黄衣の姫
木製の床には、触り心地のいい白いカーペットが敷かれ、その上には白いコーヒーテーブルが座していた。机の横には、様々な布を継ぎ接ぎしたような、種類の違う液体を染み込ませてしまったような、赤を基調としたソファーが置かれていた。パッチワークソファーと名付けられたそれに、真の意味で座っているのは初めて見る女の子だった。黄衣に身を包んでいながらも、気品と知性を匂わせる彼女こそが、この招集の主題らしい。舞台の主役に任命された彼女は、一体何を思い、何を感じるのだろう。我々に、何を伝えてくれるのだろう。ツキアカリ荘に住まう、大家以外の住民が見守る中、黄色に染まった少女は、そのベールを脱いだ。黄金のもみあげは巻き貝のように渦を巻き、瞳はトパーズのように輝いている。ローブの下に隠されたドレスもまた、たんぽぽの色をしていた。彼女は黄色かった。通り掛かった車が、思わず停止してしまう程に。
「助けてください」
幼い少女が、年相応の声で一所懸命絞り出した声。必死に求めた救援要請。その発言は、神の言葉よりも重かった。
「どういうことだ?」
トウカは、どれに対して説明を求めたのだろう。多すぎる疑問点と不可解な部分が、アタシの頭を困惑させる。
「ヴァーレさん」
ヴィヒレアは、ヴァーレに発言を迫った。テーブルと同様の色をした、キッチンの作業台に腰掛けていた特攻服の少女は立ち上がって、潤いのある唇を開く。
「アキハバラ中央病院に、奴らが進行したみたいよ」
人々はどよめいた。空気が変わった。その理由は、問い掛けるまでもなく、ヴァーレから聞かされることになる。
「アキハバラ中央病院は、ツキアカリ荘と同じ安全圏に建てられたものよ。そこが攻撃されたということは、奴らの活動領域が変化した或いは広がったと見て間違いないわね」
軽く流されているが、ヴァーレの発言の中には不穏なキーワードが端々に散りばめられている。アタシが気になったのは、『奴ら』と『安全圏』、『活動領域』という単語だ。
「院内にも複数の能力者がいたはずだけれど……
ルタイネと呼ばれた少女は、周囲を見回すように首を横に振った。
「わたくしは、ゾンビが入ってきたと判明した直後に逃がしてもらえましたので……」
「誰にだ?」
イネンの質問に、ルタイネは「御手洗院長にですわ」と答えた。
「院長は、待合室にいたわたくしを庇ってくださいましたわ。ゾンビと取っ組み合いになって、やがて、その姿は……」
見えなくなった。
「ツキアカリ荘の皆様、どうか……どうかアキハバラ中央病院を助けてください! あそこには、まだ大勢の生存者が残っていますの!」
「落ち着いてください、ルタイネさん。アキハバラ中央病院は、ツキアカリ荘と提携を結んでいます。そこがピンチとあれば、救助に向かわないわけにはいきません」
ルタイネは、ヴィヒレアの手を握り締めながら感涙した。震える声で、何度も「ありがとう」と囁きながら。
「そういうわけなので、りりりさん、芹架さん。是非とも、ツキアカリ荘に協力していただけないでしょうか?」
目線を横に──芹架の方に移す。彼女は腕を組み、ムスッとした表情をしていた。
「全てを語って頂戴。結果はそれから伝えるわ」
「……当然の義務ですね」
ヴィヒレアは、電脳都市アキハバラに隠された真実を語る。
「大前提として、電脳都市アキハバラなどという都市は既に存在しません」
薄々勘付いてはいた。何故ならアタシは、こと電脳都市アキハバラにおいては、このツキアカリ荘以外の人間と一度たりとも遭遇していなかったのだ。誇大な表現などではなく、文字通りの意味で。
「前提として、電脳都市アキハバラには、ゾンビと呼ばれる存在が跋扈しています」
人はほとんどいないが、ゾンビは大勢いるというわけか。となると、次に話してもらうべきことは、どうしてアキハバラから人間がいなくなってしまったのか。何故に、ゾンビが住まう都市になってしまったのか。その理由を、ヴィヒレアは話さなければならない。アタシは聞かなければならない。
「少し前まで、アキハバラは活気に溢れていました。電脳都市の名に恥じない、魔術のようで魔術でない科学的な媒体を求める人が大勢いたのです」
ヴァーレが、単刀直入に事の顛末を話す。
「その人達が、今アキハバラを占領しているゾンビよ」
