿論ですわ!」

「決まりね」

 ヴァーレは、鉄の馬をブイブイ言わせてボルテージを高めていった。それは同時に、素早い下車の要求もしていた。

「ヴァーレさん、くれぐれも無茶だけはしないでくださいね」

 サイドカーから降りたヴィヒレアは、大きく伸びをしてから心配の感情を口にした。

「それは、アタシよりもそっちの絵描きさんに言うべきじゃない?」

 そっちの絵描きさんって……アタシか?

「アタシ、そんなに考えなしに見える?」

「むしろ逆よ。ほら、もう行きなさい。鉄の馬は短気なのよ」

 ……何とも煮え切らない発言だが、一応肝に銘じておこう。素人のサインくらい適当な文字でだが。

 こうして、アタシ達は二手に分かれて作戦を遂行することになった。アキハバラ中央病院の建物内は未知数だ。いつどこから誰が何をしてくるとも限らない。怠らなかった準備の賜物を、いつでも披露できるようにしておかねば。

 口を開けたままの院内へ、足を踏み入れる。それは、歓迎と宣戦布告のどちらの意味で──どちらの立場からの受け入れだったのだろう。

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