その結論は、飛躍と呼べるまでに急ぎ過ぎていた。よって、ヴァーレの言っていることを、アタシは理解することができなかった。そのことを把握していたのか、壁際に座り込んでいたイネンが補足説明を加えた。勿論、彼の目はアイマスクに覆われている。
「彼らに、死に並ぶ生を与えた人物──退廃の少女アリシア……彼女の能力は、射程圏内に入った生物に、急速な老化をもたらす」
「つまり、そのアリシアって子を倒すのが今回の目的ってわけね?」
イネンが発した言葉には、否定の意味が込められていた。
「アリシアは、とても臆病な子なんだ。彼女がこんなことをするはずがないと、断言できるまでにな」
事実は小説よりも奇なり。そうは問屋が卸さない。
「推理小説は専門外よ。さっさと真犯人を特定してくれるかしら、探偵さん?」
芹架に急かされて、イネンはアイマスク越しでも分かる程の困った顔を見せた。
「分からん。俺も皆も、誰一人としてな」
まあ、そこまで知っていれば、こんなことにはなっていないか。
とりあえず、求めていた情報は概ね貰えただろう。特に、最悪の状況を作っている能力者について分かったことは大きな成果だ。
「改めて二人に問い掛けます。私達に、力を貸してくださいませんか?」
ヴィヒレアは、アタシと芹架で三角形を作るような位置へと移動し、右手を差し出した。この手を取れば、アタシは誰かを救えるかもしれない。けれども、この手と握手をしてしまえば、アタシは死んでしまうかもしれない。芹架……あなたは一体、どんな選択をしてみせるのか。優柔不断で遅疑逡巡なアタシに教えてほしい。
「視線が痛いんだけれど、愛染りりり?」
「わざとよ、光坂芹架」
分かった上で向けている。そう、アタシは分かっているのだ。芹架がどうするのかを──アタシがどうすべきなのかを。
絵師と作家は、包み込むようにヴィヒレアの手を取った。一人の人間がそうしているかのように、息を揃えて合意したのだ。アタシと
「……本当に、ありがとうございます」
ヴィヒレアの頬が、ほんの少しだけ緩んだように見えた。
「これも何かの縁よ。成るように成るわ」
「それに、ここで引き下がったらスマホが買えないじゃない!」
「別に、スマホくらいなら差し上げてもよかったのですが……」
うん、ヴィヒレアの話は聞かなかったことにしよう。
「さて、戦力も増えたことですし、いっちょ働きますかー!」
トウカは、大きく伸びをしながら気合いを入れるような発言をした。それに呼応して、ヴィヒレアが作戦を提供する。
「安全圏が崩落した可能性を考慮すると、我々は二つの戦力に分かれることになるでしょう。まず、アキハバラ中央病院の救出に向かうメンバーですが、こちらは私、ヴァーレさん、りりりさん、案内役としてルタイネさんでチームを組むことにします」
ツキアカリ荘最大の戦力であるヴィヒレア、最速の足を持つヴァーレ、何となく相性がいいと感じたアタシという、極めて合理的な理由でチーム分けをしたらしい。芹架は影のある笑みを浮かべているが、ヴィヒレアの選んだことなのだから、素直に納得してもらうしかない。
「そして、ツキアカリ荘で待機してもらうのがイネンさんとトウカさん、それに芹架さんとなりますね。後、大家さん」
最後の人は、一人として数えていいのか不明だが……
「ツキアカリ荘防衛チームは、私達が戻ってくるまで監視を続けてください。もし、敵対勢力が攻めて来るようだったら、それの排除もお願いします」
「了解!」
「任された」
言葉こそ発しなかったが、芹架も納得はしているようだ。三人がイエスと答えたことを確認したヴィヒレアは、そそくさと外に向かい出した。ワンテンポ遅れて、ルタイネと手を繋ぎながら、ヴァーレも後に続いた。
「それじゃ、アタシも──」
「愛染りりり」
芹架に呼び止められたアタシは、全身を彼女の方へと向けて、
「何よ?」
と小首を傾げた。
「一人で大丈夫?」
子供扱いされたと憤慨しそうになるアタシだったが、芹架による発言の真意を汲み取った瞬間、とても寂しい気持ちになった。
アタシの隣には、ずっと誰かがいた。生前はアイツが、死後は
アタシはアタシに聞いてみる。するとアタシは、すぐに「怖い」と答えた。だからアタシは、笑ってこう口にするのだ。
「可愛い子には旅をさせよ」
芹架は、言った。「愚問だったわね」と。
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